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№5029:「専門力」の前に「教養」を学べ!

こんにちは。(株)個のサポーターズクラブの遠藤です。
※過去分はこちらにあります。

さて、昨日は「偏った専門家」について記しました。

では何故そうなるのか?

それは「学びの順番が間違っているから」だと思います。

これは「人間として土台となるべきことを学んでいない人が専門的なことを学んでも意味がない」ということです。

私はこのことをFBL大学の講座で繰り返し伝えてきています。

「専門力」の前に「人間力」や「教養」が必要なのです。

何故なら「専門力」というものは、その人の「人間力」や「教養」を通じて発揮されるからです。

が、こう考える人が少ないから「結果」だけを見て「凄い」とか「偉い」ということになる。

嘆かわしいことだと思います。

これと同じ観点が先般読んだ本にも書いてありました。

そこでは「MBA」が取り上げられていました。

先に言っておくと「MBA」を否定しているのではありません。

以下を読んでもらえれば言わんとすることはわかると思います。

例えば5階建てのビルがあるとします。

この「5階部分」に相当するのがMBAです。

が、「5階部分」が存在するのは「1階から4階」までがあるからです。

この「1階から4階」に該当するのが「原理原則」だったり「基本」だったり「人間力」だったり「教養」だったりします。

「人間力」や「教養」に欠ける人がMBAを取得しても「頭でっかち状態」でチームを崩壊させるだけでしょう。

最近では「リベラルアーツ」という概念も重視されています。
※「リベラルアーツ=自由になるための技術」

某調査によると学生時代に「リベラルアーツ」を学んでいると、政治家、起業家、軍人、学者などその後のキャリアの選択肢が増すことがわかっているということです。

対して「自分の専門分野はこれだ」的に決めつけている人は「1階から4階」が欠落した状態で「5階」を求めるため「教養」に欠けた「偏った専門家」になる可能性が高いということです。

このことは調査結果を見なくても感覚的に理解できます。

ちなみに私は「教養」を「物事を俯瞰して捉えることができる能力」と捉えています。

巷では歴史学や宗教学等を知っていると「教養がある」と思われがちですが、これらは「専門力」であって「教養」ではありません。

むしろ「偏った専門家」といえるかもしれません。

「教養」とは「深さ」ではなく「幅」とか「多様性」をつくることでしょう。

より良い人生を送っていくための重要な行動指針だと思います。

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