ほぺ毛の脱落 240909
「ほぺ毛」が寂しくなった。
「ほぺ毛」は「ホペゲ」と読む。
その名の通りほっぺたのひげである。
うぶ毛をうっすら生やした紅顔の少年も、大学で顎ひげを、社会人で口ひげを蓄えて、やがて口角が繋がり白髪交じりになった。
ほぺ毛はひげメンとしての存在を確立させるだけでなく、中年太りを誤魔化すシャドー効果も期待できるひげ界のいぶし銀だ。私の場合、ひげは月に一度行くバーバーで整えるほか、様子を見て自らトリミングしている。
昨晩は、果敢にも慣れない左手にハサミを持って風呂場に向かうも、耳たぶカット、鼻の中流血,ほぺ毛の脱落という結果となった。同一カード3連敗、ほぺ毛はスポーツ刈りくらい短くなった。
ちなみに「ひげにこだわりがあるんですか」とよく聞かれるが、そんなものはない。必要とあらばいつでも剃り上げるし、肌弱族の宿命でカミソリ負けするから伸ばしている。
なんなら実人生においても、ブレや迷いこそあれど「こだわり」なんてものはなく、「執着」成分が多いこの言葉をむしろ遠ざけたいと思っている。まとわりつく我執とのたたかいにこれまで随分手を焼いてきて、心の隙間から一気に席巻されるこわさをよく知っている。
ほぺ毛の脱落から一夜明けて。
昨晩のあれこれを思い返しながらひげをひと撫で、よっしゃ行くかとパソコンの入った鞄を肩に担いで家を出る。
真夏の歩兵生活は気合いが必要だ。週に一度のレントゲンのために、病院に向かう最短ルートを急ぐ。
一方通行だらけの入り組んだ路地。そのL字の折れた部分にある自宅を出て、L字の上端にある三叉路を左に曲がり、車が一台通るのもギリギリな急坂を後から小突かれるように下りる。繁茂としか言いようがない雑草に覆われた地蔵堂に黙礼をするとすぐ、三方の坂が尽きた小さな低地の交差点となる。
古来阿倍野七坂と呼ばれたこのあたりの低地では、かつて川だったことを思わせる緩やかにカーブした路地がいくつかあり、それらは上町台地の周縁では数少ないなだらかな道だ。
界隈に3つある幼稚園の引率が入り乱れて、辻ごとに見送りの父兄が立っている。かつて水を集めた川の上に敷かれた道は、名のある大きな通りへと収斂していき、今では時の流れに人を浮かべて、黙々とすべてを運んでいる。
双方向の道に出て上町台地の坂を上がり、北畠顕家の墓がある公園でひと息。いつもの整形外科に着くと、開店15分前にも関わらず5人の待ちがあった。
鋭角に光が射し込む見慣れた黄緑のソファの、明暗の境目に座る。光にかざして一文ずつ味わうように、くどうれいんさんの新しいエッセイ本を読む。端正な筆致の行間に潜む忖度なき激情、気付けば同期してしまっている深い余韻、名手が過ぎる。
小一時間ほどかかって、診察室に呼ばれた。
ライトボックスにモノトーンの骨が貼り出されている。入りの挨拶の反応から察していたが、センセイの表情は浮かない。そういえば、なんか2回くらいパキパキって変な音したしな、と5秒ほどの間で考える。こっち側はきれい、こっちも良し、と例の余計なJ-WALK的前振りが今日もやっぱりあって、センセイはこちらに向き直って言った。
「でも⋯骨の亀裂がちょっと広がってるね」
ちゃんとなおるのだろうか。
校了までもうすぐだし仕事にかまけるのも仕様がない、どこかそう諦めている人生が悔しくなった。そんな生活を変えてみせると、整形外科を出た商店街に立ち強く思う。
日にち薬は時間がもたらす正の作用の最たるものだ。どんな傷、人間関係にだって効く。
気を取り直して、少し伸びたほぺ毛を撫でながら、白昼の庚申街道を汗をふきふき歩いていく。遠くに見える南港通が、ぼんやり逃げ水に浮かんでいる。
追記
口述と手打ちが半々になり、文がどうも散漫になり困っています。それにしてもギプスが重くて、右肩が成長しそうです。写真は、家族で行った須磨シーワールドのやたらテンションの高かったタツノオトシゴ。