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【掌編小説】3時さん

深夜にレジから眺めるコンビニの店内を、おれはいつもぼんやりと眺めている。

客の購買導線に沿って、本部のマニュアルどおりに整列している無数の商品群。冷却棚と隣合わせの加熱棚。店のブランドロゴが入った銀行ATM。手元には、干からびかけた肉まんが数個入った温蔵庫や、具材ごとに区切られたおでんの鍋。最新式のレジスター。

それら全てが、まばゆいほどの強くてしろい、蛍光灯のもとに照らされている。食品や日用品や機械たち。種類も用途も、温度さえもばらばらで、だれも喋らない。そんな中おれだけが店の前方で突っ立っていて、商品たちを眺めている。たとえばオーケストラの指揮者などは、こんな気分なのかとも思う。

***

このアルバイトは、大学の奴らとの遊ぶ金欲しさにやっている。仕事は楽だ。このコンビニは一軒家と、団地と、マンションがひしめいている地区の真ん中にあって、とくに大通りに面しているわけでもないからか、深夜はほとんど客が来ない。

たまに来るにしても、会社帰りらしい、くたびれた顔の若者だけ。彼らはみな一様に疲れた顔をして、とぼとぼとコンビニに入っては、適当に弁当やカップ麺なんかを掴んでレジに持ってくる。小さな声で電子決済の支払い種類をおれに告げたあと、たいていは俯いてスマホをいじっている。おれが会計作業を終えてレジ袋を渡すと、それをだらんと手にぶら下げ、またとぼとぼと帰っていく。

そんな客も、終電の時間があるからか、日付が代わって少し経つとぱったりと途絶える。品出しや検品など、最低限の作業を終えたあとは、おれは深夜の退屈をただやり過ごすことになる。一緒にシフトに入っているはずの太った中年の店長も、たいていバックヤードで寝ていて、めったに起きてこない。(彼はどこかへふらっといなくなる時もある。どこに行っているのだろう?)

そうして、おれはまばゆい蛍光灯の光と、たくさんの商品に囲まれながら、孤独を過ごす。午前3時に、"3時さん"が来るのを待ちながら。

***

3時さんが店に訪れはじめたのは、数ヶ月前からのことだ。毎日ぴったり午前3時に店に来るから、"3時さん"。おれが心の中で、あだ名を付けた。

3時さんは年齢不詳の女性で、おそらく30代半ばくらいだろうが、40代にも見えるし、うっかり20代の後半だと聞いても驚きはしない。たいてい地味な服装で、うすい化粧をしていて、黒のスニーカーを履いて来店する。

3時さんの行動パターンは決まっている。店に入ると、まず自動ドアの隣りに積んであるカゴを取り、弁当の棚に直行する。カロリーの表示でも読んでいるのか、すこし前屈みになって顔を商品に近づけ、じっくり弁当を選び、ひとつを手に取る。種類は決まっていない。定番の幕の内弁当のときもあれば、新発売の弁当のこともある。そのあと飲料棚に行って決まった銘柄の緑茶のペットボトルを手に取り、レジへやってきて、カゴをおれの前にていねいに置く。

「あたためてください。」

はっきりした声で、3時さんは言う。目線はいつもおれのほうを向いて、睨みつけているのかと思うほど、まっすぐに視線をぶつけてくる。自己主張が強いだけの派手な商品が並ぶ店内を背景に、地味だが目鼻立ちが整った3時さんの顔は異物感を放つ。一瞬。ただ一瞬だけだが、おれは3時さんの顔をまじまじと見つめてしまう。

「はい。」

みじかく答えて、弁当をレンジへ持っていく。規定の秒数を設定して弁当を入れ、レジへ戻ると、すでにトレーに代金が乗っている。3時さんはいつも現金で支払う。代金ぴったりか、1000円札一枚。お釣りの小銭をすくなくするために、などと小銭を余分に支払うことはない。

会計作業を済ませ、レジ袋の口を開いて弁当があたたまるのを待つ。レジ袋は必要。お茶は弁当と一緒に入れてOK。3時さんが通いだして1ヶ月ごろから、その問答は省略するようになった。

弁当があたたまるのを待つ時間。おれは手をレンジの扉にかけて、自動ドアの方向に横を向いて待つようにしている。3時さんはその間、じっとこちらを見ている。視線を感じながらも、不思議と気まずさは感じない。電子レンジの稼働音が店内のBGMに溶け込むのを聞きながら、「余った」十数秒間を、おれと3時さんは共有する。

電子レンジが鳴ると、おれは弁当を取り出し、緑茶と一緒にレジ袋に入れ、3時さんに手渡す。3時さんはていねいにそれを受け取ると、「ありがとうございます」と、やはりおれと視線を合わせてはっきりと言い、視線を外して、もう用はないとばかりに踵を返し、きびきびと歩いて、店の外へと出ていく。

自動ドアがしまると、おれはなぜか緊張が解けたような感じがする。そして、ぼんやりと自動ドアのほうを数秒見つめたあと、また商品たちのほうに向き直って、退屈をふたたびやり過ごしはじめるのだった。

***

3時さんはいつも堂々としていて、買い物の仕方からも、生きかたに一貫性や美意識を持っていることが伝わってくる。午前3時の闇の中から颯爽と現れて、おれと最小限のやり取りをして、帰っていく。おれはそのことをなんとも格好よく、そしてうつくしくも感じていた。

3時さんはおれにとって、コンプレックスを反射して見せつけてくるような存在でもあった。おれはとくに目標も持たず、楽なほうに流されていく性格で、大学の講義にもろくに行かない。付き合う数が多いだけで、友人たちとの関係性は浅い。遊びは、ただ派手に騒いでばかりいるだけ。3時さんと相対するたびにおれは自分の薄っぺらさーーあるいは喧騒の中の孤独ーーを突きつけられた。

そうして、憧憬と劣等感が交じる午前3時は、毎日訪れるのだった。

***

今日も午前3時が訪れた。うすい自動ドアの開閉音とともに、3時さんが入ってくる。いつも通りに弁当棚に直行する3時さんを、いつもの通りに目で追う。

しかし、今日はなんだか様子が違うようだった。3時さんはいつもの通りにレジ前の通路を渡らず、まず雑誌棚のほうをまわり、店の奥にある飲料冷蔵庫の扉を開けた。中から取り出したのは缶ビールだった。

おれは驚いて、3時さんをまじまじ見てしまう。3時さんは飲料冷蔵庫からぐるりと弁当棚のほうにあるいている。どこか呆けているように、歩き方はたどたどしく、いつもの面影はない。弁当をおそらく適当に選んだあと、3時さんはレジに来て、缶ビールと一緒にレジに置いた。

「あたためて。」

3時さんは、髪がぼさぼさだった。

「はい。」

レンジの秒数を設定して、弁当を入れる。そしてゆっくりと振りかえると。

3時さんが、缶ビールだけが入ったビニール袋を下げてふらふらと、自動ドアのほうへあるいていくところだった。

ーーえ。

自動ドアがひらき、3時さんが外に出ていく。あまりにもゆっくりと進行していく、現実離れしたその時間に、おれはただ呆気に取られ、ただその様子を眺めているだけしかできなかった。

おれの背後で、レンジの稼働音が低く鳴っている。整列した商品たちは、いつもとなんの変わりもなく、並んでいる。目の前ではおでんの容器が湯気を放つ。おれは状況を飲み込めないまま、ただ時間だけが、流れた。

そして、レンジ音が鳴る。

おれはそれを聴いて、我に返る。そしてなぜか、3時さんに必ずこのレンジの中の弁当を渡さなければならないと、つよく思った。おれはレンジの扉を勢いよく開け、弁当を掴むと、レジから出て、制服のまま、コンビニを飛び出した。

***

夜の住宅街は静まりかえっていて、深い闇とつめたい空気があたりを包んでいる。ぽつりぽつりと道端に立つ街灯と、遠くの団地の廊下を規則ただしく並ぶ常夜灯だけが、白色のつめたい光を、道路と、建物の、アスファルトに照らしかけていた。

思いがけず、3時さんはすぐに見つかった。店を出て100mほどのところ、車道と歩道の間にある段になっているブロックのうえに、3時さんが屈んで腰掛けている。

服装はいつものものだ。髪型も、昨日のとおり。それなのに、3時さんはずいぶん小さく見えた。手には缶ビールを持っていた。ラベルの光沢が、街灯の光を反射して、なめらかに光る。それだけは綺麗だった。

どう声をかけていいか分からなかった。3時さんとおれの間には、いつもうつくしいルーティンがあったということに、今更になって気づいた。初秋の深夜の空気はもうつめたく、半袖の制服では肌寒かった。

歩いていく。3時さんの傍らに立つ。3時さんはちょうど缶ビールを傾けて飲んでいたから、その腕を下ろすのを待った。

「あたためました。」

そして、弁当を差し出した。

***

弁当はほんのわずかのぬくもりを持つだけで、ほとんど冷めていた。おれの手から3時さんにわたる。通年売っている、ただの中華弁当。"530円"と書かれた値札は、弁当から出た水蒸気でしめったのか、印字のインクがにじんで、黒ずんでいた。

3時さんは片手に持っていた缶ビールを脇に置き、両手でそれを受け取った。そして、弁当の両端を包むように持ったまま、じっと動かなくなった。

世界そのものが止まっているような数秒がすぎる。祈りのポーズを型どられた彫刻のように、その3時さんのシルエットは、どこかうつくしかった。

すこし遠くの道路を、車が通った音がする。

3時さんは、まだ微動だにしない。おれが箸を忘れたから食べられないでいるのだとも思ったが、やはりどこか様子が違った。3時さんは、手に持つ弁当をじっと目を落としたまま、なにかを確かめているようだった。そして、唐突に、

「やっぱり、ひとり、よ。」

とつぶやくと、肩を震わせて、3時さんは、泣きはじめた。

***

3時さんは、嗚咽を繰り返すだけで、なにも詳しいことは喋ってくれなかった。おれは背中をさすりながら、その夜をずっと、道路の隅で、3時さんと一緒に過ごした。それはひとりとひとりの、特別な時間の共有だった。

それ以降、3時さんは、もうおれのコンビニに訪れることはなかった。

***

日付が変わるころに、若いスーツの男がカップラーメンを買って以来、今日も、だれも客が来ない。

コンビニのアルバイトを、おれは今でも続けている。3時さんが来なくなってからもう1ヶ月が経っていたが、今でも午前3時になると、おれは自動ドアがふと開いて、3時さんが入ってくるのではないかと意識して、自動ドアのほうを見てしまう。

そろそろ午前3時になる。今日も誰もあらわれず、ながい深夜は、つづいていくのだろう。たくさんの商品に囲まれて、まばゆい光のなかで、孤独を感じながら。

そのとき、ふと、自動ドアの向こう側に、人影がみえた、ような気がした。

(完)

この作品は、生活に物語をとどける文芸誌『文活』創刊号に寄稿されているものです。今月号のテーマは「あたためる」。この作品のほかにも、めっきり寒くなってきた今読みたい、こころがあたたまるような作品が集まっています。文活本誌は以下のリンクよりお読みいただけますので、ぜひ訪れてみてください。



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