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源泉は腹のなかに/2025年1月17日(金) 生活者になりたい12

阪神淡路大震災から30年が経った。

時間通りとはいかなくとも、ベッドに座って黙祷をしてから一日を始める。昨年の秋に短期バイトで来てくれた学生さんと彼女のお母さんが、追悼式典に行ったという様子をインスタで拝見して、自分もいずれ行こうと強く誓う。

週の後半になると、溜まった疲労が早起きを許してくれない。予定していた出勤前のタスクに手を付けられず凹む一日の始まり。ヘコスタート。
今日は朝からzoomとリアルの打ち合わせが続く日。合間に今週ひたすら調整と準備を続けてきた年度内納品の提案を、ふたつは営業担当へ、ひとつは先方へ送ることができた。来週からは具体的な取材先の肉付けと、アポイントがスタートする。

それにしても火曜夜から原因不明の胃の不調に悩まされており、食欲はないのに膨満感は増していて、地獄の餓鬼のような姿態になりつつある。火曜に食べたカレーが合わなかった気がしているが、時を同じくして妻も胃痛に苦しんでおり、家の卵が古いのではないかという疑念が第三者委員会より提出され、現在真相の究明が進んでいる(ウソ)。ただ自分比ではかなり長引いていて、少し心配になってきた。

生来の便秘体質も相まって、身体の中の空隙が一気に失われたような心持ち。胃にベール・セルベールを飲んでなんとかしようとするが、悲しいかな出るのは屁ばかりで、それがまた温泉地の湯元にでもワープしたのかと思うほどの激烈な硫黄臭である。

もちろん、デスクで少しずつ出すような姑息な真似はしない。公害を起こさぬよう都度トイレの個室に駆け込み、便器も割れよと放出しては、いつまでも出ない腹を恨んで嘆息を付く。屁を輸出するなという話だが、個室を使う次の人、ごめんなさい(これを読んでいる人にもごめんなさい)。
2025年1月、大阪には腹に温泉地を持つ人間がいたという。凹む心に凹まぬ腹、屁こき侍ここにあり。身体のフォルムだけではなく品位まで失われてしまった。


翌朝が5時半起きのため、早く帰ろうと思うがあたわず21時半過ぎに社を出て、帰宅すると2階の寝室から妻子が話す声が聞こえた。

ただいまーっつって引き戸を開けると人の影は見えず、息子が好きな須崎市のユルきゃら、しんじょうくんがくりくりと動いて「おかえりー」って喋った。息子は「ばあ」、と布団から出てきて、頭を撫でたら屈託が一瞬にして全部吹き飛んだ。

割引き肉コマ入り野菜炒めを作って食し、腹をさすりながら就寝。あー、と言うしかない。


難波千日前に行ったなら、昼飯は法善寺横丁[喝鈍]がゴキゲン。
この上なく大阪的、粋(すい)が詰まった店だと思う

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