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ロック誦経で踊り出す/2024年1月1日(月)晴れ

凧揚げが好きだ。

雲が吹き飛んだ蒼天を書き割りに、健気に風をこらえたかと思えば、風を得て高みへ躍り上がる。それを繰り返しながら細い紐を経由して、地上とは異なる風のめぐりを我々の指先に伝える。天地の均衡を知った凧は、やがて乾いた風を鳴らす楽器になる。

いつもは年が明けるなり暮れのあれこれをさっぱり忘れてしまうのに、家族で凧揚げをしたクリスマスイブの記憶が、改変もなくそのまま初夢になった。隣のスケートランプを滑走する少年たちのヘルメットと、遠くを水平に進む飛行機の白が、寝起きのまぶたの裏にいつまでも残っている。流行病に罹って四畳半でただ寝て終わった昨年のモノトーンの正月を思えば、こうして元気に新年を迎えられた喜びはひとしおだ。

首の骨を鳴らしながら起き上がる。それから準備に忙しい妻子にひとりずつ新年の挨拶をして、いつもと何ひとつ変わらない朝の支度。


徒歩10分ほどの距離にある実家には、今年98歳になる母方の祖母と両親が一階に、兄の一家が二階に住んでいる。数年前には、未亡人になった叔母が長年住んだ岐阜からこれも徒歩圏内の近所に越して来て、「フジモ・トライアングル」がいきがかりじょう完成したのだった。

他人には知ったこっちゃないだろうが、「一族郎党は集住すべし」という母の強い念がそうさせたのではないかと自分は思っている。そして今では、実家が近くて良かったといつも思う。実務的な便利さもさることながら、年齢を重ねて家族が集まる時間のかけがえなさを感じる中で、住み慣れた地元に暮らす心安さには何度も救われてきた。季節ごとに花咲く家の門前を楽しみに訪れ、愛らしい辻の地蔵堂を拝むほどに。

一族の正月は、奈良と地元の2カ所にある墓参りから始まる。司令塔の母から10時集合と連絡があったので、用意していた山名酒造の「木札」と呼ばれる日本酒の一升瓶と、お年玉が入ったポチ袋を持って自転車に乗り込んだ。

ぬくいぬくいと言い合いながらの道中は新築工事だらけで、タッカーのばすんばすんが今にも聞こえてきそうだ。正月にして年イチクラスの好ましい気候に、実家に着くまでぬくいぬくいと言い合い続ける。馴染みのお山公園を散歩する犬が、草むらに身体をしばらくこすりつけてから、にんまりと口角を上げてこちらを見た。


実家に着くと、大晦日からオーストラリア旅行に行ったはずの兄嫁が車の運転席に座っていて、後ろに甥っ子と姪っ子兄妹の顔が見え隠れしている。あけましておめでとうございます、っていうかあれ? と聞けば、兄が旅行前日に熱発してキャンセルになったらしく、兄弟で身体弱めでなんかすいません、と心で頭を下げる。いろいろあったに違いないが、傍目にはなんら動じていないように見える兄嫁の胆力を見習いたい。

足の悪い祖母を残して、挨拶もそこそこに父が運転する車に乗り込む。最近『プールサイド』を読んだらしい父は、「あいつも繊細なところあったんやな、文章で飯食えるんちゃうか」などとすっとぼけたことを母に言っていたそうだが、内容についてちょこちょこ話を振ってくるのが面白い。

息子の日常を値札の付いた本として読むというのは、親としてかなりレアな体験だとは思う。後部座席の真ん中に座った息子が、そんな父子のちぐはぐなやりとりを、不思議そうに聞いていた。


高速道路を下りて県境の峠をひとつ越えたらそこは奈良県で、真新しい病院や同じ面構えの南向きの住宅が並ぶニュータウンの風景に様変わりする。バス通りを行くほどに家は大きくデザインはさまざまになって、バス停のたびにコンビニや弁当屋が挟まったシムシティのような街並みが続く。「郊外の閑静な住宅街」以外の例えが思いつかない街の暮らしを想像するうちに、菩提寺に到着した。

運転手以外は本堂裏手の墓の傍で下車し、トランクから出した仏花と線香を持って、水屋の適当なバケツと柄杓を拝借する。
それにしても、来るたびに墓地が拡張しているのがすごい。その勢いは「膨張」と言って差し支えないほどで、本尊は目映いばかりの金色、突然建立された役割不明の六角堂のそばでカラフルな吹き流しが盛大になびいている。ご一家で営む寺院としては破格の版図、これはやり手フィクサーの影を感じざるを得ません! と心のあばれる君が言う。いっそ隣で石材屋を始めようかとも思う。

でも、一族の老人からキッズまで、律儀かつ前のめりで拝みに来てしまう魔力がここにはある。

父がチャッカマンで線香に火を付け、女性陣が花を飾り、自分と子どもたちで墓に水をかけまくっていると、味の出た三宝に焼香グッズとお鈴を載せた尼僧が登場。これまた味の出た黒い袈裟に輪袈裟を重ね、ある時は漁村のオカン、またある時は高貴な巡礼者に見える。和製ヴィン・ディーゼルなご住職はあまりお出ましがなく、最近はもっぱら彼女が誦経の担当だ。

墓周りを片付けてしずしずと小径に控えた我々、家族ごとに並んで数珠をはめるやかの尼僧、ふいっとひと息ついて「先祖代々藤本家の⋯⋯」と始まるイントロ。来た来た、と隣の母の口角が上がっている。

そしてお鈴一発、Aメロ的なところからいきなりBPMが速い。要所でパーカッシヴに決まる手持ちのお鈴の音が、寺域の一角をロックしていく。Bメロに入って父から順に焼香する間にも声色とお鈴は力強さを増していき、気付けば頭とカカトでリズムを取ってしまう。

いよいよハスキーに畳みかけるオリジナルな節回しの高速フロウと焼香の煙に巻かれて、鎮座DOPENESS vs MAKAの対決が脳裏にフラッシュバックする。焼香を終えたらいよいよ落ちサビ。怒濤のお鈴三連打に合わせた南無阿弥陀仏の連呼に、もう我慢できない、踊り出てやろうかと毎回思う。

はっと我に返ると、尼僧は三宝にお布施を載せ、「ようお参り」と一言、颯爽と姿を消すのだった。


「今日もすごかったね」

ゴイーン⋯⋯と鐘楼の吊り鐘を順番に衝いて、階段を下りながら話し合う。正直、「そのお経ほんまですか」と思わんでもない。でも、神妙な顔で墓参りをするよりもこれがウチには合っているし、きっと骨壺に眠っている先祖の髑髏も小さくヘドバンしていることだろう。

門前の溜め池にできた光の道を通って、鴨の一家が仲良く泳いで寄ってくる。やがて風が止んで、対岸の小さな古墳が水面に線対称で映った。
これから家の近所のお墓に行ってから、お雑煮とお節を食べてみんなで神社に行く。毎年同じ流れだよ、と息子に告げると、「よっしゃおみくじ!」となぜかガッツポーズをした。


でも毎年って、いつまで続くんだろうな。いや、続けるのは自分や彼次第か、と息子の寝癖だらけの頭を見ながら考えていた。

車に乗り込む寸前、あの誦経とお鈴の音がまたどこからか聞こえてきた。遠くに尼僧の小さな背中を見つける。宗教は人を惹きつけてこそなんだな、とちょっと笑って、見上げる空は凧揚げしたあの日と同じ澄んだ色。

・・・・・

新年あけましておめでとうございます。いきなり過去作の蔵出しで恐れ入ります。12月中旬にインフル禍を食らった藤本家、そのお陰か年末年始はこの上なく穏やかな正月を過ごしました。ゆっくり寝て昼飯をつくり、少し仕事して本を読み、家族で運動して食卓をまた囲む。夜はひたすらレゴを作ったりうっかり踏んだりしています。今年はケガや体調不良にむっっっちゃ気を付けます。かしこ。

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