さよならだけが人生か。でもさよならにも言い方がある。(20)

12月30日。
こんな年の瀬になるとは、
ロンドンを出るときには想像しなかった。
母は病室でひとり、年を越すことになる。

おそらく今年最後の訪問になるだろう、
洗濯物をもって、病院に出かけた。

病院もすでに、多くのスタッフが
休んでいるのだろう。とても静かだった。
母はどうやら、また発熱したようで、
抗生物質を点滴で入れているという。

スタッフが少なく、人目が少ないからか、
看護師さんが「内緒で面会していってください」と
なかに通してくれた。
思いがけない、ありがたい申し出だった。

熱があるということで、心配していたが、
前回面会したときよりも
母は、ずっと状態がよさそうで、
話しかけたら、にっこりしてくれた。
当直の先生からも状況について説明を受ける。
どうやら、白血球の値がやや高いのだそうだ。

病院の帰り、一足お先に大國霊神社に行った。
初詣のかわりに、年内にお参りを済ますことを、
「幸先詣(さいさきもうで)」と呼ぶのだそうだ。

私が子どもの頃から、
我が家の初詣は、毎年この神社だ。
子どもの頃は、父の運転で、母と弟と
家族4人でこの神社にくるのが
元旦の恒例行事だった。

父が69歳で亡くなってからは、
弟の運転で、母と弟夫婦、私たち夫婦の
5人で、10年以上おなじことを繰り返してきた。
母がいよいよ、外を歩けなくなってきて、
家で留守番をするようになったのは、
3年くらい前のことだったように思う。

ここ4、5年、私は毎年、母が状態を保って、
また一緒にお正月を迎えられるよう、祈ってきた。
だが、今年ははじめて、
「母が楽に逝けるように」祈った。

来年が喪中になることは、
もうわかっていた。

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