マイストーリー(ヒーラーへの道)#2
日本プロヒーラー協会 代表の町田和隆です。
前回に引き続き、私がプロヒーラーとなった人生のストーリーを綴る2回目です。
脱オタクを目指し、SEから一転、不動産のトップセールスマンになった私は、バルブ崩壊によって月収250万円から、ゼロ円へと急降下したわけですが……
約4年間の対人営業経験のお陰で、「人と話しができれば、どんな窮状も、何とかなる」という、ポジティブなマインドと、コミュニケーションスキルを得ていたため、この急降下は、次の人生設計を考える良い機会になりました。
熟慮の結果、外資系の生命保険会社の、代理店トレーナーを目指し、転職することにしたのでした。
10倍という競争率を突破して、西新宿に本社のある、某生命保険会社に入社を果たしました。
ある女性と出会い、恋
ここで私は、ある女性と出会い、恋に落ちます。
大好きでした。
しかし、大好きのピーク時に、あるカミングアウトをその彼女から受けることになります。
そのカミングアウトとは、彼女の以前の恋愛のこと。
前職の上司と2年間、不倫関係にあったことを聴きました。
ショックでした。
今ならば、それがどうしたっていうんですか!? と笑い飛ばせる自信がありますが、20代後半だった当時の私には、まだまだそのカミングアウトを受け取る器がありませんでした。
大好きなのに、大嫌い。
私の中に湧き起こる、2つの相反する矛盾の感情に、バラバラになりそうでした。
そんな折、不動産会社時代に米国子会社の支社長を務めていた、台湾人のMBAホルダーの先輩から、次の連絡をもらいました。
「台湾国民党が出資する日本法人の商社に、社長就任が決まった。町田さんに、社長補佐役になってもらいたい」
4つ目の転身、商社マン
2つ返事で、私は4つ目の転身、商社マンになりました。
資本金60億円。港区三田に本社ビルを購入してスタートする新法人。
恋愛の悩みを抱えていたものの、本社ビルの上層階にある80㎡のマンションに住むことも決まって、私は一転、仕事に打ち込む毎日に没入していきました。
ところが、です。
ほどなく、ある事件が起こります。
私をこの会社へ誘い入れた社長と、些細なことがきっかけで、大喧嘩となったのです。
社長はこのことで、私を社長補佐役から、課長職へと降格。そして、本社ビル上層階のマンションからの引っ越しも余儀なくされました。
当時、私が面接して雇った部下からも、冷ややかな視線を送られる毎日。
このとき、私の年齢は31歳。
とうとう生きる希望を無くす
仕事と恋愛で躓いたこのときの私は、とうとう生きる希望を無くすほどにまで、落ち込みます。
夜になると、「明日の朝、目覚めなければ、どんなに楽だろうか……」と思うようになっていました。
心労から来るストレスが原因で、身体も血流が悪く、ガチガチに凝り固まって、絶不調でした。
そんな私が某日深夜、都内では珍しく星がキラキラと輝く晩に、外を彷徨っていたのですが、突如として奇跡体験をすることとなります。
頭から光のエネルギーが入ってきて、心身を貫いて、足下に抜けていく。
最初は「雷が落ちてきた!?」と思うほどの衝撃波でした。
この衝撃は、20分ほど続きました。
衝撃が落ち着いて、気付いたことは……