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おじいちゃんとおばあちゃん。

昨日は両親がお墓参りに行ったようだ。


母方の実家は広島県の本郷という街にあり、小さい頃から盆暮れ正月は本郷にいってワイワイするのが本当に好きだった。

祖父が亡くなったのは大学生の時。
何年も入院生活を続けていた時、僕は学生時代の陸上競技のあれこれでほとんど会いにもいけなくなっていた。
確かこの季節。ちょうど鹿児島にいた時に訃報を聞き、ライブをやった翌日の朝、徹夜で広島に帰ったっけ。

祖母も一昨年のこの季節だった。
祖父と違って、突然の心不全。
僕は葬儀にはいけなかった。ちょうどツアー中だった。



ミュージシャンや舞台などで活躍している方々(役者さんとか)は、
いざという死別に接する時に、立ち会えないということが実際ある。
それはこの職業というものを選んだ時点で覚悟すべきことなのかもしれないし、僕も一応は覚悟して今の仕事をしている。実際、親や兄弟ともそんな話をしたこともある。

ただでさえ、親元・家族と離れて生活しているし、
今でこそ国内であれば1日でどこでも移動する手段は確保できるだろうが、
国外であればそれは難しいし、何よりオフィシャルで動いている陰でそういうアクションをすることが良いのか悪いのか。
これは人によって様々だとは思う。

ただ、僕としては発信していく、表現していくのが自分の職業である以上、
そこにプライベートなものを介入させたくないというのが本音。
覚める、というのは嫌なのよ、と。


それでもそのようなことが起きた時に、動揺するのも目に見えている。
実際、一昨年はそうだった。それを抑え込むように演奏することに集中して、いや夢中になった。


父方は祖父がもう10年近く前の春に亡くなった。
ちょうどNo Regret Lifeで「Discovery」というアルバムを作っていた年なので、2011年。そう数えると9年前か。ライブとアルバム制作の隙間での訃報で、この時はありがたく前日のお通夜から全てのものに立ち会えた。

この時は身体の全ての水分を涙で出したんじゃないかってくらい泣いた。
その後すっきりしたのかわからないが、東京に戻ってきて、それまであったデモ曲を全てボツにして、数日間でアルバムに新録する曲全てを書き上げた。そんな不思議な事があった。祖父から不思議な力をもらったのかもしれない。勝手ながらそう思っている。


その「Discovery」収録の「ハローグッバイ」という曲は祖父に書いた曲。

出会いと別れをただ繰り返して 人は豊かになる
ハローグッバイ / No Regret Life

こんな詞を書いたのだけど、これは祖父の名前が「豊人」という名前だったところから。あまりこの曲の制作のいきさつとか語ったりはしなかったけど、僕なりの暗喩というか、敬意というか。

制作当時は、こう書いてしまうと、そういう聞こえ方しかしなくなるのであまり触れなかったこと。でもちょこちょこと喋ったりもしたっけ。
ここまでちゃんと書くのは初めてだとは思いますけど・・。




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