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Twitterにて始めた1人遊び。その名も【顔、人生、そしてそれらの関係性。】(増補版)
※スタート時点からかなり変更等あるので、増補版という形で再投稿。
※加筆等箇所は太字にて記載しています。
Twitterにて1人遊びを始めた。
https://twitter.com/faceliferel
Twitter の説明文だけでは物足りないと勝手に判断かつ note に書き込みテストをかねて、色々とだらだらと書いてみる。
ちなみに、いま聴いているのは Jason Halliday の Jason Halliday というアルバムである。
まずは、基本的なルールとして。
・毎日1名の顔/名前/性/年齢/職業/人生/『』口癖もしくは持論等
・その人を毎年更新(2018年1月1日・2019年1月1日・2020年1月1日は1年後2年後で同じ人となる)
・ハッシュタグは検索用(月/日/年)
→検索方法が変わったのか、フォローしている人だけで検索可能に。ただ、関係性を表示させる際にハッシュタグがあると便利なため、引き続きハッシュタグは採用する。
・都合により更新日が前後する事あり
・※始まりの呟きは消去対象
・2020年1月1日より再開(2019年の途中より中断…申し訳ない)
2018年の元日より、ほぼ日手帳の週間ダイアリーに記載を始め、それをTwitter にてつぶやき始めた(2020年からは、ほぼ日5年手帳へ移行)。全てが勝手な想像で、当然のようにフィクションだ。初めに顔を描く。その顔を見て、名前から何から想像で書き進める。それだけである。それを毎日1人。描いては想像して、そして書く。
わざわざ Twitter でアカウントをつくり、つぶやくなんてことをしているのは、描き忘れがないよう保険をかけているということと、見返すのに便利だからである。去年の顔はどうだったかを、去年の手帳を持ち出して調べるのは誠に億劫だろう、と。それだけだ(ほぼ日5年手帳に変更したのでわざわざTwitter上で確認をしなくてもよくなった…それでも5年後には見返すということが起きてしまうのだが)。
ちなみに、いまは喉が痛くて、風邪気味な気分でもある。
手探りで始めたところがあるので、最初の数人は検索用のハッシュタグがついていなかったり、書き間違いがあったりもする。まあそれはそれ。今日が晴れているからといって、明日も晴れているは限らない。今後も、曇ったり雨が降ったりすることもあるだろうけど、自然とはそういうものと思いつつ、整備等を進めていこうと思う。
ちなみに、いまは珈琲をブラックで飲んでいる。
毎日、1人分のつぶやきだけなので、一年で365つぶやきとなる予定(これは中断があったため、断念というかすでに崩壊していて…特に意識しなくなった)。1年後も同じ人を描き、1年間での成長過程というか老化過程というか、そういうところも楽しみつつ描いていきたい。
ちなみに、今年の365人が来年の365人と同じとは限らない。
『皆さん、ご存知のように人は生まれたり死んだりするんですよ!』
いつの間にか、人が変わっている時はそういうことだと考えてもらいたい。むしろ、それに気付けたら凄いという話でもあるのだろうけど。
※亡くなった場合もそれがわかるようにしようと画策中。
何月何日のこの人と、何月何日のこの人が、友達である、ということもありえるし、今後はそういったことも書く予定。アカウント名にもある、それらの関係性である。友達、家族、知人、職場の同僚、学校の先輩後輩、色々と考えられるし、どれをどう当てはめていくかも腕の見せどころという気がしないでもない。それらも当然のように手帳に記載ということになる。が、今年の手帳にそれを書くと、数年後もそれらの手帳を見返さないといけなくなるということか? いやはや、それは勘弁。勘弁太郎。別の案を考えないといけない気がしてきたな。うん。考えるとしよう。
ちなみに、いまは Jason Halliday の3周目である。
閏年なんて素晴らしい日が今から待ち遠しい。4年に1度しか手帳に現れない人なのだ。
『待ち遠しいという気持ちを常に作っていけたらいい』
どんな人なのだろう。今からドキドキしてしまう。次の閏年を調べるなんて野暮なことはしない。ドキドキを楽しむ。楽しいを作ることもまた、いとおかし、である。
数年前まで、手帳を買っても使い切ることがなかった。
使いこなすという意味では今でも出来ていないが(これは今だ。いまではない。いや待てよ?)、一昨年あたりから年間を通じて手帳を持ち歩き、まずは使い切るという週間が出来始めた。これはこれで大きい出来事なのだが、1つで満足出来ないのが人間で、私も当然のように人間で、次は使いこなしたいと考え始める。
使っていないページをとりあえず使おう。そうでないと、この大きい手帳がとてもとてももったいない。とりあえず、埋める。埋めよう。埋めてみよう。そういう気持ちから、悶々と考え、これに辿りついたのであった。悶々という部分が本当に悶々としていて、ここに書くのも疲れるだけだと判断して、悶々という言葉にした。これはおそらく正解だ。正解! と思えたのは、今年これが初めてかも知れない。
※ほぼ日5年手帳を使用し始めたため、これらの問題がそもそもなくなった。
本当にだらだらと書いてきたが、ひとまずはこういうことです、はい。
数年かけて楽しみたい。楽しめるはず。
これは楽しめるだろうというのが他にもあるんだけど、それはそれで悶々と考えてみる、か。悶々と、だらだらと。うん、そうしよう。
『考える葦だって証明したいんだよ、たまにはさ』
うん、そうしよう。