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小説 俺が父親になった日(第四章)~昨日の敵は今日の友(3)~

 俺は駿に何をできたというのか?
 我が息子に対して何もしなかった。莉紗に任せたと都合のいい逃げ方をしていた。
 俺は逃げられても、莉紗や駿は逃げられない。嫌でも俺を頼らなければならなかった。
 それに甘えて俺は、無意識に卑怯な手で二人を支配していた。
 ただ稼ぎがあるだけで言葉も思いも交わすことなく、ご立派な父親面だった俺は ―

 ― あの頃の俺は、あの青白い男と何ら違いがないじゃないか!
 俺が暴言を吐いた相手は、俺自身じゃないか!

 俺はそれ以上、その話題に触れることはできなかった。俺も思い切り落ち込んだ。自分の犯した罪と矛盾を差し置いて、俺はもう薄っぺらい正義感など振りかざせなかった。

 「あれ?何か気を悪くされました?」

 あまりの決まりの悪さで俯き気味だった俺を覗き込んで、切り替えの早い樋口保育士は妙に純粋な空気を発しながら笑って言った。

 「ほら、あれ見てください。こんな楽しそうなの、本当に久し振りに見ましたよ」

 窓越しにはアンパンマンマーチに合わせて、全力で飛び跳ね回るキラの姿があった。心配になるくらいに甲高い声を上げてはしゃいでいる。

 「本当に…事故に遭う前と同じくらいに今日は元気で…」

 「えっ?そんなに…」

 俺はまだ、キラに何もしてやれていないのに……
 俺の戸惑いを見透かしたのだろうか、樋口保育士は俺のほうへと再び視線を遣った。

 「今日一日貴羅くんを見ていて、分かったんです」

 訳も分からず首を傾げた俺に、彼はこう言い放った。

 「中島さん、あなたが彼にとって必要なんだと、私たちは確信したんです」

 「へっ!?」

 思いも寄らない言葉が、出来の悪過ぎた三日間をいきなり逆さまにひっくり返した。俺は目を丸くした。そしてその後に続く言葉に再び俺は仰天した。

 「今、決めました。私は貴羅くんとあなたに深入りすることにします!」

 「はあっ?」気付けば俺は口を半開きにして声にならない声を上げていた。

 本当なのか?そんなことを独断で決めても、本当にいいのか?
 俺は彼にその言葉が正気なのか冗談か、何度も何度も聞き直した。
 それでも彼は、簡単に人を信じられない猜疑心の塊の俺に対して、何度も何度も丁寧に説明してくれた。前のめり気味な彼の姿と言い様には嘘がないように思えた。

 だから俺は、その言葉を信じてみることにした。こんな俺も少し素直になってみようと思った。

 園長も同席のうえで今後の話を樋口保育士とした後、俺は鞄をたすき掛けしてキラを背負い駅へと向かった。はしゃぎ疲れて眠ってしまったら、起こすよりこのほうがいい。

 街の灯りで白くぼやけた空の下を、灰色の雲は駅のほうから足早に流れ去っている。
 俺は歩みを止めて首を精一杯伸ばしてその流れを見ていた。そうして寝息を立てるキラの重みを背中に思い切り沈みこませた。
 この重さは、こいつそのものの存在の重さなのかも知れない。そう思えた。

 可哀想という同情が全くないなんて綺麗事、絶対にあり得ない。
 余程の奴でない限り、今のキラを見てそう思わない訳がない。
 俺に引き取ると発作的に言わせたものも、その感情なのだから。

 でも、それだけでこれだけの大人を動かせるだろうか。
 きっとこの、俺に背負われて安心し切っている堀ノ内貴羅という人間には、それだけの価値があるのだろう。
 もう二度と逢えることのない両親から、惜しみなく注がれた愛の塊。
 だからこそ、今この時苦難を乗り越えさせたいと、周りの人間に思わせるのだろう。

 それにしてもこいつ、安心し過ぎだ。むずむずと動いて不自然な破裂音がしたと思ったら、街中では明らかに違和感のある臭いが俺の後をついてくるじゃないか。

 この日最後に学んだことは、これからは鞄に替えのおむつを忍ばせておくべきということだった。これから数十分、電車の中で肩身の狭い思いになるのも、まぁ仕方ない。

ー つづく ー

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