さよならだけが人生か。でもさよならにも言い方がある。(34)
1月29日。
昨夜の座薬から3時間ほどは、
母も静かで、私も眠ることができた。
だが、朝6時前から「苦しい」と訴え、
どこが苦しいのかは本人もわからないよう。
訪問看護師に来てもらう。
熱は37.9℃。脈拍も早いようで、
そのせいで、苦しいという感じなのかも?
というのが、看護師さんの推理。
再び座薬。
しかし、その後も「怖い怖い」
「危ない危ない」「助けて助けて」と
同じ言葉をうわ言のように繰り返し、
しかも声がでかい。
最初は、死ぬのが怖い、という
意味かと思ったのだが、
そのうち「子ども子ども」、
「早く早く」が加わって、
よくよく話をつないでみると、
子どもが車に轢かれそうなので、早く助けて、
ということが言いたいらしい。
このヴィジョンがどこからくるのか
さっぱりわからないが、
「子どもなんていないよ、安心していいよ」
と言っても、
「こどもこどもこどもこどもこども」
とうわ言のように言い続けるし、
まったく手に負えない。
「それはお母さんの頭のなかにあるだけで、
私には見えないから、その件に関しては、
まったくなにもしてあげることができない、
悪いけど」と返したところ、
しばらくその話をしなかった。
さらに「そんなよその子どものことより、
あなたの子どもが目の前にいるんだから、
残りの時間を大切に一緒に過ごしましょうよ」
と言ってみたが、よくわからないようす。
ひょっとして母は、自分がもうすぐ死にゆくことに
気づいていないのだろうか。
そのうえ、施設にいた頃に
毎日眺めては泣いていたという、
お七夜で幼い私を抱く若き日の母の写真を
「この写真わかる?」と見せたところ、
なかばパニックのようになって、
「その写真、見たくない!」と顔を歪めた。
母の頭のなかになにが去来しているのか。
この2ヵ月半の入院生活で、
身体能力だけではなく、精神的なダメージも
かなり大きかったのだろうことは
想像に難くない。
それでなくとも、2ヵ月半前には
車椅子で自走できていたのに、
いまは指一本、自分で動かすことが
できないのだから。
午前10時に再び訪問看護。
同時に、介護用品の業者が、
本来最初から入るはずだった、
体位変換のいらないマットレスを持ってきて、
看護師、私、夫の3人で母を抱えて
マットレスを交換。
これで夜も眠れる。かな?
午後1時ヘルパーさんが来る。
全身清拭してもらう予定が、点滴がもれて、
パジャマが濡れていることに気づき、
すぐに訪問看護ステーションに電話。
再度来てもらって、
点滴のチェックをしてもらう。
その後は、たびたびのおむつチェックと、
「かゆいかゆいかゆいかゆいかゆい」
と言われて、膝にローションを塗ったり、
微熱が続いているので、
ドライアイスをつつんで脇の下にいれるなど、
原理的な方法で対応。
夜になっても37℃で止まったので、
今日は座薬は使わず。
そういえば、父を看取ったときも、
発熱したときには保冷剤を包んで
脇の下に入れるように、
指導されたことを思い出す。
終末期には、自力で体温調整する機能が
働かなくなるため、温めてはだめなのだそう。
ラジオを聞こえるようにかけておくと、
「子どもがあぶない」妄想は
少しはましな気がする。
ので、耳元でラジオを
つけたまま就寝してみる。