1995年1月17日 阪神淡路大震災 〜京都はとある木造アパート1室にて〜

1995年1月17日

当時の僕は大学生。京都に住んでおりました。
年が明けて1月は絶賛テスト期間中。1回生だった僕は英語のテストを控えて徹夜で必死の一夜漬け。といきたいところでしたが睡魔に勝てず寝落ちしてしまいました。
時刻にして明け方5:30頃だったかと思います。

当時の住まいは2階建て木造アパートの2階にある6畳1間の1室。火災防止のため空調もストーブも置かせてもらえずコタツが唯一の暖房器具でした。
テスト勉強もそのコタツでしていたこともありそのままコタツに潜り込んであくまでも仮眠のつもりで横になりました。
それから10〜20分ほどしてウトウトと眠りにつこうとした時のことです。

ドスン‼️
たった1度だけの音と横になってる僕の全身が部屋ごと一瞬沈み込んで元に戻ったかのような感覚。僕は寝ぼけながらも目だけが覚めてる状態。“何かが起きよる何かが・・・?けど何が起きよんかいの・・・?”
やがて・・・・・・・・
ガタガタガタガタガタガタガタ‼️‼️‼️‼️‼️
何やこれ⁉️何やこれ⁉️何やこれ⁉️

しばらくの間は全く認識できませんでした、それが地震だと。
畳敷きの床が部屋が、激しく上下する。と同時に横になった僕の体も激しく上下する。起き上がるどころか立ち上がるなんて到底ムリ。そこから逃げ出して避難するなんて考えは微塵も思い浮かびませんでした。
激しく上下する揺れに僕はただただ身を任せることしかできず“これが地震なんや”と天井を見つめるだけ。そしてあの天井がそのうち目の前に崩れ落ちてくるんかいの?ここは2階どんな崩れ方するんかいの?と半ばあきらめに近いことを考えてるうちに大した被害もなく揺れが徐々に徐々におさまっていきました。

“助かった・・・・・・・“
安心すると再び睡魔に襲われそのまま眠りにつこうとしました。
するとけたたましく鳴り出す電話(ちなみに当時の僕はガラケーな携帯すら持っておらずここで言う電話とは固定電話なイエデンです)
睡魔から覚めやらない僕は“うっさいのぉ“と半ばキレ気味に電話に出るとそれは実家の母親からでした。

“アンタ‼️今すごい地震があったやろ⁉️何ちゃなかったんな⁉️”
“大丈夫大丈夫。たしかに大きかったし怖かったけど揺れただけで終わったけん”と母親をなだめながら初めてテレビをつけて外の情報に触れました。
そこで得た情報は震源地が淡路島にあることと各地の震度が神戸震度6、大阪震度4、京都震度5となぜか京都の方が大阪よりも大きかったことです。(ちなみに震度の表し方は当時のものであって現在とは異なること、さらに神戸の震度はその後日あらためて震度6→7と訂正されたことをことわっておきます。)
“神戸の震度6もあるんやって。それに大阪より京都の方が震度大きいやん。どなんなっとんこの地震?”みたいな話を母親としたと思います。ウロ覚えではありますが・・・。
そして母親からの電話を切り、さらについでにテレビまで消してしまいました。

ここでテレビを消したことが何を意味するか?
それは僕が神戸の惨状を知らずにいたということです。
たしか“空白の1時間”と呼ばれているかと思います。まだテレビとラジオぐらいしか情報源のなかった当時、神戸で地震が起きてから倒壊状況が全国的に報道されるまでに1時間ほどの遅れが生じていたようです。
ちょうどその“空白の1時間”にテレビをつけて観て消すというドツボにはまってしまったワタクシ・・・、数少ない情報源を自ら遮断してしまったワケです。
地震のことはすっかり忘れ僕の意識はもう英語のテストオンリー。眠気もすっかり覚めてしまいテスト勉強を再開、2〜3時間ほどしてからテスト時間に合わせて学校に出かけました。
歩いて学校に着くと入口にデカデカと“試験中止”の貼り紙が。

“なんでや⁉️”
地震があったことは重々承知しとるけど、それでテストが中止にまでなるんか⁉︎
半信半疑で校舎に向かい、そこで会った友達から“神戸が燃えよるよ”と聞いて初めて神戸の惨状を知ることになりました。
そして学校内にあるモニターで倒壊した家々やビルに横倒しになった阪神高速、そして燃え盛る神戸の映像を目の当たりにして呆然と放心状態になったことが今でも忘れられません。

あれからもう28年。
当時の僕は“忘れるわけがない‼️”と思っていました。
しかし忘れてはいなくても、あの日のあの震災に対する想いが薄らいでいることもまぎれもない真実です。
なのでこうしてあの日の記憶を蘇らせることが阪神淡路大震災とその被害者の方々への僕からの追悼となることを願ってやみません。

さらにもう一つ付け加えさせてください。
あくまでもこの話は阪神淡路大震災のほんの一つの体験談です。僕の場合は神戸ではなく微妙に離れた京都でのことだし大した被害もなく終わったことも重々承知しております。
それでも28年経った今、この投稿が阪神淡路大震災風化防止の一助になれば幸いですm(_ _)m

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