ライバルの拠点まで整備。「求められる立場」を目指し、つくばFCはどこまでも
事業の大きさだけでは、はかれない価値もある。
彼らのビジネスはなぜ、注目されているのか。
気鋭の起業家たちにスポットライトを当てる連載「スモールビジネスという生き方」。
第2回は、茨城県の「つくばFC」代表、石川慎之助さんの物語です。
つくば市内の音楽ホール。
中学校の吹奏楽部を集めたコンクールの客席に、異彩を放つ集団がいた。
日焼けした顔。引き締まった体。
そしてそろいのポロシャツの胸には、サッカークラブのエンブレム。
「えっ?こんなところにサッカーの人?と思いますよね。よく言われます」
そう言って笑うのは、つくばFCの石川慎之助社長。
男子のトップチームが関東サッカーリーグ1部(J1から数えて5部相当)に属している、小さなサッカークラブを切り盛りしている。
その一方で、彼らは地元中学校の吹奏楽部で、"顧問"のような立場も務める。
なぜ、そんなことをするのか。
試合中も続く、もうひとつの「仕事」
6月13日、全国社会人サッカー選手権大会関東予選2回戦。
つくばFCのトップチームは、元Jリーガーをそろえる南葛SCに3-1で勝った。
スタッフが喜びを爆発させている。
だが石川さんは、少し離れたところでそれを見守っている。
メール、チャット、そして電話。
試合中からずっと、各方面からの連絡がひっきりなしに続いていたからだ。
育成世代のコーチや営業スタッフといった「身内」だけではない。
他のサッカークラブの幹部、さらにはサッカー協会からも連絡は来る。相談も多岐にわたる。組織の経営に関するものから、芝生の管理に至るまで。
そのすべてに、石川さんは真摯に答えていく。
「ちょうどいま遠征に来ていて、御社の近くなので」
そう申し出て、アウェー戦の帰りに他クラブに寄って打ち合わせをする、ということまであるという。
他競技、さらにはライバルクラブからも…
自分たちが使うグラウンドに天然芝を張った経験が買われて、地元の自治体などから問い合わせも来る。
つくば市内の荒れた天然芝グラウンドを再整備すると、仕上がりぶりが評判を呼んだ。土浦市内6か所の校庭を手掛けたり、日本サッカー協会が全国で展開するグラウンド芝生化プロジェクトに携わることにもなった。
さらには、茨城県内の野球場からも依頼が来た。
そして極めつけは、地元のライバルクラブのグラウンドだ。
クラブ同士は、育成世代の選手を取り合うような関係とみられている。
それにも関わらず、相手の拠点を美しい天然芝のピッチとして仕上げてしまった。
「こればかりはやりすぎではないか、という意見もありました。身内でも議論になった」
石川さんはそう言って、苦笑いをする。
それにしても、である。
なぜ、サッカークラブがここまで多くの人の「求め」に応え、動き続けるのだろうか。
世界からの「誘い」断った理由
石川さんとつくばFCとの関わり。
きっかけは、筑波大に在学していたころのことだった。
数々の名選手を輩出してきた名門サッカー部。
そこでプレーしたい。その一心で、筑波大に入学した。
だが、石川さんはいわゆるサッカーエリートではなかった。
ゆえに、有力選手が在籍する体育学群ではなく「工学システム学類」を志願し、合格した。
「ロボット工学を専攻していましたが、それも『ここならやっていけそう』という感じの選択で」
在学中には、ロボット用のICチップを扱うアメリカの企業から「うちの日本法人を立ち上げないか?」と声をかけられたこともあった。
だが、そんな誘いをあっさりと断った。
「同じ研究室にも、自分よりもはるかにすごくて、世の中から求められている人材がいました」
自分は違う。
ロボットの世界では「求められ続ける人材」の側には立ててはいない。
そんな自覚があった。
苦境の活動を引き継いで
石川さんは大学院に進学することにした。
すると、サッカー部の部長に呼び出された。
「しばらくつくばにいるのなら、私の活動を引き継いでくれないか」
大学のグラウンドを使って、教授たちが地域の青少年にサッカーを指導する。
その活動が「つくばFC」と呼ばれていた。
1992年の活動立ち上げ当初は、かなりの子どもたちを集めていたという。
だが石川さんが引き継いだ当時はすでに、学校の部活に加えて地域の少年団活動も活発化しており、参加者は激減していた。
集まってきたのは、いわゆる「サッカーエリート」ではない子どもたちばかり。
中学1年生のチームは立ち上げ直後、同じ県内で活動する鹿島アントラーズに2ケタ失点で大敗した。
自分たちの「武器」とは何なのか
つくばFCの活動は、世の中から求められるものになりうるのかーー。
自然と、そんなことを思うようになっていた。
ロボットの世界では、それが難しいと感じた。
海外の企業に見込まれてもなお「自分だからこそ世の期待に応えられる」とは思えなかった。
子どもたちも預かるようになって、より強く思う。
サッカーを通してなら、世の期待に応えられるのか。事業を続けていけるのか。そのためにはおそらく「サッカーが好き」だけでは足りない。
大学の図書館では、サッカーの技術書などではなく、ベンチャー企業を取り上げた書籍を読み漁った。
成功する要因として、多くの著者がこう論じていた。
「自分たちの武器、差別化のポイントはあるのか」
それはつくばにおいては「指導者」ではないか。
石川さんはそう思った。
国立大学では数少ない体育専門の学群を持つ筑波大には、スポーツの指導者を志す若者が全国から集っていた。
彼ら、彼女らには、指導を実践する場が必要だ。それを提供すれば、地元の子どもたちにとっても、将来有望な指導者に教えてもらえるいい機会になる。
これを武器にできれば…。
ロボットの世界では遠かった「求められる立場」。そこにたどり着く道筋が見えた気がした。
2003年9月。
石川さんはNPO法人「つくばフットボールクラブ」を立ち上げ、代表に就任。
さらに2年後には「株式会社つくばFC」を設立し、代表取締役を務めることになった。
「武器」を生かすための仕事
つくばには若くて優秀な指導者がたくさんいる。
石川さんがそう思ったのは、身近にそうした指導者がいたからだ。
内田光洋さん。同じ筑波大の大学院生で、つくばFCの活動を引き継いだ当時からの「相棒」だ。
彼が指導を始める。
そう聞いた指導者志望の学生たちが、一斉にクラブに集まってきた。
それほどに、内田さんは指導力に定評があり、人望もあった。
集まってきた中には、今ではJ1で活躍する指導者もいる。コンサドーレ札幌の分析担当、長嶺さんは「僕の師匠で、ミシャさんの次にすごいと思う指導者」と評する。
内田さんは現在もジュニア層の指導をしつつ、平日昼間はクラブの経理担当をしている。
「だいぶ慣れましたけど、最初は大変でした」と笑う。
それ以前も、新しいスクールの運営などを担当。
石川さんが立ち上げた新規事業を引き継ぎ、軌道に乗せていく仕事をしてきた。
このような「兼業」をしているのは内田さんだけではない。
たとえば、ユニホームに圧着されたスポンサーロゴ。これもクラブスタッフがつけたものだ。
実はつくばFCは、他クラブのユニホームのロゴ圧着も請け負っている。
クラブスタッフはそうした昼間の仕事を終えると、グーっと伸びをしてから、子供たちの指導に出ていく。
その背中を見ながら、石川さんは「この場を準備するのが、僕の仕事なんですよね」という。
指導者が生計を立てるためには
「指導者として生活していける環境を整えたり、生計を立てられる力をつけさせてあげないと、指導者はうちの武器にならない」
石川さんはそう言う。
たとえば内田さんの父も、若いころはサッカー選手だった。指導者を志していた。
だが最終的には会社勤めを選んだ。そうやって夢をあきらめる指導者の卵は、少なくない。
では、サッカー先進国では、指導者たちはどうやって食っているのか。
つくばFCの活動を引き継いでからしばらくしたころ、石川さんはイングランドに視察に赴いた。
プレミアの試合の観戦もそこそこに、8部のクラブの視察に。
「日本から何しにきたんだ」と驚く相手にあいさつをしつつ、運営、経営のことについて矢継ぎ早に質問をする。
「指導だけで生計をたてているわけではない人が、イングランドにはたくさんいました。聞けば彼らだけでなく、世界最高峰と言われるプレミアリーグのクラブでも、そういう人が少なくないとか」
はっきりと気づいた。
スポーツは、少なくともサッカーは、産業として確立されているわけではない。
サッカーだけで生計を立てられるのは理想だ。
だが、母国イングランドでさえ、必ずしもそうはいっていない。
※石川さんは8部だけではなく、3部から7部まで様々なクラブを視察。写真は当時5部に所属していたWoking Football Clubの視察の様子:石川さん提供。
生計とモチベーションの両立を
イングランドに比べると、日本は二極化してしまっているように思えた。
ビッグクラブに所属して、サッカーだけで生計を立てるか。あるいは、夢をあきらめるか。
そうではない、第3の道を。
違う価値観、違うやり方を持ち込んで、夢を追い続けられるように。
いい指導者がきちんと仕事を続けられることは、誰よりも地域の子供たちにとってメリットだ。いい指導を継続的に受けられる。
つまり、いい指導者が生計を立てられてこそ「世の中から求められる」クラブということだ。
イングランドから持ち帰ってきたことも踏まえて、石川さんはより多くの指導者が生計を立てられる方法について考えだした。
「平日の夕方と週末なら、彼らは稼げる。あとは平日の昼間に稼げる機会、稼げる知見を準備してあげれば」
まずは内田さんをロールモデルにした。
優秀な指導者が範を示さなければ、優秀な指導者は集まってこない。
ただ生計が立てばいい、とは思わなかった。
石川さんは「サッカーにつながるような仕事を準備する」というところにこだわった。
たとえば、グラウンドの芝生化を請け負う事業。
いわば「副業」でありながらも、携わる指導者たちが「地域のサッカー環境を整えるため」と思えるものだ。
「サッカーへのモチベーションを下げない形の仕事を考えてあげないといけない。それは自分にしかできないことだと思っています」
「選ぶ」のではなく「選ばれる」
内田さんたち指導者は、「本業」でもしっかりと結果を出した。
チーム立ち上げ当初、鹿島アントラーズに2ケタ失点で敗れた学年が、2年後には同じ鹿島相手に1点差の接戦を演じるまでに成長した。
あのクラブはいいかもー。
評判が広がり、子どもたちがクラブに集まってくるようになった。
それでも石川さんたちは、有望な選手を集めるためのセレクション(選考会)という形を取らなかった。
のちに選考会もするようになったが、一方で希望すれば入団できる道も無くさずに来た。
「そういうのをやってしまうと、ブレてしまう気がするんですよね」
石川さんは語気を強める。
「サッカー界では『クラブが選ぶ形』が一般的になってしまっていますが、本来あらゆる事業は顧客に選ばれるものです」
「求められるためにどうするか。万事においてそういう考えをしていきたいのに、一方でクラブが選ばせてもらう形があるというのは、どうなのかなと」
Jリーグ昇格は目的ではなく…
Jトップクラスの強豪クラブから、育成年代についての業務提携の話が持ち込まれたこともある。
だが「うちはプロになれるような選手を育てるのを目指しているわけではないから」と断った。
「選ばれるクラブになるために、まずは来てくれる選手たちを責任もって育て上げたり、来たいと思うような環境を整える方が先、なのかなと」
クラブとしても、最初はとにかくJリーグに昇格したいと思っていた。
「今は違います。クラブにかかわるみんなの求めに応じて、みんなを幸せにしないといけないと思っています」
昇格すれば、クラブにかかわるみんなに喜んでもらえる。
スクールやジュニアユース、ユースで練習している子供たちもモチベーションが上がる。
だからトップチームにも、力を入れる。
世の中から求められるクラブになる手段のひとつとして、つくばFCは上を目指す。
ビジネスの「原則」、クラブ経営にも…
求められるためには、どうしたらよいか。
NPOを立ち上げてから18年、石川さんはずっと考え続けてきた。
結果としてクラブには、多くの人々が集まってくるようになった。
応援してくれる会員。育成世代の子どもたち。
それに応じて、クラブスタッフや指導者の数も増えてきた。
その分、石川さんが昼間の仕事をこれまで以上に考える必要がある、ということだ。
アイデアはある。
ただ「それを無理に形にしても」という。
「アイデア自体には価値はない。求められたときにはじめて、アイデアは仕事に昇華する。エンブレムも芝生も、求められてやるから価値がある。たんに収益につながるだけじゃなく、長い目で見たいい関係につながる。お金をもらいながら、評価もされていく」
石川さんがたどり着いたひとつの結論だ。
「結局、足りていないことを実現していくのが起業、なんだと思います」
なぜ、吹奏楽部まで応援するのか
求められる自分たちでいたい。
だから、ライバルクラブからの依頼であっても、快く受けてきた。
地元とのあるべき関係についての考え方も、おのずと変わった。
「みんな、応援してくださいと言って回りたくなるけど、その前にこちらが応援をさせてもらうのが先じゃないかなと。何かを求める前に、まずは求められるように」
地域に対する応援。農作業を手伝うこともある。小学校などの緑地化もそうだ。
「ブラック部活」解消の取り組みにも、クラブとして協力している。教諭が休みを取れるよう、スタッフが地元の学校で週に1~2日ほど部活の顧問を代行することになった。
石川さんも、ある吹奏楽部の活動に立ち会い続けている。
コンテストの会場。見守る前で生徒たちが演奏を始める。
つくばFCの応援歌だ。
「いつか彼らが、スタジアムでこうして演奏をしてくれる日もくるんじゃないかと思っています。応援をすることが、いつか応援される第一歩。そういうビジネスを、これからも続けてきたいと思っています」
(文・塩畑大輔/写真・近藤 篤)
※取材時、時折スタッフが手伝いに行く農家から届けられたお裾分けの大根の先には、ボールを蹴る子供の姿。地域に根ざす、つくばFCの日常の風景の一つ。
お読みいただき、ありがとうございました。
つくばFC(https://www.tsukuba-fc.com/)、石川慎之助さんの物語でした。
「スモールビジネスを、世界の主役に。」
freeeが掲げるミッションです。
その一つの試みとして、今回、スモールビジネスの方たちの生き方を描き、お伝えしました。スモールビジネスに取り組むことの良さを感じていただけたら、うれしく思います。
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