パーパス、ホールネスを意識すると生き方はどう変わるのか?
ここ数年、芸能人の方のキャリアも変わってきているように感じます。
もちろん一身上の都合とか、私生活を優先したいといったことはあると思いますが、人気絶頂のタイミングで引退や所属事務所の退所を選んだり、芸人や俳優がキャリアアップのために海外にいったりするのが当たり前になってきました。
そんななかで、何気なくタイムラインに流れてきたこちらの記事…
写真:婦人公論.jp 記事より(https://fujinkoron.jp/articles/-/2040)
ブルゾンちえみこと、藤原史織さんのインタビュー記事です。ご覧になった方もいらっしゃるでしょうか。
偶然開いた記事でしたが、彼女の語っている内容やエピソードが発達段階における統合的な発達プロセスを辿る例として分かりやすいので、まだの方は最初にご覧になってください。
読んでピンと来られた方もいると思いますが、特に自覚する本来のパーソナリティと、ブルゾンちえみという正反対の仮面を被っていたという話は、ティール組織におけるホールネス(全体性)にも近い印象。自分のなかでブルゾンちえみという異なるアイデンティティの存在をメタ的に捉えていますね。
また、いかに生きるかを考え、今回の決断に至ったストーリーについても、フレデリック・ラルーが話してたパーパス(目的)に関する話に重なるところがあったように思います。
記事を読んでいて、まさに成人発達理論でいうところの自己主導・自己著述段階、第4段階からグリーン~ティールの入口となる第5段階への歩みのようだなと感じたわけでした。
パーパスに沿って生きる
これまでは社会的成功=経済的成功であり、それがそのまま幸福という構図になっていた。まさにアンバー~オレンジの世界。経済成長志向パラダイムです。
ブルゾンちえみさんがいる芸能界といえばセクハラ、パワハラ、モラハラという言葉が世に生まれる前から蔓延していた世界…枕営業なんて表現もありますが、女性や立場の弱い人はたとえ理不尽でも強い師弟関係や権威を持った人に従わなければ食べていけないような世界といえます。
成功をするためには我慢することは当たり前。だとしても、我慢したところで成功できる人はほんの一握り。ましてや一度手に入れた立場や地位を手放すなんてことは恐ろしくてできない。
頑張って売れたら売れたで、今度は意に沿わない嫌な仕事や所属組織との軋轢が増えてくるというのも想像に難くないです。そういう意味では、少し前に話題になった吉本興業の契約問題、一連の騒動は象徴的ですね。
有名税とも言われますが、顔と名が知られる=フォロワーの増加となり、SNSでの炎上リスクも飛躍的に上がります。不貞行為やファンの信頼を裏切ることが1回でもあったなら、もの凄いことになるのは言うまでもないでしょう。厳しい世界とはよくいったものです。
好きなことをしているはずなのに、生きたいように生きられない。仮面を外して生きていくのが極めて難しいのがテレビ等のマスメディアを中心とした芸能界というパラダイムなのだと思います。
そういう意味では、ブルゾンちえみこと藤原史織さんが自らを偽っていられなくなったという違和感からの決断は大きな意味があるように感じます。
彼女を一貫性がないという評価もあるようですが、フレデリック・ラルーがカンファレンスでベストセラーになっているティール組織を一区切りにして気候変動を今後の活動テーマとすると表明したように、自分自身に流れてくる目的(パーパス)に耳を傾けて、自分の身体感覚と対話した結果まったく違う生き方を選択するということは変なことではないように思います。
こうあってほしい、こんな彼女認めたくないと押し付けるようにいうのは、他者が抱く願望でありひどく身勝手なものです。
一般的な職と同様に、これから芸能界におけるキャリアもどんどん変わっていくかもしれませんね。
芸能人と芸能界でホールネスが受け入れられるようになる日は訪れるかは分かりませんが、人と社会の進化によってこれまでの常識が変化していくのは間違いないでしょう。
ブルゾンちえみさんの特段ファンという訳ではなかったですが、今後彼女が藤原史織としてどんな活躍をされていくのか楽しみになりました。
パーパス、ホールネスを意識するとどうなるか...それは、自らに体に起きた身体感覚の兆しもごまかさず、生きたいように生きるということに身を委ねるようになる。まさに自己を開いた自然体な生き方へとシフトしていくのかもしれませんね。
この点については、まだまだ考察のしがいがありそうです。