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サッカー「ファン」でありたい
いきなりだが、自分はサッカー「ファン」である。しかし、サッカー「マニア」ではない。どっちでも似たようなもんだろ?という意見も、確かにそれはそれで一理あるが、しかし、それでも自分はサッカー「ファン」である、いやありたい、と強調して言っておきたい。
皆さんご存知のように、自分にはガイナーレ鳥取やSC鳥取ドリームス、デッツォーラ島根EC、湘南ベルマーレなどという贔屓チームがある。それらの存在を以て「ホラ見ろ、やっぱおめえ『サカヲタ』じゃん!」と断ずるのは非常に安易なことだと思う。別に否定はしない。
なれど、それでも自分はやはりそれでも一介のサッカー「ファン」を自称し続けると思う。何故か。
1:サッカーを好きになった理由
実は明確にこれこれこういう理由で好きになった、というものはない。自分の子供時分は野球が国民的なスポーツだったし、プロ野球の全盛期でもあったが、小学校高学年の頃、サッカー部に入った。スポーツ全般が苦手な自分にとって、プレースキルはないに等しく、正直に言えば明らかに「おみそ」なのだが、それでも小学校のサッカー部経験はとても楽しかった。試合に出たわけでもないのに。
結局、中学校にサッカー部がなかったので、そこで自分の運動部経験は突如として終わりを告げてしまう・・・が、それで良かったのかもしれない。だいたい、ガマンとは程遠い自分が本格的に理不尽であろう運動部でうまくやっていける自信などあろうはずがない。
そんな中学校時代の体育の授業中、サッカーをやることになり、なぜか(タッパもないのに)ゴールキーパーをやることになってしまった。ま、単純に引きが悪かっただけだが、この際、恐らく誰かと(相手は覚えていない)接触したか何かで、右手首を捻挫してしまった。しばらく右手の脱臼癖がついた記憶があり、30代頃まで時折手首の痛みがぶり返すことがあった。
でも、そういう経験があったとしても、サッカーそのものを嫌いになることはなかった。
テレビでトヨタカップを見たからだ。ジーコ(フラメンゴ)の時か、レナト(グレミオ)の時かはハッキリと覚えていないが、たぶんその辺りから見たのだろう。年1の冬の恒例行事になった。
そこに出てきた、決して身体がデカいわけではないフランス人が好きになった。ミッシェル・プラティニである。あの国立競技場のピッチに寝転んでみせたことで有名になる幻のゴールで、プラティニの名前は自分の中に刻まれた。ダンガリーストライプのユヴェントスのユニフォームも、とても印象的だったが、中でもちりちり頭のフランス人には参った。
数年後、同じイタリアのACミランがブームを巻き起こした。ルート・グーリット、フランク・ライカールト、マルコ・ファンバステンという、俗に言う「オランダトリオ」が席巻した頃だ。このトリオと、コロンビアのナシオナル・メデジンが死闘を繰り広げた。
だが、この試合を決めてみせたのはオランダトリオではない。アルベリーゴ・エバーニ。この選手のフリーキックがイギータの壁を貫いたわけだ。
あとで知ったが、このエバーニ、実は自分と誕生日が同一(1月1日)らしい。ま、そりゃどうでも良いけど。ただ、この翌年にはグーリットも揃ったオランダトリオが大活躍するが、実はその時より、むしろこの1989年大会の方が印象深い。
今はトヨタカップなどという名称はなく、クラブワールドカップなどという大仰な名称に変化し、参加チームも南米欧州のみならず、北中米・アフリカ・アジア・開催国と増えている。
しかし、自分にとっては、やはりトヨタカップなのだ。ヨーロッパ=サウスアフリカ・インターコンティネンタルカップ、という一応の正式名称はあるが、そんな長ったらしい名前で呼ぶ人を誰1人知らない。
そこまでが、自分のサッカーを愛好するきっかけになった。
2:Jリーグ爆誕
1993年。Jリーグが誕生した。プロ野球にさほどのめり込むような感じでなかった自分にとって、Jリーグの登場は強いセンセーションだった。俗に言うドーハの悲劇もあり、世界的には未だ強豪とは言えない日本のサッカーではあったが、Jリーグが生まれたことで潮目が変わるかも、と何となく思うようになった。
そして、ジョホールバルでの出来事が数年後に起こるが、それはそれとして、当時最初のフェイヴァリットチームができた。ベルマーレ平塚だ。何だか格好良かったのだ。若々しい魅力というのか、Jリーグに上がって最初の試合でヴェルディ川崎相手に0-5で完敗したが、その様子を見ても「何だこいつら、弱え、ダセえ!」とは全く思わなかった。この若いチームはそのうち何かやるだろうな、などと思った。そして、この同じ年に、ベルマーレはヴェルディを負かすことに成功する。何とも痛快な話ではないか。
今でこそ、地域名がチーム呼称として認められるようになったので、チームは湘南ベルマーレという名前になったが、今も変わらずこのチームにはシンパシーを抱き続けている。
今持ってる、数少ないベルマーレ関連のギアの1つがこれ。最初期のベルマーレのシャツだ。ベルマーレの試合には何度か行った。バードスタジアムでサンフレッチェ広島と試合をした時も行っている。
2000年の天皇杯で松江に来た時も行っている。あの時は、何となく応援に混ぜていただいた。楽しかった。
その後、2003年の鳥取での雪中天皇杯にも行った。最初は行くつもりがなかったが、浦和レッズに勝ってしまい、ベルマーレがバードスタジアムに来ることになったのですぐにチケットを買った。
だが、前夜行こうとしたらどか雪が降ってきて、さんざんな目に遭った。あの時はもう本当に地獄だった。斐川で軽くスリップし、事故りそうになったのを皮切りに、米子に着くまでに何度か死ぬ思いをした。雪が小やみになるまで米子で休んだ。
米子を出てからも、当時は高速道路なんてものがないので、死ぬかと思った。ただ、難所かと思っていた魚見台は融雪設備のおかげもあって意外に快適だったが。で、鳥取に着いた時、さすがに少し一眠りして昼前ぐらいにバードスタジアムに行ったら、試合開始がディレイになっていた。懸命に雪かきの真っ最中だった。しかも、湘南サポーター御一行様がほぼ着いていないという状況。自分も応援に混じることになったが、これはこれで楽しかった。ただ、後半は風向きが自分たちの方に来たので、吹雪がモロに顔面直撃して痛えのなんの。勝ってりゃ甘美な思い出だったのにな。でも、負けたけど、この日の清水戦はとっても楽しかった。
まあ、まさかこの試合で決勝点を取ったお人が、後にガイナーレ鳥取の監督をするなどとは思いもしなかったが。
3:SC鳥取やFCセントラル中国と出会った
これらのチームとの出会いについては何度も書いているので、ここでは省略する。以下をご覧あれ。
それぞれチームカラーも特長もまるで異なるチームだが、共に自分のフェイヴァリットだし、自分のサッカー観を形成しているチームという言い方ができる。
観戦スケジュールを組む時も、基本的にはガイナーレ鳥取が最優先、次はデッツォーラ島根とSC鳥取ドリームスと優先順位を決めていくようにしている。
本当はもっと身体が動けば、もっと自由に観戦計画を組むだろうと思うが、今の自分はそれができにくい。
脳梗塞を再発させてからは特にそうだが、長距離は列車移動を基本にしていて、自分で自動車転がして移動するのはおよそ半径60km程度までにしている。もっと乗れるとは思うし、現に少しだけ遠くまでなら自分で運転したことだってあるが、再発後は原則を守っている。何故って、怖いのだ。
そして、夜もあんまり出歩くのは避けたい。自分の住んでいる街ぐらいは良いが、あまりそれを越すのも嫌だ。移動範囲はきわめて限られるが、それでも全く出歩かないなんてことはない。とりスタやチュスタにはデイマッチなら行くし、他の試合だってそうだ。
4:サッカーとはデヴィッド・ボウイが歌う「Sound and Vision」のようなもの
デヴィッド・ボウイに「Sound and Vision」というシンプルきわまりない曲があり、自分も彼の曲中でもとびきり好きなのだけど、その中で「音と映像に驚嘆することはないか?」とボウイは問うている。
サッカーは常に驚きに満ちた「Sound and Vision」のようなものだ、と自分では常々思っていたりする。
かつて、プラティニ、オランダトリオ、いや、エヴァーニのフリーキックに驚嘆した頃があり、Jリーグを目の当たりにし、JFL、更には地域リーグに都道府県リーグ、男子だけでなく女子サッカーも見るし、高校生年代だって時々見ることもある。そこでは常に何かしらの驚きが待ち構えている。その驚きに身を任せてみるのも悪くはない。
例えば。どんなサッカーでもいい。それこそ、テレビで見るUEFAチャンピオンズリーグでも、リーガ・エスパニョーラやプレミアリーグ、ブンデスリーガ、セリエAなどの欧州主要リーグでも、南米各国でも当然結構だし、Jリーグでも、アジア諸国のリーグでもいいし、中東でもアメリカ大陸でも、何処のリーグでも構わない。近くで見られるような〇〇県〇部でも構わないし、それをやっているのが少年でも少女でも成人男性でも成人女性でも構わない。
レベルがどうたらだの、そんなカッコをつける必要なんてないし、通ぶって人に無用の見栄を張る必要もない。どうせサッカーの深淵など、経験者や知識人でもない我々になんぞわかってたまるか。それぐらいの開き直りをベースに見ていればいい。
サッカーは理屈がわかっているとより深く幅広く楽しめるものだろうけど、理屈に関係なく楽しめる。だってそうだろう。最終的には敵陣奥深くにあるゴールマウスにボールを叩き込んだら1点が入るんだから。
あなたの目の前で繰り広げられている「今そこにあるサッカー」は、いつだってあなたに何らかの驚きや発見をもたらしてくれる。それは小さなものかもしれないし、途轍もなく大きなものかもしれないが、その種類や程度が何であれ何らかの「Wonder」をもたらしてくれる。サッカーとはそういうものなのだ。
自分はサッカーに関わり続けつつたくさんの時を過ごしてきたし、たくさんの人々に出会った。いい出会いばかりとも言えないけれど、充実したいい出会いもたくさんしたつもりだ。
選手・監督・関係者、立場の別なく応援するチームも様々なたくさんのサポーター、いろんな人々に出会った。この先、あと何年生きられるかは知る由もないけれど、生きてられる間は、サッカーに限らずいろいろな出会いをしたい。
サッカーは、音楽と並んで、自分の人生を彩ってくれる大事な要素の1つだと思っている。音楽も幅広く、いろんなものに触れてきた。クラシックも空きだしポップスも好き。ロックは言うまでもない。自分はローリング・ストーンズのファンを長年公言している。こんなnoteも書いたほどだ。
挙げ句、自分で曲を作ったりもする。馬鹿だ。だが、作った曲たちは、我が子みたいにかわいく思えるものだ。よく聴いてると不出来この上ないのに。
音楽もこんな感じで自分の良き友である。サッカーと音楽が、今のところは自分のベストフレンドだと言って良いかもしれない。順位はつけられない。どちらも大切だ。自分にはパートナーがいないから、結局自分で何らかの相棒を見つけないといけない。それが自分の場合はたまたま、サッカーであり音楽であるに過ぎない。
そういう孤独な人生を、結局選ばざるを得なかった自分の不明を今更恥じたところで、時間が戻ってくれるわけでもなければ、その間に失ったものたちも取り戻せるわけではない。あんまりいい人生を送ってきているわけではないけれど、それでも50年の人生で、そんな風につきあえるものが見つかったというだけでも良かったのかもしれない。もっとたくさん見つかっていたら、なお良かったのだろうが、それ以上は望みすぎというものだろう。
5:これからのサッカーとの関わり
かなり脱線したので話を戻すが、特に馴染みのチームがサッカーをやっている会場に行った時、知った顔に出会うと安心する自分がいる。別にその人らと何かするわけでもないのに。彼らは彼らの仕事があるのに。自分みたいなカジュアルなだけの観戦者ですら、何だか覚えてもらえてると嬉しくなる。
こういうものをやっているせいなのかどうなのか、何だかツラが割れてしまった感がある。別にこのクソマズいツラを晒した覚えはないんだが。ただ、身体がまだ病気でなく応援行為をしていた頃はスカパー!の中継にはしょっちゅう抜かれていたらしい。
ま、だいぶ長いこと、鳥取サポーターなんてものをやらせてもらってるが、別にだから自分は特別だとか思ったことはない。単に古株以外の何物でもないのだから、当然と言えば当然だ。
今のサポートのメインストリームには、今応援に熱を入れている人々が据わるべきで、俺みたいに(身体の状況に起因するとは言え)応援行為をしなくなった人間はお呼びでなく、他のことで力を貸せたらいいや、ぐらいに思ってる。
それよりも自分はスタジアムに行ったら、自分で居場所を見つけて、いろいろ楽しめればいいやって思ってる。試合結果は、そりゃ勝った方がより幸せにもなれるだろうし、スタジアムの雰囲気だって格段に良くなるのだから、勝てるか、勝てないにせよ引き分けたぐらいの方が良いとは思う。でも、敗北からも得るものはあると思う。プレーヤーだけでなく、観戦し応援する我々の側にだって。そう思ったら、スタジアムに行くこと自体は別に苦ではない。好きで行くんだもの。義務じゃない。
これから先も、自分は自分の好きなようにサッカーを見たいし、関わっていきたい。そのために楽しもうとは思うし、言うべきかなって思ったことはできるだけ言おうかなって思ってる。
もちろん的外れなことを言ってしまう場合が多いんだろうし、それでいろいろと言われるのもしょうがないだろうな、とは思う。でもまあ、今までそうやってきたし、これからもそのスタイルはなるべく変えない。
少し前に亡くなられたデッツォーラ島根の若三康弘さんが掲げていたデッツォーラ島根のモットーとなったフレーズが大好きだ。
「楽しく、厳しく、いい加減に」
若三さんのこのフレーズだけは、いつも心に刻んでいこうと思っている。それは、自分がサッカーを楽しむ時に、最も大切にしたい部分だから。楽しくサッカーを見て、でも時には厳しい視点もあって良いと思うし、だけど人間って結局はいい加減なもんだから、最終的には何だかいい加減に納得しちまえ、ぐらいでいいんだなって思う。事細かに突き詰めていくのもいいけど、そればかりでは息が詰まってしまうかもしれない。だから、イイ感じで力を抜く時があって良い。
サッカーとは常にそんな風に「楽しく、厳しく、いい加減に」つきあえたら最高だなって思う。もう、今はそれでいいやって思っている。ここまでグダグダと書いてきたが、つまりサッカー「マニア」であるより、サッカー「ファン」でありたいな、というのは、案外とそういうことなのだな、ということである、という話。結局結論はそれかよ、などと言わないでね。
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