さよならだけが人生か。でもさよならにも言い方がある。(18)
12月28日。
突然、母と面会できることになった。
昨日、療養型のリハ病院のでの面談のあと、
主治医から弟のもとに電話があったらしい。
経鼻胃管をまた抜いてしまって、
再度入れようとしたが、内側が傷ついて、
これ以上試みるのは危険だという。
私からも直接主治医に
連絡してほしいとのことで、
朝一番で病院に電話をした。
主治医の話によると、
現在の病棟に移ってから、
すでに3回も自分で経鼻胃管を抜いてしまい、
その都度、入れなおしていたのだが、
経鼻胃管は入れるときに
苦痛をともなうのだそう。
これまでいた病棟では、
肺炎の治療を優先させるために、
チューブを抜かないように
手袋をつけさせたうえで、
その手袋をベッドの柵に結んで
拘束していたので、
無意識に抜くこともなかったが、
現在の病棟は「拘束はなるべくしない」という
ポリシーがあり、手袋はしているが、
柵に拘束することはしていないらしい。
今回は、内部が傷ついてしまい、
首の形状や、食道と気管の分かれ目の
部位の形状が経鼻胃管を入れるのに
向いていないこともあり
当直医が挑戦したときもうまく入らず、
主治医が再度試みたときも、
もううまく入らなかったという。
そこで、現在のところ、とりあえず、
点滴を入れているという。
主治医が言うには、無意識とはいえ、
本人が経鼻胃管を抜き取とるのは、
苦痛を感じているからにほかならず、
本人も「もうずっと点滴でいい」、
と言っているので
このまま点滴でいくのも
ひとつの方法、とのこと。
しかし、点滴だけでは、糖質は入れられるが、
タンパク質も脂質も入れられず、
一日300キロカロリーほどしか
供給できないため、
3か月ほどで衰弱して死に至る、という。
「ご本人にとってはすでに、
お辛い時間になっているので、
いたずらに辛い時間を長引かせない、
というのもひとつの考え方だと思います」
と主治医。
前回会ったときは、
リハビリをしっかりしてくれる転院先を
手配するからね、という呼びかけに、
「ありがとう、ありがとう」と言っていた母。
このまま点滴の場合、3か月後に死に至る、
ということをどのくらい理解しているのだろう。
いずれにしても、この段階の私には、
「わかりました。点滴でいってください。
3か月の命でもいいです」などと、
と引導を渡すことは、できかねた。
そこで、一度本人に会ってみてほしい、
という主治医からの言葉で、
弟と病院に出向いた。
病室に通されて、
主治医の言っていた意味を理解するまでに、
それほど多くの時間は必要なかった。
母は、横向きに寝ていたが、
うなされているように、
繰り返し「なにかの単語」を発していたが、
入れ歯をしていないせいもあり、
また舌が巻いてしまっているせいで、
その単語を正確に聞き取ることは難しかった。
それは「ごめんなさいごめんなさい」と
言っているようにも聞こえたので、
「お母さん、謝っているの?」と声をかけると、
小さくうなずいたように見えた。
謝らなくてもいいんだよ、
と声をかけても、母はやめなかった。
本当は、母に会ったら、
3か月の命になってしまうけれど、
本当に点滴でいいのかどうか、
彼女の意志を確認しようと思っていたのだが、
とてもじゃないが、できなかった。
病院に向かう車のなかでは、弟と、
「胃ろうという選択肢はもうないのかなぁ」
などと話していたが、
母を、これ以上長く生かす試みは、
なににせよ、とても残酷なことのように感じた。
短時間の面会を終えて、
昨日見学したリハ病院はキャンセルして、
なるべく楽に逝けるように、
緩和ケアに力を入れている療養型病院に、
方向転換してもらえるようお願いした。
あのレンタル会社とズブズブの、
倫理的に納得できない側面をもつ、
昨日のリハ病院には絶対に転院しないぞ、
という母の意思表示だったのだろうか。
いずれにしても、この日、私たちは、
来年の正月は喪中となることを
はっきりと認識したのだった。