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【掌編小説】記号

ある地方都市の中心地からすこし外れたビルに入っている、小規模なファッション・デザインの会社。もう深夜に差し掛かる時間だというのに、オフィスの一角にはまだ電気がついている。そこでは、ブルーライトカットの眼鏡をかけて、自身はいくぶん地味な服を着た若手の女デザイナーが、濃いブラックコーヒーを片手に、液晶画面の中のスケッチツールを凝視していた。片手に持ったマウスを機敏に動かし、集中してスケッチを進めるのは、単純に帰宅したいからであって、仕事に燃えているからではない。

デザイン会社といっても、オフィスの内装は地味そのもの。スチールのデスクがいくつか島になって並んでいて、背もたれが湾曲している黒いチェアがひとつづつ入っている。一日中座り続けのデザイナーたちを気遣ってか、その椅子だけは、上等なものだった。

暗いオフィスにカチカチ、とクリックの音が響く。仕事がひと段落がついたらしいデザイナーは疲れをにじませながら、うん、と伸びをして首をまわす。オフィスビルの前の道路を通り過ぎていく車のエンジン音が、やけに大きく響いた。デザイナーはパソコンをシャットダウンして、つかつかと、オフィスの外へと、出ていった。

今晩仕上げられたそのデザインは、翌日に出す会議のために間に合わせたもの。よくもなく、悪くもない、ただの服だった。しかし、その会議には通るだろうということも、経験からして、彼女には分かってしまっていた。パソコンに残っているそのデータは、いわば望まれずに生まれ落ちた子どものようなものだった。

・・・

暗い押入れの奥に、その服は閉じ込められていた。主人に買われてから今まで、数えるほどしか着られていない。量産型の衣装ボックスには、ぎゅうぎゅうに押し込められたほかの服たちもいて、主人がほかの服を買うたびに、「二軍落ち」となった古い服がこの衣装ボックスに詰め込まれていく。そしてその箱から服がふたたび取り出されることは、まずない。

主人は若い女性。その部屋には1人で住んでいて、水商売に就いているのか、夜に出かけて、昼間に帰ってくる。とめどなく衣装ボックスに衣服を詰め込んでいく様子をみると、羽振りはわるくないらしい。何人も友達を連れてきて馬鹿騒ぎをしたかと思えば、男を連れ込んで、仲良くしていることもある。ひとり主人の泣き声が聞こえてくることも、ある。

その部屋には、よくテレビが付いている。一人暮らしの寂しさを紛らわせるためなのか、バラエティ番組が常に付いている。クローゼットの中へ壁越しに聞こえてくる芸能人の笑い声は、どこか低く響く。

やかましい掃除機の吸引音。クローゼットが空け閉めされる、ばたん、という扉の音。なにかを落としたらしい衝撃音、そして舌打ち。ただ暗闇の中で、その服は主人の生活音をじっと聞いている。服は、服だから、退屈は感じない。ただ主人に着られるのを待つのみ。ただしその生活からは、無視されている。

・・・

大規模アパレル会社が言い訳のように設置しているリサイクルボックスに、やがて主人から、その服は捨てられた。それらの服はコンテナに詰められて、長い航海を経て、支援物質としてある途上国へと送られる。その服たちは港につくやいなや、コンテナのままトラックで各村々に送られ、集会所のロビーにぶちまけられた。

リネン生地の光沢。シャツのチェック柄。赤・青・黄色。冬用コート。子ども服の胸もとにプリントされたキャラクターの笑顔。礼装のジャケット。安物のジーンズ。手作りらしい毛糸のニット。片方だけの靴下。ほとんど新品の派手柄のTシャツ。

まるで津波のように。ありとあらゆる人に脱ぎ捨てられた記号が、ぐちゃぐちゃとその集会所のロビーに打ち上げられていた。村域の全体放送がスピーカーから服が届いたことが知らされ、ずらずらと村民が集まってくる。

集まった村民たちは、白けた目でうずまった服の山を見わたしながら、膝をかがめて布をかき分けて物色していく。時たまシャツやズボンといったものが、村民の手に取られ、持ち帰られていった。

村民たちが帰ったあとも、ほぼ服の山はそのままの形で残っていた。こうした支援物資は頻繁に、大量にとどき、すでに供給量が飽和していたのだ。加えて、その地域が温暖な気候であるのに世界中から厚手の生地の服がとどいたり、デザインが派手であるばかりで日常着に適していなかったり、そもそも地域のニーズに即していない服が大半であった。"その服"も、誰からも持ち帰られることはなかった。

・・・

のこった服は、物資として持ってきた支援団体自身によって、焼かれて処分される。ホールの裏手の空き地のところに服たちは移動され、マッチを投げられ、火をつけられた。

表面の服から徐々に燃え始める。その服は、ほかの服が燃やされていく熱を感じた。服なので、恐怖はない。ただ着られるのを待つのみ。最後の繊維の一本が灰にされるまで、その服は待ち続けていた。

(完)

この作品は、生活に物語をとどける文芸誌『文活』7月号に寄稿されているものです。今月号のテーマは「ぬぐ」。登場人物の内面の発露や、それまで身につけていたものからの脱却が描かれた、小説6作品があつまっています。文活本誌は以下のリンクよりお読みいただけますので、ぜひごらんください。
https://note.com/bunkatsu/n/n7880dbae2293





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