
自分ほかし 240924
骨折からまるひと月が経った。
伝えられている全治の半分まで来たが、骨の空隙の様子は一進一退だ。歳のせいか使い過ぎか、いやその両方が焦燥の原因だろうが、大きな病院ならどういう診たてだったろうかと今さら思う。どのみちもう、日にち薬一択の時期になってしまった。
旧い住宅街の整形外科は、どうしても高齢者のリハビリ所という属性が濃くなる。いずれ自分もお世話になるのだろうし構わないのだが、レントゲンを角度バラバラで撮影したとて、正確な様子などわかりっこないと思っているのも実際のところだ。がっかりしながら医院を出て、酷暑で白骨化した商店街に立ちすくむ毎週火曜日。一体いつになったら、息子と相撲が取れるのだろう。
商店街のアーケードを帽子代わりに駅まで歩き出す。まだ自転車に乗れないので、一日の平均歩数は8,000歩だ。
子ども時分の年の瀬、興奮するほどの人いきれの中を母と買い回った光景が、ひらすらグレーのシャッターに挟まれた一本道にオーバーラップする。150円のピーマンをまとめ買いするおばあちゃんと、それを狙っていたおばちゃんの小競り合いの声が遠くなっていく。真新しいマンションのゴミ置き場へ通じる分厚い鉄扉に、与党議員のパンパンの顔が大写しになったポスターが貼ってあった。傍らのデイサービスからは、薄く演歌が聞こえている。
昨日、音信が途切れてしまった大切な人に、酔った勢いで気持ちを送った。送ってしまった。
最後に来たLINEの内容に、未だに納得できないからだ。それに対するアンサーに返事もなかったが、応答がないことより、積み重ねてきたものを根底から覆すような内容を、LINEの数行で済ませることが理解できなかった。
あれから数カ月たって、彼なりに精一杯伝えてくれたことがよくわかってきた。言葉のひとではない彼の数行だからこそ、こうして深く淀むまで残ったのだと思う。
アーケードが切れて背中に汗を感じた。高齢者が集められた謎のセミナーで賑わっていたスペースは堅く閉じられていて、木の扉の皮がまるごと剥がれ落ちていた。
心に残っているのは、どうやら消えそうもない寂しさだ。でもそれは裏返せば、彼の表現の力や懐の深さに寄りかかっていた自分の弱さではないのかと思う。
全ての決断が人任せなやつほど、自分を大事にしたがる。悪しき凡庸は、ハシゴを外されるたびに小さな内省と再帰を繰り返し、酒やかりそめの祝祭に逃げて、より深い陥穽に自ら落ち込んでしまう。
骨折してから歩くことが増えて、いろいろなことを考えている。
人間は大して成長なんかしない。でも、自分にとって良き選択を続けることはできるし、イメージする良き未来から演繹した日々も過ごせる。そうした一所懸命な暮らしの中で立ち返るべき自分をよく知れば、他力本願な生き方から変わっていけるような気がする。
意訳ではあるが、他人に依らず比較せず、夢中に生きることを、みうらじゅんは「自分なくし」と言った。そうだ⋯⋯自分ほかし、自分ほかしをしていこう。
昭和町の交差点、メトロの乗り口に続く信号が青になる。汗で濡れたハンカチをポケットにしまって、骨折している右腕からヨイショとリュックを担ぎ小走りで横断歩道を渡る。
すれ違う人々と暮らし。彼岸から日傘を差して歩いてくる若い女性、傘で縁で眼は見えないが、その口は確かに歌っていた。
・・・・・
仕事から帰ると、息子がソファーの背の部分に寝転んで眼をこすっていた。遅くなってごめんね、と頭を撫でて風呂へ促す。
脱衣場でバリバリバリバリとそれはえらい音でマジックテープを外し、心でスーッといいながら手刀にした腕を抜く。じっとり一日分の汗で湿ったサポーターを鼻に持っていく衝動を抑えきれない。この気持ち、わかるかい。
なぜかいつも、柴田恭兵のようにクールに、さりげない顔でサポーターに鼻を寄せる。すぐに身体を弓なりに仰け反らせ「クサッ」が出る。そのスピードは恭平の小走りより速く、そのかほりは恭平が放つ弾丸より殺傷力がある。
息子の背中を流し、一緒に湯船に浸かりながら、手首から先が遊離したような感覚を不思議顔で見つめる。
この手を地面につかなければ顔面からアスファルトに突っ込んでいた。でも、代償の骨折とその傷ならどちらがよかったのか。こちらを一顧だにせず、角を曲がって消えていったおじいちゃんの横顔が、今ではただ儚く思い返される。
いつも通り今日の給食の内容を聞いてから、10数えて風呂場を出ると肌寒かった。
秋は存在した。そしてこれは日記だ。
追記
レントゲン後はどうしても鬱屈してしまうのですが、この連休はお世話になっている柴田雅章さんの個展を見に行ったり、濱口竜介監督作品『悪は存在しない』や、みんぱくの『吟遊詩人の世界』など素晴らしい作品・展示に心震えるよい週末でした(それを書け)。
じわじわよくなっている実感はあるので、どっこい元気に酒も飲んでます。世はすっかり秋めいて⋯⋯これから繁忙期へ突入予定です。