世界トップクラスで大人が学ばない国・日本。その理由はどこにある?
今回は色んな観点が含まれていてとても興味深かったこちらの記事。
コロナでこれまでの当たり前が変わりつつあるなかで、多くの皆さんが何かしら学ぶ必要があると理解しつつも、記事にあるように「そもそも自分が何を学べばいいかが分からない」という方、多いかもしれませんよね。
よく分からないために成果が見えやすく、学び方が体系化されており、評価につながりやすい資格に安易にいってしまうのではないでしょうか。
テーマである大人の学びについては、”日本は世界トップクラスで大人が学ばない国である”とパーソル総合研究所の国際的な調査の結果で明らかになり指摘されています。
こうした結果の背景には日本特有のメンバーシップ型組織や終身雇用などの雇用環境も影響していると考えられますが、学校での被教育経験によって多くの人が学びに対して受動的となり、勉強=辛いものという構図が出来上がってしまったのではないでしょうか。
つまり、評価に関わることしか学ばないということが日本の大人の大半の価値観なのではないかと考えています。
学び方が分からない問題に話を戻すと、知識を詰め込んでばかりの苦役のような受動的な学びの体験によって、日本人は自身の学んできたことや経験したことのメタ認知(俯瞰的に捉える力)や相対化が苦手で、どうやって効果的に学ぶか?という学び方も知らないために、必要性を感じても動けないということもあるかもしれません。
記事にもありますが、学校教育で注目されている「学びの個別化」は社会人に関してもいえると思います。
学校教育の「学びの個別化」は皆で同じものを・同じやり方で・同じペースでという従来の考え方から脱却し、興味関心に応じて・一人ひとり異なるやり方を・各々のペースでという意味ですが、大人の学びもこれからそうなっていくのではないでしょうか。
産業構造が激変し求められるスキルの複雑化が進むなかで、資格などの一部の形式知は数年後には使い物にならないことも今後は起こり得ます。
形式化された知とは、解りやすい例でいえば運転免許です。
交通規則は時代によって多少変わりますが、基本的な運転技術とその技術を学ぶ効率的なシステム、学習プロセスはほとんど変わっていません。形式知は成果の評価基準も明確です。
しかし、今後自動運転が普及していくことが起これば、これらの形式知の必要性も変わってく可能性があり、ともすれば資格自体の価値も変わります。英語や簿記などのスキルもAI技術の発達によってはどうなるか分かりません。
資格を取得すること自体は全く否定はしませんが、学ぼうと思い立ち、安直に資格取得に至ることはオススメできません。
「他の人が持っているけど、自分は持っていないから」「評価に関わるから」といった横並び思考や評価を意識した理由も考えものです。
これからは学びのための学びに終始せず、自らの意思でアウトプットを意識して学ぶことが大切です。
自らの仕事のなかで形式化されていない、言語化が十分にされていない経験的な暗黙知・実践知を創り出し、それらを職場内外の多様な関係性のなかに持ち寄り対話的なコミュニケーションを通して学んでいく必要もあります。
職場が与えてくれる機会に甘んじず、自らの学びをハンドリングしていきましょう。
僕自身も、この大きな変化の渦の中で何ができるようになるか(Doing)より、まずはどうあるか(Being)を考え試行錯誤しています。
本来、学びとは遊びが原型となって生まれた言葉だそうです。遊びの感覚は人間の脳を活性化させるといいますが、日常のなかでプレイフル(playful)になれる学びの機会をつくっていきたいですね。
評価されるための学びから、人生を開く楽しい学びへ。
手段に囚われず、今こそ皆で学び合っていきましょう!