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手で飯を食いたい 240831

毎日、手で飯が食いたいと思っている。

すり傷が癒えて、噂のカチカチのギプスとなった自分は、腕を吊る布の圧力で首が壊れたために、重たい腕をぶら下げて生活をしている。

不便なことは数え切れないが、親指と人差し指の間に渡された白いカチカチのせいで、箸やスプーンをうまく使うことができない。一時はアウトドア用のフォークやスプーンのセットを持ち歩いていたが、使った後に洗えないと気づいてやめてしまった。

うどんそば混ぜそば冷やし中華といった夏の昼飯のスタメンがうまく食べられないのがくやしい。カレーとパンが繰り返されるため、腹の中でカレーパンできてるやん、などと毎日考えている。晩夏の空に広がる、奥行きのある台風雲を眺めながら、今日もパン屋に行く。


自転車に乗れないので、歩くことがとても多くなった。
運動のためこれまでも駅間を歩くことはあったが、それは楽しみに聞いているポッドキャストを聞くための時間でもあった。
特に行き交う人や車の少ない夜道では、声が骨に染み通るようで、たとえ考え事をしていたとしても脳のどこかに内容が記憶されている。意識と別のところで情報、というより声が保存されている不思議。

腕を庇って歩き方が不自然な今は、全ての神経が腕に集中しているようで、聴覚を減じるのがとても恐ろしい。さらにこけたらどうなるんだろう、一度割れた骨がこの歳で自然にひっつくのか、なんて後ろ向きなイメージが骨折の現場を通るたびに浮かぶ。ファミコンの魔界村よろしく、敵にぶつかって積み上がった骨になる想像もしておいた。敵ってなんだ。


それにしても取材期間でなくてよかったと思う。
校了前で仕事量はとても多いが、デスクワークが中心で、マウスを駆使する業務や写真の朱書きは同僚がサポートしてくれている。ローギアでキーボードは打てるが手首を使えないので、メールの応酬の後は右腕の付け根が取れそうに痛む。医者に処方してもらったアンメルツ的な塗り薬をくしゃみが出るほど塗りこんでなんとかしている。

大きな問題は社内で口述筆記がしづらいということだ。
関西弁のイントネーションになると途端に精度が怪しくなるので、標準語の発音をどこか探りながらのフロウ、これで韻を踏めばリリックになるのかもしれないなんて思いつつ、関西人ばかりの社内でそれを披露することは憚られる、というかシンプルにあやしい独り言おじさんとなる。

でも、こうして家でひとりwordのディクテーション機能に向き合うことはちょっと楽しい。
脳で生成された言葉をそのまま書き付けるのではないために、歯切れの良さはあまり出ない。でも、身体に内在しているリズムと違う息遣いが出て、それを逡巡しながら置いていくのはおもしろい。口に出せないこころの動きを何かに仮託する、情景描写にはあまり向いてなさそうにも思うけれど。


骨折から10日が経って、書くことだけはつくづくひとりで、どこでもできるし、誰ともやれないと、モニタに向かって話しながら思う。

他人とうまくやることの難しさに頭を打たれてきたからこそ、文字が白場を埋めていくほどに、消えることなくこころに佇む「わたし」の存在を感じる。そして、誰かには呪いかもしれない言葉を書き付けるほの暗さもそこにはある。

家族や同僚の助けなしに日常生活も満足に送れない今だからこそ、逆説的にその「わたし」を強く感じるようになった。

生活は、書けないことばかりだ。

でもその書けなかったことを、ほの暗さの中で手づから見つめるのは、とても大切なことだと思う。


そうした気付きを、折れた腕の小脇に抱えて日にち薬を飲んでいる。
カチカチのギプスと腕の境目が、内出血して青黒くなっているのは、悪戦苦闘ばかりの骨折生活の私的な勲章だ。


ゆっくり書いているうちに、台風はついに去っていった。
遠くの生駒山の稜線がいよいよ青く深まり、今まさに、秋めいた。



追記
小脇を駆使すると、しばしばモノとギプスに「ミ」を挟みます。ぜひみんなの骨折生活を教えてください。今のところ、聞くほどに元スポーツ少年か現やんちゃ中年しかいない。若者の骨折離れが叫ばれる日も近いかもしれない。


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