「隙だらけだぜ」なんて使わない
#WeToo という運動が始まったようですね。
性暴力の被害を告白する #Metoo ムーブメントの文脈を受けての
#Metoo のムーブメントが起きた時には賛否両論ありましたね。
確かに、色々と考えるべきことはあると思うけど、
一番悲しかったのは勇気を出して告白した人たちを攻撃するような風潮があったことです。
性暴力の場合、未だに被害者側にも非があると考える人がいるように思われます。
・あんな服装しているから、とか
・あんな時間に出歩くから、とか
「隙があった」などと言われますが誰でも隙だらけなのではないですかね。
だって、日常で暴力にさらされることなんて想像もしてないのですから。
極論からもしれませんが、例えばあなたが道を歩いていて
突然誰かに横から殴りかかられたら、おそらく高確率で避けることは難しいでしょう。
顔面にパンチが入ったところで、「隙だらけだぜ。だから一発ぶち込んでやったのさ」などと少年ジャンプのバトル漫画に出てきそうなセリフを言われたらどう思いますか?(無茶苦茶なシチュエーションですが、分かりやすくするためにあえて)
嫌でしょ。ムカつくでしょ。心も体も傷つくでしょ。
でも、完全に自分に隙があったのは事実ですよね。
それなのに、後から色んな人から「でも、あなたにも隙があったから。。」って言われたらどう思いますか?
傷つくでしょ。理不尽だと感じるでしょ。
性暴力被害にあった人に、「隙がある」っていうのはこれと同じくらい無神経なことなのではないでしょうか。
隙があって、殴りやすいからって殴ったら絶対ダメです。
性暴力も同じことです。悪いのは加害者です。被害者の人は何も悪くありません。
勿論、予防をしていたり、注意をしていれば悲しい結果にならなかったかもしれません。
でも、そんな「かもしれない」仮定は起こってしまった事実に対して何の意味もないし、被害者の人がそれらの予防策を取らなかったことは悪いことや責められるべきことじゃない。
八百屋さんの店頭に野菜が置いてあって、店の人が奥にいたら万引きしてもいいのでしょうか。良くないですよね。
魔がさすような環境があったとしても、それに手を出してしまうのは加害者の弱さです。
デリケートな問題だから、何が正しくてどうすべきなのかはきちんと誰もまだわかっていないかもしれないけど、#WeToo もみんなで考えようということなのではないでしょうか。
そして、#Metoo も #Wetooも被害者の方々が勇気を出して告白したのは素晴らしいことだと思うけど 、そもそも被害にあった人たちが勇気を出して告白する必要ない環境になればいいですよね。
被害者の方々に必要なのは、本来は立ち上がることじゃなくて、心と体のケアなのだから。
性別など関係なく、みんなでオープンに考えることが出来ればいいですね。