「よき相談」とは何か?誰もが誰かの支援者になれる時代の支援の在り方
今回は記事の紹介はないですが、最近興味深い出来事があったので、それをご紹介しながらタイトルにある「支援の在り方」についての考えを述べてみたいと思います。
教員、コーチ、カウンセラーなど対人支援を生業にしている方やサービス業の方、誰かの力になりたいと思っている方の何かの参考になれば嬉しいです。
きっかけは美容室での会話
5年前に新潟にUターンし、現在はこれまで住んだことがなかった新潟市内のエリアに住んでいます。
馴染みのお店も特になかったので、髪を切るの場所も転々としながら気に入るお店を開拓し、ここ3年くらいは雰囲気の気に入ったあるお店で切ってもらっています。
最近、担当してもらっているスタイリストの方は20代後半の女性の方。
自分が話し好きということもありますが、世間話に留まらず職業柄ついキャリアや働き方に関する話、時にはスタイリストさんの人生相談に乗るのようなことも髪を切ってもらいながらしています。
そんななか、先日訪れた際にスタイリストさんから、このご時世で感染が怖くて通えていなかったが、久しぶりにお店に来てくれているというお客さんとの会話の変化について話を聴きました。
それは、これまでは他愛もない会話、たとえば美味しいお店や家族やパートナー、仕事の愚痴のような話をよくしていたが、最近は先行き不透明な情勢もあり、漠然とした不安やこれからの生き方といった悩みのようなお話をしてくれるお客さんが増えたとのこと。
本来は伸びた髪を切ってもらうことが目的のはずですが、顔馴染みのスタイリストということもあり、リラックスしてつい自分の胸の内を吐露される方もいるのでしょうね。
美容室は身なりを整える衛生的な意味、そして美しくなりたいという嗜好的な投資の意味で使われてきましたが、他人との距離を取ることが求められ、人と会話する機会が限られたことで、こうした場に新たに福祉的な意味が出てきたのではないかと感じました。これは美容室に限らない話です。
ともすると、本来カウンセラーやコーチのような存在が公式に担っていた役割を、身近なサービス業の方がその役割を非公式に担う機会が増えているとも言えるのではないでしょうか。
スタイリストさんは「そうした際にどんな言葉を返したらよいのか。相談に乗ったり助言をすることはとても難しい」と話してくれました。
髪を切る、メイクをするという技術を学んでこられたプロの方々ですから、礼節などを除くけばコミュニケーションについては俗人的にならざるを得ないはず。そりゃあそうです。
この一件から、私の中で改めて”よき相談とは何か?どうあるべきか?”という問いが浮かびました。
非公式な支援関係の難しさ
本人の意思とは関係なく「非公式な支援者」にならざるを得ない状況があるということをお話しましたが、相談者…つまりお客さんはこの時何を求めているのでしょう。
具体的な解決策を求めている?それとも聴いてもらいたいだけ?
いや、そもそも本人は相談という自覚すらないかもしれない。
カウンセリグやコーチングのような「公式の支援関係」であれば、相談に来てもらった段階で自分が果たすべき役割が分かります。直接相手にも相談内容や意図を確認することができますが、非公式な支援関係ではそれも難しそうです。
かといってカウンセラーやコーチといった公式な支援を積極的に利用する風習があるかというと、日本では文化としてまだ根付いていないように感じます。
私も対人支援職としてキャリアコンサルタントをしていますが、同業者の方と話しているとよくこの資格だけでは食えないといった悩みが聞かれます。
公式な支援関係ではない状況で相談を受けた際、どのような関わり方をすれば自分(支援者)も相手(相談者)にとっても有意義な相談となるでしょうか。
専門家ではない立場で、どういった姿勢や関わり方が大事かを考えてみたいと思います。
よき相談とは何か
支援者と相談者、それぞれの立場でどうなったらよいかというのは異なると思いますが、「よき相談」の条件について整理してみましょう。
よき相談の定義をすることは容易ではないので、前提として相談場面での避けたい事態を考え、そこから”よき相談のイメージ”を導いてみます。
相談によって避けたいこととして以下が挙げられそうです。
1.支援者の発言を鵜呑みにした意思決定
相談者を操作しようとする時点でそれは支援ではないが、そうでなくとも支援者の不本意に、伝えたことを相談者が自らの頭で考えることなく、結果として鵜呑みしたような安易な選択に至ってしまう
2.相談者がその後、後悔の念を抱く
支援者がどのような関わり方をしたにせよ、結果として自分が関わった相談者が選んだ選択によって後悔をしてしまう。
3.依存的な関係
何らかの選択後も、逐一どうしたら良いか?と聞いてくるような精神的に自立ができていない状態になってしまう。相談者の意思が弱く不安定で、支援者の存在が心強く、かつ他に頼る相手がいないようなときに陥る可能性がある。
4.問題解決的なかかわり
相談者の問題を支援者が解決しようとしてしまうようないわゆるソリューション的な関わり。支援者というよりはコンサルタント。一見すると良さそうだが、これは相談者が自らの力で問題を乗り越えるという成長機会を奪っている。アドラー心理学でいう課題の分離。
5.一般化の罠
相談者の問題状況に対して支援者の過去の経験を活かすことは悪いことではないが、その経験が絶対のように映ってしまうような関わり方。たとえば自分が勉強や仕事で我慢してきたからこそ成功したという価値観を持っており、我慢が何より大事だと相談者に示唆すること。自身の体験を世の真理だと思いこんでしまう。
これらを背景に”よき相談のイメージ”の言語化を試みます。
・支援者の意見を踏まえた上で、それらを参考材料に相談者が自らの意思と価値観で後悔のない意思決定ができる
・相談者がその選択の結果を受け入れる心構えが出来ており、問題と向き合うことを通して成長に繋がっていく
・支援者は、自らの体験や考えは一つの例であり、あくまで助言であるということに留め、相談者の選択肢と選択軸を増やし自己決定をするための勇気づけが役割であることを理解している
いかがでしょうか。
もちろん人によっては異論があるかもしれませんが、少なくとも私はこんな相談が実現できればお互いにとって良かったなぁと思えそうです。
よき相談において大事なこと
先述の条件を思い浮かべながら、相談場面で大事そうなことを具体的なポイントとして最後に挙げてみます。
一つ目は選択肢・選択軸を増やせるよう意識することです。
相談者の問題が大きくて悩みが深刻であればあるほど、視野は狭まります。
人間は恐怖や不安を感じると創造性が失われてしまうということが研究で分かっており、これは相談場面でも言えることです。
相談者からの話を聴いていくなかで、思い込みや固定観念があれば、それをちょっとオブラートに包みながらも指摘し、「こういう考え方もできるかもしれませんよね」と伝えることで、問題に対して異なる捉え方ができるようになるはず。視野狭窄に陥っていることに自ら気づくということですね。
そのオブラートの包み方が難しいという声が聞こえてきそうなので少し補足すると、「でも、だって、そうではなく」といったいわゆるyes,butから始まる表現を避けるようにし、「加えていうと、たとえば、もしかすると、私だったら」といった、yes,andの表現を意識してみるのも効果的です。
私が日常的な相談場面で意識しているのは、相手の意思を最大限に尊重しながらも相手の選択肢・選択軸を拡張するため必要な情報提供を行い、思考整理のサポートをするよう心掛けています。
2つ目は自己決定感を大事にすることです。
相談者は相談する前から実は答えが決まっていて、でもその選択を選ぶための勇気がないためにあなたに話を聴いてほしいということもあるでしょう。
成功か失敗かは、当たり前ですが選んでみないと分かりません。人生において絶対と呼べるような選択などむしろないのではないでしょうか。
選択した結果を受け入れられることができれば、仮に不本意な事態になってもそこから人はいくらでも学ぶことができます。
だからこそ、大切にしたいのが”自分でこの選択は選んだ”という自己決定感です。
後悔しない選択を選ぶためにも、この自分で選んだことが重要ではないでしょうか。
独立行政法人経済産業研究所(RIETI)の実証研究で、日本の幸福感と自己決定による調査を行ったところ、幸福感を決定する要因として「健康であること」「人間関係」に次ぐ要因として高かったのが「自己決定」であることが分かったそうです。
極端に言えば、自己決定感がもたらす幸福度は所得や学歴を凌ぐのです。
かつては高所得や高学歴が幸福につながると考えられてきましたが、様々な研究によってどうやらそうではないということが分かってきました。
近年そうした信仰も薄くなりましたが、この研究では日本の幸福度の低さは「人生の選択の自由が低い社会」に起因するのではないかとしています。
※以下の参考にした論文です
そういった意味では、相談場面でも本人の自己決定感の有無が、相談そのものとその後の結果の満足度にも繋がるといえるのではないでしょうか。
ちなみに、冒頭の美容室でのお話でもスタイリストさんにこの話をしたところ、「髪型髪色をお客さんに相談されるが、なかには後日気に入らなかった、直してほしいと言われることがある。相談を受けたときの提案の仕方、薦め方で本人が選んだとしても満足感は変わるのかもしれない」と話してくれました。
自己決定感と満足度の関係、興味深いです。
そして、最後の3つ目は”ともにある”という姿勢です。
なんか抽象的だなと思われたかもしれませんが、英語の表現を使って話すと分かりやすいかと思います。
相手に何か言葉を送る際に、私たちはどのような姿勢で相手に伝えているかの違いを表す表現としてto someoneの姿勢、for someoneの姿勢、with someoneの姿勢があります。
to someoneの姿勢は「相手に伝える」です。文字通り自分の視点で、どう伝わるか・いかに伝えるかという意味合いが強く表れています。相手は置き去りになっているone-wayな状態です。
for someoneの姿勢は「相手のために」です。相手を考えているようにも見えますが、伝える側には何かしらの意図やニーズが含んでいます。相手のためにと言っておきながらも、そのエゴが欺瞞になる。漢字でも人の為と書くと”偽”となりますが、まさに偽りの支援です。
with someoneの姿勢は「相手とともに」です。相手に伝えた言葉がどう相手に伝わり、その言葉がどのように廻っていくのかを想像する。また、相手に伝えた言葉は自分なかでも言霊のように還ってくる。相手がどんな選択を取ろうとその選択を応援し、願わくばその結果が相手の未来の可能性へと繋がっていって欲しいという祈りのような感覚です。
自戒の念も込めて言うと、皆さんがこれまでの人生で経験してきた相談場面では、どの姿勢を取ることが多かったでしょうか?
相談されるとつい的確なアドバイスができることや、よい結果につながるかなどに目がいきがちですが、with someoneの姿勢で相手と向き合えるだけで、非公式な支援関係であってもすでにその役目を私は果たせているではないかと思います。
この投稿が非公式な関係の相談者、支援者双方にとって、ご自身を見つめ直すきっかけになることを願っています。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。