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阪神タイガース リーグ優勝の日/2023年9月14日(木) 晴れのち雨
『プールサイド』一本槍で出た『文学フリマ大阪11』で、立ちっぱなし喋りっぱなしのど根性あきんどスタイルを採用した自分は、代償の腰痛にもぞもぞしながら焦っていた。
知らん間に秋めいて、赤とんぼがそこら中でホバリングしている。急遽降ってきた食関係の担当別冊が、校了まで残り二カ月になっていた。時間と予算の許す限り作り込んでは、自家中毒を起こしてフラフラになる、20年続けてきたそんな編集の仕方から脱却する絶好の機会だ、と身体を無理くり前に向かせるも、「魂の筋トレ」とかここに書きかけているあたり、自分はまた同じことを繰り返すのだろうし、どこかでそれでもいいと考えているのだろう。
関わる人が多い編集において、不器用はほとんど罪なのに。椎名誠の『おろかな日々』というエッセイのタイトルを思い出す。中学生の頃、文春の連載の一連のシリーズが好きだった。椎名さんのように、旅をしながら朝原稿・昼散歩・晩飲酒の日々を続けられたら、どれだけいいだろうと思う。
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そんなもぞつく自分と対照的なのが阪神タイガースである。9月8日からの2位カープとの天王山に完勝し、マジックの減り方に加速が付いた。9月はまだ負けなし、破竹の勢いとはまさにこのこと。10日の文学フリマの時点で既に「アレ」を確信していた自分は、普段しない緊張を早くも感じていた。
「アレ」ことリーグ優勝から遠ざかりすぎていて、歓喜の輪がマウンドに築かれ、65歳の老監督が宙を舞う姿がうまく想像できない。虎党にとっては山上の聖地を巡拝するような古代ロマン。優勝はほとんど神秘の域だ。
ブライアントの豪快な一発や野茂英雄のトルネード投法に夢中になり、理想の大人とは仰木監督である、と少年時代に信じていた程度には野球ファンである。できたての東京ドームで晩年の山田久志を見てアンダースローに取り組んだり、球技音痴ながらも草野球チームに参加することもあった。
やがて虎党に入党することになったが、デイリースポーツやサンテレビの兄弟会社でうっかり勤務しているのも奇縁と言うほかない。そういえば、連覇から最下位争いとなったヤクルトファンの子どもたちを抱える新田家の治安は大丈夫だろうか。
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「おーん、普段通りの野球やるだけよ」
昨日の時点でマジック1、この期に及んで岡田監督ったらまた同じことを言ってるよ、と思いながらも、本拠地・甲子園での巨人戦、意地でも勝ちに行くはずだ。18年ぶりの夜に自宅へ直帰する分別は持ち合わせていないので、昨日のうちに残業をしてアレに備えていた。
先発・才木と敵方の赤星の力投が続き、会社を出る19時過ぎの時点で両チーム無得点。とりあえず予定していた飲食店のロケハンのために社を出るがあまり気が向かず、長年通っているバーバーに行くことにした。
散髪中の6回、大山の犠飛と佐藤の2ランで3点が入り、予感はほぼ確信に変わる。もぞもぞで緊張は見破られていたが、フェードをかけた頭に、いつものバームでなく甘い香りのグリースをつけてもらうと気合いが入った。
7回に一点を返されるもその裏、頼れる男・近本がダメ押し点を入れ、北堀江からアメリカ村へ、東へ進む足がもう止まらない。
御堂筋に出ると機動隊の乗るバスが鈴なりで、ニュース通りの厳戒態勢だ。突然湧き出した阪神ファンと野次馬に、外国人観光客が目を丸くしている。周辺のコンビニや飲食店が、有事に備えて店を閉めていた。四方八方のモニターの音と警察官の笛が響き、街中が喧噪に包まれ始めていた。
2点差になった8回の裏、戎橋の南詰に到着。欄干沿いは警察官の人の鎖で近づけず、マスコミと野次馬、通行人とユニフォームを着た応援団が入り乱れている。戎橋からの飛び込みは完全にガードされて、川沿いのプロムナードに不穏な気配が溢れ始めていた。
9回表に入り、頼みの一球速報はアクセス過多で繋がらず、試合の状況がわからない。タイミングのいいことに、近隣で呑んでいるのが判明した友人の今野ぽたさんから、XのDMで速報をもらう。
「岩崎が、横田の入場曲で登板しました。泣いてます」
今年7月に28歳の若さで亡くなった横田慎太郎さんの、あの愚直としか形容しがたい佇まいを思い浮かべて、一気に涙腺が緩む。今頃、『栄光への架橋』の大合唱が銀傘に跳ね返って、甲子園の空高くへ放たれているのだろう。あの鉄面皮で寡黙な抑えの岩崎が、リリーフカーを降りていつも通りマウンドへまっすぐに走って行く。横田と同期入団の彼が、地を這うようなストレートを今日も坂本のミットに投げ込むのだ。
なんだ、不器用だっていいじゃないか。不器用もいいじゃないか。
戎橋の中央でなされるがまま、青い焔を纏う岩崎のボールをぼんやり思い描いていた。老監督が宙を舞うイメージがようやく像を成し始めた。永遠とも思える9回の表にも終わりがやってきて、20時50分、橋の北詰の一角から大歓声が上がり、空に突き出したスマホに代わって、ハイタッチの波紋が一気に広がった。そして進行方向はたちまち失われ、橋の上はマーブル状にうねりが食い込み合う混乱の巷へ。自分は地響きのような声の塊に身を任せながら、汗と涙の渦に練り込まれていった。
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それからの記憶はおぼろげだ。今野ぽたさんと合流して、握手とハグをした。千日前のテレビがあるなじみのバーで乾杯をしたところで同僚2人がやってきて、また何度も乾杯をした。
監督が6度宙に舞った後、横田の背番号24のユニフォームを手に持って、大仕事をやり遂げた岩崎が胴上げされる姿。セ・リーグ制覇のペナントを持って、手を振りながら球場を一周する選手たち。ビールかけ前の岡田監督の挨拶。全てがたまらなかった。バーのテレビでは、あの岩崎が、見たことのない笑顔でビールを浴び続けていた。
その後、同僚の引率で見知らぬスナックに飛び込み、彼が歌う細川たかしをBGMに、ひたすら芋ソーダをあおった。祝祭ムードの消えた未明の道頓堀を歩きながら、『栄光への架橋』をなぜ歌わなかったのだろうと思った。きっと歌いたくなかったのだろう、とも。
壮大なストリングスに飾られない、地道な人生が集まった6時間前の橋の上。不器用を引き受けながら、毎日精一杯働いてマイクを握る仲間たちと自分。大阪の街のとある雑居ビルの片隅で、自分は明日への手紙を心に書きつけていた。
顔の和らいだ警察官が帰り支度を進めていて、金龍ラーメンの釜だけが、その横で場違いな湯気を吹き上げていた。突っ立ってラーメンを待ちながら、何度も口に出してみる。
いくつもの日々を越えて、辿り着いた、今。