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父親のいいとこどり/2025年1月26日(日) 生活者になりたい21
朝から家族で話を聞きに行ったり、相談したりの一日。
暮らしが一変しそうな決断をする期日が迫っている。聞いてきたリアルな話の内容より、自分はふたりの形容しがたい複雑な表情だけが印象に残った。横顔が瞼の裏に焼きついて、何をしていても離れなくなっている。
人生はどのタイミングで、最大級に根性を入れて頑張るのがいいのだろうか。でも根性期間を先送りしたからといって、世が激変しない限り「詰む」なんてこともなさそうだし。なんならのびのび暮らして、本人が「やりたい」といったことを続けるのが一番では。いろいろな考え方があるだろうけど、どれもピンとこない。
学生は「学んで生きる」と書く。勉強こそが本分だから、やるのは当たり前だ。でも、勉強で得た知識より、経験して体得してきた「知恵」こそが、人間を成す大きな部分になるのはどうも確からしい。
子育てに正解はないのはよくわかっている。『プールサイド』でも書いたことだが、自分なりの努力はしてきたとはいえ、結局仕事にかまけてきた自分は、「父親のいいとこどり」をダラダラと続けてきたに過ぎないのではないか。「子どもは勝手に育つ」なんて単純な話ではない。子育ては共に過ごした時間の長短こそが真理だと痛切に感じている。
ひとり出版社のトップランナー・夏葉社の島田さんの著書『電車のなかで本を読む』(青春出版社)を読んで思う。高知新聞が出している小冊子『K+』の連載をまとめたこの本は、島田さんが毎回1冊の本の紹介を通して書かれるエッセイだ。子育ての懊悩や世情に対する眼差し、通底する言葉選びのあたたかさに、ページをめくるたび感じるものがある。その中の一節に目が留まる。
「『そんなに子育てばかりに夢中になって、本業は大丈夫なの?』といわれることもありますが、ぼくは、全力で子育てをすれば、そのことはきっと本業にも生きてくるだろう、と楽観的に考えています」
日常のすべてのベクトルが自分に向いていることが、恥ずかしくなってくる。
最後に古巣の『Meets Regional』のバッキー・イノウエさんの連載より。バッキーさんの迷言の数々は歳を重ねるほどよくわかるようになってきた。例えばこのフレーズ。
「まっすぐ進む時間はなにがあるかわからない、いわば未知の暗闇です。でも時間が周回するように感じられると気が楽になる」
いつになく気が重い月曜がやってくる。でも時は経ち、季節はめぐって春はすぐにやってくる。一歩ず進むしかない。節句や節季、お祭り。先人たちが日常に細やかに打ってきた里程標が、彷徨い歩く自分の現在地と時の移ろいを、静かに、はっきりと示してくれている。
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遭遇するたび、ちょっと似ている息子のことを思い出す。
ちなみにこれは何度ガチャガチャをやっても当たらない、飾ってあったカプセルトイ