財務省の皆さんへ:なぜ皆さんは財政を健全化できないのか
前略 財務省の皆さま
SNSで #財務省解体 などというタグがトレンドになったりしているのを、さぞかし不本意に思われていることと存じます。あるいは憤りや侮蔑の感情をもって眺めていらっしゃるかもしれません。税収を増やし、支出を抑えて、財政を健全化する。それに邁進することのどこがいけないのか。そうお思いになっているのではないでしょうか。
法律には財務省の任務として、健全な財政の確保と書かれています。そのために貴省には、さまざまな権限や、立法に関わる機会が与えられていますよね。その下でこの20年、現実としては、財政の健全化はまったく成っていないと言わざるを得ません。だから、この失敗の責を一番に負わねばならないのは貴省である、と私は考えます。
なぜこのような失敗が続いているのか。その理由を、一有権者としてご説明したいと思います。それは、国会で消費税率を思うように上げられないからではありません。貴省が、誤った経済理論に従って収入を増やそうとしているためです。
ひとことで言います。消費税の財源は、消費者の所得や資産ではありません。
消費税は広く国民に負担してもらう税だ。あなたはそう思っていて、そう国民に説明しています。だから所得課税を消費課税に(税収中立的に)置き換えることで、違う財源から税収が上がると考えているでしょうし、働いていない人々にまで払ってもらえるから財源が拡大する、と考えているでしょう。
このノートでは、それは事実誤認だと説明します。誤認したのはあなたではありません。事実誤認の上に作られた経済理論をあなたが信じている、ということです。
経済学者は、経済学を生業としています。その意味では、はっきり言って、唱える理論が正しくなくても、また実用に耐えなくても、大学から給料をもらったり、著書を売ったりして、生活できます。しかし貴省は違いますよね。貴省には、国の財政をしっかり運用していく責務がある。だから実用性が怪しい机上の理論を軽率に信じてはならないはずです。
経済学の教科書に載っている、教室で先生から教わったかもしれない理論を一旦横に置いてもらって、皆さんが実際に取り扱っている税の現実と一致する説明は何なのか、ご自身の目と頭で確認してもらえたらうれしいです。
税とはどういう現象か
最初に、税とはどういう現象かを確認したいと思います。「税とは何か」という問いを財務省の皆さんに向けて発するのはあまりにも釈迦に説法ですが、このノートの目的上、どうしてもそういう部分が多くなります。また、一般の方々の目にも触れることにもなるので、厳密でない、わかりやすい用語も使わせていただきます。以上、どうかご容赦ください。ここでは「税とはどういう現象か」に注目してもらいたいと思います。
税の主目的は、政府の経費を賄うことです。平たく言うと、税収によって政府が市場で商品・サービス・労働力(まとめて「モノ」ということにします)を買えるようになることです。社会保障の場合は、税収によって移転支出先が市場でモノを買えるようになること、ですが、どちらも市場でモノを買えることが重要です。ここからは前者で考えます。
税収を得るときに政府が資産を切り売りするなら、それは税ではないです。だから一般的な税の定義通り、税は、法律で義務づけられた、民間から政府への、(個別的)対価のない給付になります。相続税の物納もこの定義に合致します。
そのように政府が税収を得ると、政府が保有する資産の時価総額(以下、資産総額)は、税収分だけ増えますよね。対価がない給付なのでそうなります。そして、その増えた分で、政府はモノを買えます。このように、税とは、民間から政府への、一方的な経済的価値の移転です。その経済的価値を得るのが、税の目的です。なお、この経済的価値は、経済学で「交換価値」とか「購買力」と呼ばれるものです。
このような移転は、法律による義務がなければ起こせません。なぜなら、そのような義務がなければ、人々は自由意志で市場で何かと何か(普通は、お金と、商品やサービスや労働力)を交換するだけだからです。誰も好んで私財を政府に無償で渡さないでしょう。税に義務が必要なのはこのためです。
市場での交換(市場取引、売買)は、経済的価値について、重要な性質を持っています。それは、市場取引は経済的価値の等価な交換だというものです。モノは時価で取引されるので、当然ですよね。
では、考えてみて下さい。いま、政府が税収を手にしました。政府がもつ経済的価値が増えました。市場では、等価交換だけが起きます。義務がなければみんなそうするからです。すると、政府が税収として得た経済的価値は、誰がどのようにして手放したものでしょうか?
義務を負わなければ民間の人々は経済的価値を一方的に手放しません。だから、政府が税収として得たのは、義務を負って納税した人が手放した経済的価値です。
いささか話が抽象的だったので、もう少し具体的に説明します。
政府がもつ経済的価値の全体は、政府の資産総額で表されます。民間のそれぞれの主体もそうです。ある額の税収が上がれば、民間全体の資産総額はそれと同じ額だけ減ります。
市場取引は時価での売買なので、それを行う両者の資産総額は変化しません。納税は政府への一方的な給付なので、それを行う者の資産総額はちょうど納税分だけ減ります。その減少は、必ず義務を必要とします。
イメージが湧くでしょうか。民間がもつすべての資産のうちの一部が、一方的に政府に移転する、それが税です。市場取引は常に等価交換です。だから、民間のうち義務を負って納税した誰かの資産が政府に移転したものが税収です。それ以外のところから税収は発生しません。
消費税では、消費者は市場取引しかしません。だから消費者がいくら裕福でも、消費税は彼らが持つ資産の一部たりとも税収として持って来られない。これが現実です。
「税の転嫁」理論の誤り
ところが経済学は、税は転嫁されうるのだ、と説明します。それに従って貴省も、適正な転嫁が起きれば、消費者が消費税を払うと考え、転嫁を促進してきたと思います。
ここでは、その「転嫁」がどういう現象かを説明します。結論から言うと、「転嫁」が起きても税を支払う者は変わりません。だから「転嫁」の有無や程度は、財源の大きさを変えません。
「税の転嫁」は、誰にでも見えてしまうもので、人間共通の錯覚の一種です。そのため、ここでの説明は、感覚的ではなく論理的な思考に訴えたものになります。もし感覚で理解しようとすると、錯覚に流されて、説明の内容が意味不明に思われてしまうでしょう。けれど財務省にお勤めの方々は強靱な思考力をお持ちだと思いますので、ここで行う説明で、言いたいことは十分に伝わるだろうと信じています。
税の転嫁は、簡単に言うと、次のようなものとされています。
売り手に税が課されたとき、税額を価格に上乗せして売るなら、買い手がその税を払う。
例えば売り手に10円の税が課され、商品価格を100円から110円に引き上げて売ると、買い手が10円を税として払う。これが税の転嫁ですね。
この説明では、買い手は、商品を買うことによって税を払うことになっています。ならばこの人が税を払うのは、商品を買う直前と、商品を買った直後という、2つの時点のあいだのはずです。
ここで、商品を買う直前と、商品を買った直後の、この人の資産総額を比べてみましょう。市場取引は経済的価値の等価交換なので、それらは同じです。だから買い手は税を払っていない。前の節で説明した通りです。
ではなぜ、税の支払いが転嫁されたように見えるのか。この転嫁は、噛み砕くと、税がないときよりも、税があるときに、10円多く払った、というものです。税がないときに買い手が100円で商品を買うときには、それは等価交換です。税があるときに買い手が110円で商品を買うときにも、等価交換です。つまり買い手は、商品価格の上昇による損失を被ったのです。別の言い方をすると、その商品に対して、お金の価値が下がるという損失を被りました。ここまで見たように、その損失は税収=経済的価値の移転とは無関係です。いくら10円というお金が、売り手を経由して政府に渡ろうとも。
数字で見てみます。税がないときには、商品の価値は100円と等価で、だから100円を支出すればその商品が買えました。税があるときには、商品の価値は110円と等価で、商品価値が上がった、そしてそれと表裏一体の現象として、その商品に対する貨幣価値が下がっています。そのため、そのように価値の下がったお金を100単位渡すだけではその商品が買えず、110単位渡す必要がある。こういう現象です。
税の支払いが転嫁されるように見える、大きな原因が2つあります。1つは、買い手が(貨幣価値の下落という)損失を被っている、という点です。それは確かに損失ですが、税の支払いではありません。しかし、税によって損失が起きれば、人は誰でも、それを「税金を払ったのだ」と考えがちです。商品に対する貨幣の価値下落という損失は非常に見えにくいので。
もう1つは、買い手が払ったお金のうちの一部が、政府に渡るように見えることです。これは、お金の動きとしては、まさに税の支払いそのものに見えます。けれど、先に確認したように、税とは対価のない給付ですから、お金だけを見ていては判断できず、市場取引においてお金と逆に動くモノとの価値の関係を見る必要があります。
これらは、認知心理学で「認知バイアス」と呼ばれるものに深く関わっています。ここでは詳しく述べませんが、もしご興味があれば、「質問の置き換え」「イメージ流暢性」などのキーワードとの関連を見ていただければと思います。
以上のように、税の支払いそのものが市場取引の相手方に移ることはなく、ただ価格変化によって損失を被る、それが「税の転嫁」という現象です。だからこの名称はミスリーディングで、「税の影響」のほうがより的確と思われます。
貴省にとって重要なのは、どこに財源を求めるかを検討するときに、「税の転嫁」は無関係だということです。消費税で言うと、納税を行うのは事業者ですから、その税源は事業者の所得(赤字課税の場合は資産)です。つまり消費税の税源は、所得課税と重なっています。なので、「消費税によって消費課税に新たな財源を求めた」というご認識であれば、残念ながらそれは事実誤認と言わざるをえません。
振り返っていただければと思います。消費税の導入と強化は想定通りに税収を増やしたでしょうか。なぜ消費税の新規滞納が突出しているのでしょう。これらは、私のような一般人よりも、「中の人」である皆さんのほうが、疑問に思うのではないでしょうか。
「税の帰着」の理論との関係
ここまで、「税の転嫁」の理論は税収の検討には不適格だと示しました。税の支払いと税による影響を混同したこの理論が、貴省の目的に有用かどうかは、皆さんにご判断いただければと思います。
もし経済学に明るければ、税負担についての「税の帰着」の理論をご存じだと思います。帰着が税法に関して直接問題になることはほぼないと推察しますが、税制の検討の場面(審議会など)では現れることがあるようなので、これについてもひとこと申し述べたいと思います。
経済学では、税の「(経済的)帰着」が税負担を表すとされています。税の帰着は、税制の変更による、経済主体の厚生の変化と定義されます。簡単に言えば、税の導入によって、ある人の所得などが減れば、それが帰着であり、税負担だ、というものです。
このため先ほどの、売り手に課税された場合の買い手の損失は、買い手への税の帰着となります。具体的には、税の導入によって、手元にある100円という現金の実質的価値が目減りした、という損失です。所得で考えれば、名目所得は不変でも、実質所得が減少したことに相当します。
このように、税の帰着は、税の転嫁を一般化した概念です。したがって帰着もまた、税収と直接関係ありません。
皆さんは、経済学の専門家が「売り手への課税と買い手への課税は等価である」と言うのを聞いたことがあるかもしれません。この命題は、帰着を唯一の税負担だと考え、それを税の支払いと同一視した上で主張されます。同額の税を、売り手に課しても、買い手に課しても、結果としての帰着は変わらない、だから誰が税を払っているかについても変わらない、という意味です。
しかし財政当局である皆さんは、これに簡単には納得できないのではないでしょうか。もし納得できないなら、その感覚は正しいと思います。ここまで見たように、売り手への課税の場合の税源は、売り手の所得や資産であり、買い手への課税の場合は買い手のそれです。そして税を払うのは、義務を課された側であって、それぞれのケースで逆側です。これらを考慮しなければ、誰の担税力の範囲でどれだけの税を得られるかを的確に見積もれるはずがありません。
もしご自身がこのような常識的判断をなさるなら、貴省は非常に大きな問題を抱えていることになります。
貴省の任務には、健全財政の確保の他に、適正かつ公平な課税の実現というものがありますね。そのような課税には、「誰がどれだけ税を支払っているか」の正しい認識が欠かせないはずです。
いま仮に、売り手への課税によって、売り手と買い手の厚生が同じだけ悪化したとします。売り手はこのとき、税を支払います。つまり、自らが創出した価値の一部を政府に供します。買い手は税を支払いません。買い手が被るのは、市場変化による損失だけです。この2者が、同じだけ税を負担していると見なしてよい十分な理由はあるでしょうか。一方は義務的に経済的価値を手放すことを強いられ、他方は市場で自由な取引をするだけだ、というのに。
皆さんは、消費税についての「輸出戻し税」という批判に辟易しているでしょう。それは仕入れで払った税を、売上で受け取れない企業に還付しているだけだ、と。
しかし、すでに説明した通り、市場取引のみを行う主体が税を支払うことはありません。輸出企業は市場取引を行うだけですから、消費税を支払いません。転嫁の理論によって「税を支払った」ように見えるのは、市場の変化によって貨幣価値の下落を被るというものです。輸出企業から政府への一方的な給付はありませんよね。
そして還付金とは、政府から納税をした者への一方的な給付で、要は「税の支払い」の逆です。だから「輸出戻し税」は、輸出企業が市場変化によって被った損失(実際には、価格への正確な上乗せが起きているかわからないので、「被ったと見なされる損失」と言うべきでしょう)を、給付によって補塡するものであって、税の還付――支払った税の逆給付――ではないのです。控除不足で消費税を「還付」される他の事業者についても同じです。
税の支払いと市場変化による損失を混同する不用意な経済理論を信じたために、消費税の税収は、膨大な額の還付金として無駄に漏出し、輸出企業の大きな利得となっています。経済理論を唱えるだけの専門家とは違い、貴省は財政について現実に責任を持つ立場ですよね。この不適切かつ不公正な扱いは、他人のせいにして済ませられないと思います。
より一般に、この経済理論は、間接税とされる税について、誰が税を支払っているかを誤認させます。消費税を払っているのは誰か。揮発油税は。酒税は。適正かつ公平な課税のために、またひいては健全な財政のために、ご自身の目で一度見直していただければと思います。
おわりに
このノートでは、財政健全化がなかなか成らない理由は、皆さんが拠り所としている経済理論の誤りにあることを説明してきました。普段から大量の文書を処理されている省庁の方々にとって、この程度の長さの文章は長いうちに入らないでしょう。その中で、さらにできるだけ論理を明快にして説明してきたつもりです。
経済的なものであれ、科学的なものであれ、理論が実用的であるためには、それが現実を的確に捉えている必要があります。税制とは第一義的には、税収と、それとコインの裏表の関係にある、税の支払いの問題ですよね。いま皆さんが頼っている理論は、税の支払いと、それ以外に経済主体に降りかかる損失(「厚生の悪化」)を、異なる事実として区別できません。経済的な事実を認識する手段として力不足なのです。そのような不完全な理論が、消費税を「消費課税」のように見せ、皆さんもそれを信じてきた。30年もそんなことを続ければ、現実からしっぺ返しをくらって痛い目を見るのも道理でしょう。
私たち一般人は、何が何でも税なぞ払いたくない、と思っているわけではありません。政府が何かに支出するのが望ましく、私たちがそのために私財を供するのも難しくない、と判断すれば、まあ喜んでというわけにはなかなかいきませんが、納得して税を払います。
けれど現状のように、誰が税を払っているかを財政当局が見誤ったまま、消費税が「還付」され続け、税収不足で社会保険料が上がり、消費税の免税事業者がまるで「消費税分」を着服しているかのように扱われるのは、不公正としか思えません。
いま、異様ともいえる盛り上がりの中、貴省が何をするのか、何をしないのか、多くの人が注目していると思います。もしもこのノートの内容が、適正かつ公平な税制に向けて少しでも役立つなら――そう信じて書いたものですが――、皆さんの現実の行動に役立てていただき、本当に望ましい税制の実現と、さらには皆さんをも含めた国民全員が望む財政につなげていただければ幸いです。
きついお仕事だと拝察します。お体に気をつけて。いつもありがとうございます。
草々
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