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まあ、結局好きなのよ
サッカー
音楽
文章書き
これらは全部自分の好きなこと。
「好きこそものの上手なれ」というのは、昔からよく聞く箴言の一つであるけれども、自分はこれらを好きだが、別にうまいわけではない。
サッカーなんて、運動がてんでダメな自分は、仮に今こういう病気をしていなかったとしても下手だ。
音楽を聴くのも好きだし、わけても歌を歌うのは好きだけど、別に自分は歌がうまいわけでもなければ、音楽通なわけでもない。
文章書きに至っては、誰に見せる、読ませるわけでもない文章をシコシコと書きまくっているのだが、一向に技量が向上しているとは思わない。
サッカーや音楽はともかくとして、仮にも「野良モノカキ」を自称している自分としては、ものを書くということについては、それなりに考えることも多かったりする。
およそ2年前にもこういう文章を書いたのだが、自分は常々、義務感に依拠して文章を書くまいとは思っている。
好きだから○○をする
見たいから××を見る
聴きたいから▲▲を聴く
読みたいから■■を読む
だいたいはこういう欲求が、何かのきっかけになっていることが多い。自分はこういうポジティヴな欲望を、それらの行為の背景に、常々持っているつもりでいる。
ものを書くのもそうした物事の一つで、それについて何かしら書きたいから書いてみよう、というものに過ぎない。
そうして生まれた文章が仮に駄作であったとしても、自分はポジティヴな勘定に起因してそれを書いているのなら、それで良いんじゃないかと思っている。
最近、縁あってOWL magazineというところで、時々何らかの寄稿をさせていただく機会を得ている。
たぶん、ここでOWL magazineで何か書いてみたい、というような希望みたいなものをうっすらと書いたのが、直接的なきっかけなのだろうと思う。よく覚えてないし、実際にはたぶん違うかもしれないが。
で、今はShort Letterという短めの記事を書かせていただいているが、ああいうのは恐らく、自分が長年いろいろ書いてきたことに対する一種のご褒美みたいなもの、と思っている。
中村慎太郎さんをはじめ、関わっている皆さん、本当にありがとうございます。
まあ実際のところ、自分が書いてきたものの多くは、箸にも棒にもかからないような、しようのないものばかりだと思うけれど、それでも何も書かないよりはマシだ。
自分はここにもあるように、ほぼ瞬発力だけで文章を書いていて、じっくりと書くような機会はあまりない。
いや、じっくりと書けないわけではない。文章によっては書いている場合もある。
ただ、自分がじっくりと腰を据えて書き始めると、変に拘ってしまうのだ。細かい表現を直したがる、とかその程度ならまだいい。たぶんそういうのは誰にでもあることだ。
むしろ、「あれが足りないこれが足りない」「ああしたいこう書きたい」などが高じた結果、どんどんわけのわからないことになっていっている。
昔から自分を知っている人なら薄々わかっていると思うけど、ブログを書いたり、その前はWeb日記やWebサイトでしようのない駄文を書いていた。その頃から文章力が向上したなんて事はない。
昔は荒削りで今以上に酷い文章しか書いていなかった。今はようやく何とかかんとか読める程度の文章に着地している。但し、それを以て文章力の向上などとは思っていない。
ただ、こう、何となく、自分は書きたいと思うからいろいろ書いているだけだ。その程度の理由しかない。でもこの「書きたいから書いている」というのはとても重要で、そういうモチベーションがないと、物事は続かない。
どんなに瞬発力があっても、ものを書くのが好きにならないと、文章をたくさん生み出すことは難しいかもしれない。
そうやって文章を粗製濫造して、書くということへの強い拘りよりも、ものを書くことに慣れたい。
質は二の次で良い。そんなものは何篇も文章を書いているうちにいずれついてくるものだ。
自分の文章は下手だと思うけど、それでも数はそれなりに書いているつもりなんで(但し最近は少々サボり気味だ)多少の上積みはあるかもしれない。実際にどうかは知らないけれど。
大事なのは、量を書くこと。未完になっても良いので量はたくさん書きたいものだ。そこからいろんな気づきも生まれるんじゃないか。自分はそう思っている。
ま、とはいえ、そんなに甘いもんじゃないし、うまいことも行かないだろうとは思っているけれど。
それでも、いずれかの機会に何かをたくさん書き連ねておくのは悪いことではないだろうと思うのだ。量をこなすことで見えてくるものだってあるかもしれない。そう思いたい。
書いた文章の質がどうこうなんて、少なくとも書き手自身はあまり気にする必要はないのかもしれない。少なくとも書いている間はどうでも良い。それにそれはあとからそれなりについてくる。
如何に自分が気分良く書けるか、というのが最も重要だろう。これからしこたま連作するような人には、とりあえずそこに注意してほしい。
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