№5232:魅力ある専門家というのは「専門分野以外のことをたくさん知っている人」である
こんにちは。遠藤です。
※過去分(4740回分)はこちらにあります。
さて、「新春論語」からの学びをもう一選。
それは「長く活躍している人や魅力的な人というのは自分の専門分野以外のことをたくさん知っている」というものです。
これは論語の教えというよりは、講師が私見を述べたものですが「本当にそうだ」と思いました。
特に当業界(健康産業界、フィットネス業界)の人は解剖学でも栄養学でも何でもいいですが、その1つの分野のことを細かく(詳しくではない)知っている人を「専門家」として評価しがちです。
私はそういう評価に対して「日常生活にまったく役に立たないことをたくさん知っているだけだ」という立場を取ってきました。
「木を見て森を見ず」の諺通り、「全体」が見えていない人に「細部」を理解することはできません。
では「全体」とは何かと言えば「世界」であり「人間」であり「各種学問」といったものです。
総称として言い換えるなら「教養」といえます。
と同時に物事には「個別性」というものがあります。
人間にしても「ひとりひとりはまったく違う」のです。
特に「栄養」についてはまったく違います。
このことはお酒に強い人と弱い人がいることを見ても明らかです。
まったく同じものを飲食しても生体反応は人それぞれでまったく違うのです。
人間の腸内には約40兆個の細菌が生息し、遺伝子レベルにも個体差があるのですから、こんなことは当たり前です。
先日読んだ「多様性」に関する本に「茶色いパンと白いパンを比較し、その生体反応の平均値を調べて『茶色いパンが身体にいい』といっている専門家が数多くいるが、多様性を意識できていれば、こういった食事療法がいかに馬鹿げているかがわかる」という主旨の記載がありましたが、このような指摘を聞くまでもなく何故こんなことがわからないのかと思います。
こういう人は「人生を豊かにする」という「全体」も「人間はそれぞれが違う」という「個別性」も見えていないのでしょう。
かの福澤諭吉先生は「自説に執着する者」を「前進の道を知らない者」として以下のように断じています。
「数字・統計がどういうものかを知らず、単に専門書などを通読して、ところどころ自分の心に感じた個所に対して『これは良い、これは悪い」』と判断を下して、ほんの一部の善悪に目を注ぎ、視野は豆のように狭く、全面の利害を見る賢さがない。結果、知らず知らずのうちに自分で迷いの淵に沈むことになる」
あまりにも見事な指摘すぎます。
専門家の皆さん。
くれぐれもこうならないように注意しましょう。
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