彼とほぼ無縁でも、彼の「死」から自らの「死」について想像するのはかなりヘヴィだ
松田直樹という有名なサッカー選手が亡くなって、もう何年も経つ。彼とはほぼ無縁な私であっても、彼の死は辛かったし、それによって自分の「死」について想像するのもわりとヘヴィだ、というお話をしたい。
しばらく、しようもないモノローグにお付き合い願おう。
私は別に横浜マリノス、あるいは横浜・F・マリノスのファンサポーターでもなければ、松田直樹が晩年に所属した松本山雅FCのファンサポーターでもない。
ハッキリ言って、彼とはほとんど接点がない。
せいぜい、代表経験者として名前を知っている程度。彼についてはミーハーですらなかった。テレビ画面の向こうにいる有名サッカー選手、という感覚でしかなかったのだ。
言動がエモーショナルな部分は個人的には好きだったが、それは松田についてサッカー選手として、というよりも、人間として好感を持っていた、ということに他ならない。
もっと言うなら、松田直樹という人間が体現する外面に惹かれていた。
それはそうだろう。私は彼の内面なんて知る由もないし、メディアを通じて表出している彼の像しか知らない。
故に、彼について何事かを語る資格がない。
しかし、それでも、2,011年8月4日は、些か悲しい日だった。
その日は盛夏の暑い一日だった。私は彼の訃報をどうして知ったのか覚えていない。たぶんその頃は、某保健所で臨時職員をやっていた。
彼の死を知ったのはニュース速報だったかもしれないし、違ったかもしれない。知った時間帯すらも覚えていない。
だが、確かにその日、彼が身罷ったことだけは、形はどうあれ知った。
とても複雑な気分だった。自分より若いのに、何でそんな人が死んでしまうのか。そう思った。
AEDがその場所になかった、というのはよく言われる話だが、あれば松田の生命が助かったかもしれないとは思う一方、それを安易に断言しても、松田は帰ってなど来やしない。
それだけは確かだと言い切ることができる。
話は全く関係ないが、鳥取で一度、背番号3のユニフォームをオーダーしたことがある。
松田に憧れて、ということではもちろんない。
その頃チームに在籍していた、加藤秀典(現・松江シティFC)の背番号だった。
私は鳥取でもう一人、背番号3の選手に良くしてもらった。こちらは、その後、FCマルヤス岡崎の監督なども務めた山村泰弘だ。
こうした選手に愛着を持っていたが故に、同じ背番号を背負う松田の死がどうしても他人事に思えなかった。
最初は、悪い冗談だと思っていた。
だが、そうでもないのだと知る。アスリートが、そんなことで死ぬわけがないと思っていても、彼は現に亡くなっている。その事実だけは動かしようがない。
それから8ヶ月後、私も脳梗塞の初回を発症してしまう。松田とは病気が違うけれど、私も病気を抱えてしまうことになった。入院している間はずっと憂鬱だった。
その後、一度は良くなって、今の職場で働ける程度には回復したものの、2,016年に再発した。あの時はマジで死ぬかと思った。
「俺もとうとう死ぬ覚悟をしなきゃならんのか」
と、夜中に部屋の中でふらつく頭で考えた。あの時ぐらい、「死」を身近に感じたことはなかった。あの時、漠然と後述するような「死」への感情を覚えた。
松田が亡くなった時、そんなことを思う時間はあっただろうか。私にはそれを知りようがない。
私は、例えば親父の死に目にも会っているので、「死」そのものが極端に怖いものだとは思わない。
ただその一方、「臨死体験」というものも含めて、「死」の実態をイメージできにくいので、その意味では、「死」について漠然と怖いと思っているのかもしれない。
前述の時に感じたのも、これだった。
相反することを言っているようだが、実際、そうとしか言えない。
松田も、自分の命が消えてしまうのが、きっと怖かったに違いない。今はそんな気がしている。
今、私は、自分が死ぬ時のイメージができない。
いや、普通誰もできるわけがないと思う。でも、漠然とでもそれを意識してしまうことはあるとも思う。
思うけど、その一方、自分の死ぬ時というのが、どういう状態なのかが判然としない。たぶん、とても弱々しい気持ちになっているかもしれない。
まさか「強い気持ちで」みたいなことにはなれないだろう。その時の心境は窺い知ることができない。
もし、未来を見通せる仕掛けがあるのなら、自分が死ぬ時、どんな心境でいるのか、というのを大まかにでも知りたい気がしている。
松田直樹が死に際して思ったことなどは、松田直樹自身にしかわからないように、たぶんその時、私にしかわかり得ないことが、頭をよぎっていくのかな、などと考えている。
たぶん私は、ろくな死に方をしないだろうけど、それはさておいて、もし将来私が身罷ってしまうことになった時、どんな心境でいるのか、それぐらいは知っておきたい気がしているのだ。
松田直樹が亡くなって、随分と長い月日が流れた。サッカーをこよなく愛した彼は、今頃あちらでサッカーを楽しんでいるだろうか。
そしてまた今年も、この日はそんな思惑に関わりなく巡ってくる。