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忘れられた籔にて/2025年2月1日(土) 生活者になりたい27
私は幼稚園受験をしたらしい。
というのも記憶にまるでないからで、どうやら見事に落ちて地元の幼稚園に通う児童になったわけだが、通園途中の籔で、落ちていた牛乳瓶にひたすらコオロギやダンゴムシを集めていたのが年少時分唯一の記憶だ。
自分が通っていた幼稚園は神社に隣接していた。息子もそこに通っていたし、神社にも初詣やらで行く機会は少なくなかった。不思議なことに、界隈の家・団地はそれぞれ建て替えられたのに、その籔はつい最近まで残されていて、前を通るたびに「うわっ、まだあるわ」って射すくめられたられたように立ち止まらざるを得なかった。
竹の緑は失われた健気さで、隙間から見える空の白は過去の無垢な心かのように、影すら薄くなりつつある煤けた中年と向かい合った。籔はただ風にざわめいて、立ち尽くす自分の綻んだ影を揺れるたびに作り替える。その忘れられた籔は、代替わりしながら植生を更新し、人知れず雨に打たれ、霧に咽せ、猛暑に焼かれてきたのだ。数少ない友だちだったコオロギやダンゴムシも、また。
人間の社会もほとんど変わらないことが今になってよくわかる。
今でも自分は、通学の列からひとり外れて、忘れられた籔にしゃがみこんでいるようなものだ。同窓会に行けばゴルフのスコアやクルマや投資の話ばかり。触れられたくない過去の話をしつこく蒸し返されて、今すぐ表に出ろとゼロ距離で伝えて以来、ほぼ呼ばれることもない。半笑いで謝って済む世界はもう、どこにも存在しない。ただ私は、家族や仲間に恵まれ、こうしてまがりなりにも20年仕事を続けてこれたことを誇りに思っている。
幼稚園から就職活動までの紆余曲折を書こうと思ったけれど、字数がいくらあっても足らなさそうだ。ひとつだけ言えるのは、受験とは何だったのか、自分に何を及ぼしたのか、今なおよくわからないということだ。
試験に受かるための知識を詰め込まれ、その知識がどう役に立つのか、それどころかなんのために学ぶのかもわからないままやってきたこと。
試験の成績をすべて廊下に張り出されて比べられる日々を過ごした中高の6年間で、自分は何を得て何を失ったのか。受験戦争の前線に知らない間に押し出されて、晒されてきた当事者なのに何もわからない。その過程でつくられてきた脳が、考えることを拒否するのだ。
2月から、息子はそんな受験の道に足を踏み込もうとしている。たぶん一度踏み込むと不可逆だろうし、傷つくこともあるかもしれない。上のようなことを書いていて、無責任だと言われるかもしれないが、責任はこの人生で引き受けるつもりだ。いつでも辞めていいし、決して咎めない。そして自分も生活を変える。
自分は感じる。
たとえコンクリートで蓋をされても、竹が、ススキが、いつかヒビを突き抜けてまた忘れられた籔をつくることを。境界線のないこの生態の中へ足を踏み出せば、そこに自分の道はあることを。
忘れられた籔にて。
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