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ヨーロッパの少年 240808

通り雨のたびに、暑さのカドが取れている。
少し前まで蝉が鈴なりだった青紅葉も静けさを取り戻して、思わず全身で真似したくなる枝ぶりでそこにある。

夏だ一番・ドラえもん映画祭をひとり開催している息子と、家事に動き回っている妻が揃って散髪していた。なんと妻にいつぶりかしらん前髪が誕生して、吉瀬美智子風シルエットに変化している。ええやんかいさヨーロッパの少年風、におてるねと言うと、照れて無言なのが趣深い。

年齢を重ねるほど、身の回りの「一生これでええわ」は増えていき、悪くいえば消費行動が硬直して日々の刺激が失われていくものだ。行きつけのバーバーで長らくマイナーチェンジしかしていない自分は(毎回大満足なのだが)、たまに飛び出す妻のこうしたチャレンジに心で拍手を送っていて、いいと思ったら素直に言葉に出すようにしている。対象は人に限らず、「かわいい」とか「きれい」も、状況が許せば口にする。もちろん、職場ではハラスメントになるから言わないけれど。

ふと、「ルーティーン」という言葉が一般に浸透したのはいつなんだろうと思った。
ピッチャーに相対するイチローや、コンバージョンキックの狙いを定める五郎丸あたりからとすれば2010年代か。一般に「無意識な日課」でしかなかったものが、彼らの意識的で求道めいた仕草によって、「繰り返しの美」のようなニュアンスを帯び始めたように思われる。

やがて令和になり、起業家やインフルエンサーたちが朝の支度を公開して世に問うにつれ、ルーティーンは生活に逆流して、「美しい」やら「丁寧」やらマジカルな形容詞を伴いながら、憧れの暮らしの象徴になっている。

近年、映画『パーフェクト・デイズ』の主人公が出て、ようやく中年男性にもルーティーンについてモノ言う権利が渡されたように思うが、スヌープ・ドッグ似の大庶民がそれを臆面もなく公開するのは、世界広しといえどココだけである。


「エッグベーカー、つこたろおもてんねん」
ほーん、と生返事の妻にわざわざ宣言するのは、手に入れてから1回しか使っていない湯町窯の名品を退蔵しておくのがイヤになったからだ。積読と同じで、無役だったうつわも、使い手の暮らしが変われば生きる道がある。ちゃんと作られたものにこそ、そうした復活劇はしばしば起こる。
自分のライフワークのひとつに、手仕事の現場と作り手を訪問するというのがある。できるだけ窯元や地域を代表する配り手から買うようにしているので、棚に積み重なるそのどれもに思い入れがあるのだ。

アヒージョや蒸し物のようなアレンジ料理もできるだろうが、本来はその名の通り目玉焼き専門というなんとも気位の高いエッグベーカー。これまで、酒を常飲して寝汚い自分がとても使える代物ではなかった。
棚から出すと、丸こい見た目相応のやわらかな重みがいきなり良い。餅の焼き網をコンロに置いて、卵を割り入れたそれを弱火で熱し始める。その間に近所のベーカリーで割引になっていたサワードゥをカットして、トースターでぬくめる。

イラチで心配症なので、蓋を何度も開けて閉めてしているうち、高知で買った完全天日塩が絶対合うやん、と思いついてテンションが上がる。火から外して蒸らしながら、暮らしに偏在する小さな違和感も、点検さえすれば「生活」というプリズムを通して分散されていくんだと思った。うまく言えないけれどそんなイメージ。過程を味わうこうした身振りが、結果より大切でおもしろいんだと。


蓋を開けたら、卵の白身が分散した光に馴染んで静かに輝いた。黄身をパンにディップしながら食べたら、8年前に使った時とまるで違う味がした。
これうまいよ、とヨーロッパの少年に告げると、少し口角が上がったように見えた。心で小さなハイファイブ、今日も朝の20分の出来事。


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