なぜか令和に主流化する中学受験事情や教育格差の裏が垣間見える【「二月の勝者ー絶対合格の教室ー」】
この作品ドラマ化もされていた記憶あったが、売り方が塾経営側の拝金主義な話に特化した作品だと思わされるような文句だったからスルーしていたけど原作読んでみたら違った。
作品上塾経営視点の極端な表現も出るが、現代の小学生と親の関係性を見せながら第三者としてどこまで介入して将来の合格に導きだすかも慎重に描いている。
コロナ禍以降教育の現場の在り方も目まぐるしく変化を強いられているニュースはよく目にしているが、結局当事者の子供がどこまで長い視点で考えられているかは疑問に思うことも個人的には多い。
最近はお受験だけでなく小学低学年から中学受験を考える家庭が一般化しつつあるほど当たり前の環境になってきていると聞く。
平成のころはごく一部の真面目な子や経済余裕のある子が受けるイメージしかなかったが令和からまた変わってきているらしい。とはいえまだまだ首都圏の都会に限られた話だろうが。
こういうのは日本の経済状況にも一つ影響していたりする。
その前は就職氷河期時代と言われたころにどこもかしこも中学受験をさせる家庭はもはや主流になってたと聞くが、この記録的な円安時代から煽られる不安も影響しているのは想像に容易い。
ただこうして小学校から変化に悩まされている状況もリアルタイムでは初めて見るので興味深いことも個人的には多い。
家庭も子供も一般的な教師には過剰に期待していないという方向性が見える受験と塾通いの主流化なのだとも思う。
その中で内部の限られた情報から見るとどこまで外部にいる塾はどこまで適応しようとしていて親や子供にどういう変化が起きているのかイマイチわからず参考程度に読んでみたので一部面白かった点をまとめたい。
この作品の情報が全てとは思ってないが親世代もそうじゃない大人も一度は読んでおいていい作品に思う。
今の子は常に減少していく選択肢に急かされている
作中によると首都圏の高校は中高一貫化した学校がどんどん増えているらしい。
特に進学校や伝統校も高校募集をやめており自分が利いたことある限りでは開成ぐらいしか募集はしていない。だから高校から入りたくても入れない学校が増えるという状況が時代と共に進んでいる。
また私立だけでなく地方の公立も徐々に中高一貫化した流れから、小学校によっては中学受験しない方がクラスでは珍しい状況にもなってくるみたいだ。
勉強に興味はなくても友達の影響でとりあえず受験してみたいという子供が増えているというのもこうした構造的なところからくる影響は大きいのかもしれない。
また視点をさらに先に移すと文部省の大学受験改革によってセンター試験の作問傾向が大きく変わり、マークシートによる論理的な問題解決能力から思考力や記述力も求められる問題に難化している。
例題などもネットに掲載されているが大人が解けるかも怪しい問題も今後さらに増えそうな予感もある。
さらに私立大学に関しても地方創生の観点から首都圏の大学ほど入学者をどんどん削減する方針もある。
文部省がどこまで現場を鑑みての変革なのかはわからないがコロナを経ての学校現場の混沌を見ると今の高校生は追い付くのが難しいという声が大きくなるのも当然である。
何を目的に考えるかで変わるが、少なくとも一般的な学校の3年間の授業だけで現状高得点を取れるまでに追い付くとは思えない状況になってきている。
そうした変化の波に見舞われている現代の小学生や親は、常に選択肢の少なさが見える時代性に急かされているのもこの中学受験が一般化しようとしている大きな理由なのだろう。
作中では転塾を避けるための売り文句としてもこうした話が出てくるが、おそらくどこに行ってもこうした話で親や子は気づいたら流されている人も増えている。
子供の大きな敵は親のジャッジ
子供は別に勉強が嫌いなわけではないという前提で主人公の黒木を中心に講師らは向き合う。
それでも子供が勉強にストレスを抱えていく理由は、現代の誘惑の数もあるが、親による子との向かい合い方の原因にも終始共通しているように描かれる。
私大学の授業料とも変わらない高額な月謝料と共に、家庭の方針が中心に選択された状況にいる彼らは余計に自立し始める自らの選択を受け入れてもらえない。
進路選択でも親には本当の希望を隠して親や講師に伝える子もよく見られたがあれは現実でも結構ある話なのだろう。
子は実は大人をよくみているし、自分がしっくりくることも身体で一番繊細に認識している。ただ大人と違うのは子は大切なことほど語らないし黙っている。
それは家庭環境や構造的なところで自分がどういう立場にいるか実は自覚しておかないと生存に関わることもどこかで一番感じやすい時期だからだと思う。
作品で主にドラマになるのはそうした環境の中で芽生える子供の自立心が親のジャッジによって簡単に勉強や生活の向き合い方にさえも影響するということだった。
その中で黒木が第三者として見て家庭に促していたのはその子自身がどういう環境にいることが好きなのか、親は受験を除いた長い視点でどういう成長を望んでいるのかというアプローチを見せていくだけだったように思う。
だから親は子の自立を待つエキスパートであれと大切な時期に黒木は促す。大切な時期ほど何も子に介入しない役者になりきれと。
それでも小学生だと心配してジャッジしてしまうのも複雑だが現実が見える話だった。特に父親が無関心化して母親側に多くなるのはうなずける。
父親で問題的に扱われていたのは自分の高学歴や受験の失敗を子供と家庭に反映してしまう人だろう。
その父は講師さえも信用せず自分の教育方針もプラスで詰め込み始める。ここで黒木が放つのは18歳で我慢して成功できた受験の経験と12歳の受験の精神力の差はまるで違うということである。
中学受験で家庭崩壊していく典型的な原因は親が中学受験の経験を知らないのに大学受験と同じ経験で教育しジャッジしていくことにあるらしいのはよく見えた。
たとえ志望校に合格しても彼らは自らの選択を尊重されないことを引け目に勉強も身に付かず、思春期と共に親とのズレが埋まらないままパンクしていくという。
またカンニングさえも親による声掛けやジャッジに焦って起こしてしまうこともあるらしい。黒木などはそこも徹底してそのジャッジをさらに広げないためにあえて注意しないというのも第3者の在り方としては面白い。
早い受験は家族も1年休みなしで戦わなければ成立しないと聞くが、シリアスな状況に向き合っている賢い小学生ほど家庭関係も密接にかかわっていて家族関係が良好なところが多い理由も逆にわかる話でもあった。
最近は余りに塾や習い事に行かせる子供が多いため学校側の方からその家庭にあわせた宿題の出し方に変わっているらしい。
それが一般化していくと自主性が既に出来上がっている子以外は勉強機会に明らかな差が生まれるだろうし、現にそうなっているところは多いらしい。
少数精鋭と自主性に特化した小学校も増えているのも聞くが外から見ている限り教師は並走者に近い関係性が理想になっている。
教育変革に現場が追い付いていない分、結局親と子供の負担を増やして格差が煽られているのが現状な気もしている。
早期受験が一般化しつつある流れにあること自体は大人の情報選択の偏りでもあるのだろうが、そのうえで長い視点で子がどういう成長で見守るのかという視点を大人が持たなければいけないのは本作でも改めて感じる。
自分は別に親でもないなんでもないおっさんだが、国はどういう大人を求めていて子はどういう教育が望まれているのかの差や交わりを時代で観察しておくのは一つ大人として大切な努めに思う。