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彼女
高校の合唱部で九州大会への遠征メンバーだった僕ら5人(そのうち僕を含めた4人は「傭われ部員」だ。)は、揃って地元の国立大学の入試に失敗して、春には予備校に通い始めた。
それでも夢見がちな年頃の僕らは、おニャン子クラブとライブエイドに沸いた1985年の夏から秋を楽しく過ごしすぎてしまって、次の春の入試でも揃って不合格になってしまった。
ひとりは家業を手伝うことになり、3人は当てもなく2浪を決め、僕はひとり地元私立の国文科に潜り込んだ。
5人はその後も時々つるんでいたし、僕はほんの少しの間だったけれど仮面浪人を気取っていたので、3人の友人が通う予備校地下のバイク置き場で約束もなしに落ち合うことが多くあった。
そして、86年の秋、そのバイク置き場で初めて彼女を見かけたんだ。
彼女は合唱部の3学年下の後輩。予備校の現役クラスに通ううちに、部活の先輩に当たるおもしろそうなお兄ちゃん達に付いて回るようになったのだという。
茶色の瞳に青みがかった白目、すっとした高い鼻、そして長い髪が印象的な可愛らしい人だった。
「100パーセントの女の子だ。」と僕は思った。たとえひどい熱病のせいで記憶を失ってしまった後でも、一目彼女を見たならやっぱり「100パーセントの女の子だ。」と思うだろうってくらいに。
僕は5人の中で最もおもしろくなさそうなお兄ちゃんだったけれど、彼女はなぜか、そんな僕と妙に話が合った。まあ、二人とも「綿の国星」の熱心な読者だったのはラッキーだったな。
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それでも僕は、彼女とは別の世界にいるような気がいつもしていたし、20歳と17歳の恋をうまく想像することができなかった。バン・ヘイレンの「1984」がリリースされた年に、僕は高3だったし、彼女は中3だった。
ある年のクリスマスイヴにはイタリアン・トマトを予約して、ささやかなプレゼントを交換した。僕は村上春樹と佐々木マキの絵本を、彼女はコムサ・デ・モードの手帳を持ち合った。南の町に住む21歳と18歳の本当にささやかなクリスマスプレゼントだった。
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東京の音楽大学に推薦入学した彼女は、まとまった連休のたびに帰省して、僕に会ってくれた。
一度だけ、二人で海に泳ぎに行ったことがある。眺めるだけの海ならば、会うたびに行っていたのだけれど、水着とお弁当とシャワーの用意をして出かけたのは、確かその一度きりだ。
彼女が膨らませたビーチボールが風にあおられて沖に流されてしまって、泳げない僕は何もできなくて、結局、地元の男の子が格好良くボールを拾ってきてくれたときは情けない思いをしたな。
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そして、23歳と20歳のクリスマスイヴを境に僕と彼女は会わなくなる。
プレゼントに用意したインゲボルグのスカーフがお気に召さなかったのかもしれないし、もともとおもしろいわけでもない僕に飽きてしまっただけなのかもしれない。その頃には帰省の頻度も落ちていて、会えなくなる予感は充分にうかがえた。
海の近くにある人気のレストランの帰りに、彼女は「ここで降りるね。歩いて帰るから。」と言って僕の前からいなくなってしまった。この町に電車は引かれていない。自宅まで10㎞はあるだろう。市外線のバスも終わっているんじゃないか。でも、僕は何もできずに車を発進させた。そして、そのままどこかに車を置いて、バーでさめざめとウイスキーを飲んだ。知り合いの女の子が「元気を出して」を歌ってくれたけれど、どれもこれもまた、とても情けなかったな。
16年経って、僕は彼女を町中で見かける。
都内で勤務するようになっていた僕は、たまたま生まれ育った町に出張していて、その町中で彼女を見かけたのだ。
「離婚して都内から実家に戻ったの。同窓会サイトを見て、そっかぁ家を買ったのか、とか、娘さん中学受験するのかぁ、とか思っていたのよ。」
しばらくしてから話す機会があって、さっぱりとしたショートボブの彼女はそのようなことを言った。その挙動が少しだけ妙なのは、生活環境が変わってから間もないせいなのかもしれない。
そして、そんな彼女はやっぱり「100パーセントの女の子」のままだった。