命の洗濯をしようin島根県
世間的にはシルヴァーウィークらしいが、ところで命の洗濯という言葉を聞いて、あなたは何を思い浮かべるだろうか?
戦前にはまさしく上のように「命の洗濯」という直球のタイトルの曲まで存在したそうだが、これは聴いてみたところユーモラスな感じがする。
この曲で「命の洗濯」の材料にされているのは、どうやら酒らしい。つまるところ、一杯呑んでのんびり気ままにやろうや、という意味合いの歌詞を持つ曲のようだ。
もちろん、この曲のように酒で命の洗濯をしても一向に構わないが、その一方で、私のように酒が呑めなくなってしまったような人間に、酒で命の洗濯を、というのはさすがにちょいと酷というものだ。
今は、ご存知のようにCOVID-19がこの数年来、蔓延しており、新株の登場などもあってなかなか収束の気配を見せず、我々の社会はともすれば疲弊気味ですらある。
それは政治のせいでもあるかもしれないし、我々国民の意識の低さに起因するかもしれない。
が、いずれにしたところで、誰かのせいにして事態が収束に向かうはずもないのは確かだ。
総理大臣、分科会の偉いさん、医師。それらの誰をターゲットにして突き上げてみても、それで事態が好転するわけもない。
我々の心理がささくれ立ってしまうのは、自由気ままな移動はもちろん、移動した先での振る舞いにも、大きな制限が加わってしまうからだろう。
それで、だ。
出掛けて命の洗濯をしてみないか。別に遠くまで行く必要はない。今、都道府県を跨ぐ移動は難しかろう。だから遠くに行かなくても良い。
そして、人が行かない場所を見つけて行ってみると良い。別に行き先は観光地である必要はない。Googleマップで適当な場所を見繕って、移動手段は何でも良いので、とにかく行ってみることだ。
著名な観光地なんて、人が程度はともかくそれなりに集まるに決まっているだろう。だからそういう場所は、なるべくなら避けたい。
誰もがあまり注目しないような場所にこっそり行って、それなりの時間を過ごしてみるのは、贅沢な時間の使い方だろう。
そうする際、別にカネを使う必要もない。目的も持つ必要がない。ただ時間だけを漫然と浪費すれば良い。誰に気兼ねすることもない。あなたの自由に時間を使えば良い。
以下に紹介する場所は、まあ、島根県内においては、ある意味で観光地なスポットではあるので、単純に命の洗濯をする場所かと言われても、どうかとは思うけれど、それを除いても行く価値はあるだろう。
ただ、一点ご注意いただきたいが、以下のうちの琴ヶ浜&馬路駅は山陰本線が一部区間で夏の大雨の影響で開通していないので、少々行きづらくなっているため、東から向かう場合には調査が必要にはなる。
そこはご注意願いたい。
荒神谷遺跡(島根県出雲市)
例えば、こんな風に蓮の群生する場所に行って、葉っぱを眺めているだけでも良い。何もすることなんてないが、緑色の絨毯を見ているだけで、心がふと落ち着いてくれる。
一畑薬師(島根県出雲市)
あるいは、山の中の寺にでも行って、こういうありがたい言葉をいただいてきても良い。そんなに甘いものではないことを我々は体感的に知ってはいるものの、本当に寝て待っていたら、果報が転がり込んでくるかもしれない。
そう思えるかもしれない場所に行き、そんな言葉をいただくだけでも、精神的に和らぐというものだ。
琴ヶ浜&馬路駅(島根県大田市)
こういう砂が鳴るような海岸に行ってみても良い。砂が鳴ったら儲けものというヤツだ。
駅で「マジ!?」と驚くのも良いだろう。そのぐらいの価値はあるだろうと思う。
八雲風穴(島根県出雲市)
山の中で冷たい体験をしてみるのも悪くない。
冗談でなく本当に冷たい。寒いと言うより冷たい。来るべき時期は夏に限られるのだが、山の中でややアクセスが心許ないが、良い場所だ。
確かに今は自由がないと感じて、気分がささくれ立つ現状の世の中ではあるけれど、これらに限らず、自分で場所を見つけて、適当に近場でウロウロしてみるのも良いかもしれない。
その際に、何か今まで知らなかったようなものを発見できるかもしれないではないか。
別に、そこに行こうと狙ったりしなくても、何かのついでで十分だ。ガイドブックなんぞに頼らないお出かけを、一人で楽しむ時間があってもいい。
それこそが「命の洗濯」であると思うのだ。