さよならだけが人生か。でもさよならにも言い方がある。(31)
1月26日。
昨日病院で渡された大量の洗濯物を
明日までに乾かすため、家で洗濯したうえで、
乾燥機を使いにコインランドリーへ。
今回は、パジャマの上が1枚と下が1枚。
例によって、上下別々の組み合わせ。
この間は、上が2枚と下が1枚、
ひとつとしてマッチしない組み合わせだったが、
どういう基準で着替えさせているのだろう?
コインランドリーから帰ってきて、
昼食に残り物の鍋を食べていたら、
主治医から電話。
昨日から、呼吸が苦しくなってきており、
意思の疎通がなんとかはかれる状態。
酸素をかなり入れて、
サチュレーションを上げたとのこと。
もしかしたらもう数日で
逝ってしまうかもしれないので、
できれば毎日面会に来てほしいと言われる。
母の遺影の画像処理をお願いしていた、
グラフィックデザイナーの友人に、
思ったよりも早く、
写真が必要になってしまうかも、
という旨を伝えておく。
午後6時過ぎに弟夫婦と合流して病院へ。
弟、義妹、私の順に面会する。
もうこれから何回会えるのかわからないから、
「いまのうちに大事なことを言っておくね」と
これまでの感謝の気持ち、
いつも応援してくれて嬉しかったこと、
信頼してくれてありがたかったことを
かなり一方的に伝える。
一瞬呼吸が止まったかと思ったら、
急に目を開いて見てくれた。
私の声は届いただろうか。
しばらくベッドサイドに座って、
布団のなかの手を握ってみる。
私がいること、わかるかな。
主治医から、このままこの病院で
看取ることもできるが、
やはり自宅に帰ることを前提に、
ことをすすめるかどうか、
気持ちを確認される。
思いのほか、弟のほうがはっきりと
退院の準備を進めますと返事。
意識があるうちに戻れるといいのだけれど。
帰宅後、遺影の件で友人から連絡。
母は自分の薄毛を気にしていたので、
髪の毛をフォトショで
ちょっと盛ってもらったら、
あまりにふさふさしていて、笑ってしまった。
盛り具合を控えめにしてもらい、
さらに自然なふんわり感を足してもらう。
いいかんじ。
母にも見せたいところだが、どうだろう。
あんまり見たくないかしら。