扉の向こうに~The Doorsの曲に寄せて~
ちょっと思い立ったネタを書いてみたい。かつて存在した、The Doorsの楽曲にちなんだ12の戯れ言を並べる。
1:Break on through(to the other side)
どんなことでも構わないが、待ち受けている結果がどうであれ、その向こう側に、突き抜けたいと思ったことはあるだろうか。
こんなしようもないおっさんにも、それらしいことを思ったこと程度はあって、実際に突き抜けたこともある。
突き抜けた先にあったものは、今となってはもうほぼ残ってなどいないが、人生を生きてきた中では、時折、突き抜けた昔を思い出したりはする。
若い時は、時々、限界を超えて突き抜けてみるのも良いんじゃないか。その先に見えたものが、ひょっとしたら、将来の君には必要になるかもしれないから。
2:Light My Fire
ハートに火をつけたら、起きる結果はともかく、自分の中の上げ上げな感触が一気に高まるような気になる。
さあ、ベイビー、俺の火をつけろ。その言葉を合図に、ちょっとした祭が始まる。誰にも文句など言わせない。言わせてなるものか。
エド・サリヴァンという無粋なおっさんは、保守派を標榜する彼自身の冠番組で、歌詞を変えないと番組に出さないと言ったそうだが、ジム・モリソンはシカトした。
彼とThe Doorsはそれで良いのだ。そうすることで、バンドが進むべき道は決定づけられたと思う。
3:People are Strange
あなたの周りにいる人々は、ごく普通の人々だろうか?
それとも、奇妙な人々なのだろうか?
どちらでも構わないが、どちらにしても、それらがあなたを決定づける要素であるなら、大切にしておくべきだろう。
あなたの周りにいる人々を、しばしばじっくりと観察してみるのもいい。人にはいろいろなタイプがある。あなたが受け入れられる人もいるだろうし、受け入れ難い人もいるだろう。
大事なことは、受け入れやすいか否かにかかわらず、彼らはあなたの周りにいる、ということを理解することだ。
4:Love me two times
気分が乗れば、望んだ人と愛し合うのに回数は厭わない。一度と言わず、二度愛し合ってもいい。
どっちにしても、自分だけ盛り上がっていてはダメで、相手の気分もシンクロしていないと、楽しめそうにない。
扉の向こうでは、何処かの恋人たちが、一度ならず二度の逢瀬を重ねているのかもしれない。
その時、あなたはそれを羨ましく思うのか。それとも、大したことは無いと思うのか。さて、どちらか?
5:Hello, I love you
あなたは、大好きな人が目の前に現れたら、「やあ!君が好きだよ!」と言える自信があるだろうか?
自分にはそれを言う自信はない。多少の羞恥心ってものがあるせいなのかもしれない。欧米の人間ならまだしも、日本の片田舎に住んでるような人間だもの。
これを、ポップサイドに振れたThe Kinksの「All day and all of the night」だと切って捨てるのは簡単なことだろう。
確かに両者は類似した楽曲だと思うが、この曲のお気楽ムードを聴くと、そんな対比が馬鹿馬鹿しく思えてしまう。
6:Five to one
この曲は「Waiting for the Sun」というアルバムに入っているが、The Doorsというバンド、若しくはその中心にいたジム・モリソンという人物ぐらい、太陽が似つかわしくない存在を知らない。
どの曲もそうだが、太陽やその下よりも、地下室の鬱々したような空間で聴いている方が、ピッタリしそうだ。
この曲に於ける、ジム・モリソンの地を這うような歌唱を聴いていると、本当に鬱々した世界に叩き込まれるような錯覚を覚える。
案外とジム・モリソンやThe Doorsにとっては、それが狙いなのかもしれないな、と最近思ったりするが、実際どうだったのかを確かめる術はない。
7:Touch me
ポップな変態。この曲はそう呼ばれるべきだ。こんなにせわしなく転調を繰り返し、しかもそれは理にかなっているのかかなっていないのか、サッパリわからない。
こういう変態じみた作風で「Touch me」と言われて、何となく納得してしまうなら、十分にこの曲に毒されているだろう。
The Doorsの浅いファンである自分の中では、この曲が最も気に入っていたりするが、陰鬱な作風が多い彼らの中でも、かなり異質な曲かもしれない。
でもだからこそ、デヴィッド・ボウイの「Sound and Vision」みたいな、素直そうに思えて実はそうでない曲なんだろうと感じてしまう。
8:Roadhouse Blues
ブルースを名乗っているものの、ブルースの定形からはどことなく外れている、そんなこの曲がたまらなく愛しい。
演奏していて、The Doorsは楽しんだに違いない。そんな雰囲気が、曲のそこかしこから溢れている気がしないか?
The Doorsはブルースバンドではなかったが、それを下敷きにした曲をよくやっていたし、そのフォーマットでは強かった。
本当は、彼らのキャリアの好調期に、こういう曲をもっとたくさん演奏させたかった。たぶん、彼らは嬉々として演奏しただろう。
9:Love Her Madly
あなたは「狂おしくなるほどに好きな人を愛したことがありますか?」と訊かれたら、何と答えるだろう?
自分にはそんな経験がほぼ無いので、否としか答えられないのが残念だが、それをしたいと思ったことは何度かある。もちろん、そんな人がいれば、だが。
ジム・モリソンが生きていた頃のバンド終盤期に、このどこかしらに憐憫の情を湛えたような曲を聴いていると、モリソンがもう少し生きていたらと思ってしまう。
もっとも、27歳前後で身罷ったポップスターの一団である27 Clubの一員に名を連ねたからこそ、モリソンは独特の存在感を醸し出せているのかもしれない。
10:Riders on the Storm
嵐を越えて走っていくものは何だろう。ジム・モリソンにはその姿が見えていたんじゃないか。
このどことなく鬱々した作品に横たわるのは、嵐を越えて走る何かの影なんじゃないかと、最近つとに思ってしまう。
鮮明な粒子じみたエレクトリックピアノの音色が、嵐の中を走って行く何かを際立たせていく。
鬱々ともの悲しい調子で歌い続けるジム・モリソンの切ない歌唱を聴いていると、この先に彼に起きる悲劇は起きないでほしかったと思ってしまう。
11:L.A.Woman
冒頭の調子外れなフレーズを聴くと、これから先の8分弱が、だんだん不安になってくる。
もっとも、あの冒頭部分はその後の歌唱や演奏を聴いてしまうと、「何てことねえじゃん」との思いに変化するわけだが。
この冗長なだけでは決して終わらない作品に通底しているのは、ジム・モリソンが感じていた何らかのフラストレーションではないだろうか。
それが何だったのかを、モリソン亡き今、我々は彼の歌唱やパフォーマンスの断片から探り出すしかない。それはたぶん、気の遠くなるような作業であると思う。
12:The End
最終曲だからこれを持って来たわけではない。この長編は誰もが納得するべき場所にあるべきだ。
それに、タイトルからして「The End」と最後に来るべきではないか。だから満を持して最後に用意した。
フランシス・フォード・コッポラは、この曲を彼の映画「地獄の黙示録」に使ったそうだが、それがモリソンの意図した使用法かどうかはわからない。
ただ、どういう使われ方をしようと、この12分近い曲が、ほんの一瞬たりとも魅力を損ねることだけはない。
扉の向こうに~結びに変えて~
ここまで並べてきた12の個性溢れる作品群から、皆さんはどんな印象を抱いただろうか?
The Doors及びジム・モリソンは、確かにロック音楽の中にあっては、何処か演劇的というか、少々異質なパフォーマーかもしれない。
ただ、この変なフロントマン率いる変なバンドは、中心人物のジム・モリソン亡き今でさえも、妙ちきりんな存在感を湛えながら、現代を生きる我々の魂を激しく揺さぶっている。
The Doorsの、ほんの上っ面しか知らない自分のようなファンでも、妙に惹きつけて止まない不思議な魅力が彼らにはある。
だから、後先を一切考えることなく、その扉の向こうに、時々無性に行ってみたくなる。
基本的に他人様にどうこう、と偉そうに提示するような文章ではなく、「こいつ、馬鹿でぇ」と軽くお読みいただけるような文章を書き発表することを目指しております。それでもよろしければお願い致します。