【短編小説】かえる
街のそこら中にいる色とりどりのかえるで、あたりはすっかりマーブル模様。民家のへいの上には緑のかえる。神社の階段には水色のかえる、郵便ポストには同化してあかいろのかえる。道端に咲くあじさいの葉っぱのうえでは、紫色のかえるがあごのしたを膨らませています。しとしと雨が降っているきょうは、それぞれのかえるの背のうえでぴちゃぴちゃと、あまつぶが跳ねていました。
そしてかえるの大合唱が街中にひびきます。げこげこぐぐぐ、けーろけろ。高らかな声やくぐもって喉を鳴らす声、声の大小高低もさまざまな声が混ざり混ざって、なにがなんやらの不協和音のオーケストラ。この”かえるバクハツ”が起きてから、神社や古民家が並ぶしずかな門前町で有名だったこの街は、すっかりさまがわりしてしまいました。
そんな街の中央駅に到着した、一台のブルーの快速電車。すっくとホームに一人の男性が降りたちます。黒の中折れ帽とトレンチコートに身をつつみ、足元は仕立てのいい革靴を履き、手には紳士傘。彼はホームから見えるあたりの様子に眉をしかめました。そして、
「どうしてこんなことに…まったく」
とひとりごちます。その言葉は、やっかいな仕事を押し付けられた自分に向けたもの。街の惨状に向けられたのではありませんでした。
その男はかえるの生態を研究する水生物学者。彼は、この”かえるバクハツ”をどうにか解決してこい、とお国から派遣されてやってきたのです。
🐸
その街で増え続けるかえるは、あらわれるタイミングが決まっていました。それは、その街に住むひとが自分のことを(いいな)と思ったとき。つい得意になって、いい気になったその瞬間に、そのひとの口からぴょこん、と飛び出すのです。
たとえばナルシストな男のひとが櫛を手に鏡をみて(いいな)と思って、ぴょこん。画家が自分の作品を(いいな)と思って、ぴょこん。子供がスポーツで活躍した瞬間、親の口からぴょこん。
すこしづつ、すこしづつ、あらわれていくかえるは消えずにのこりつづけます。そのためどんどん増えていったかえるが、どうにも街をうめつくしてしまい、街中にかえるが溢れる”かえるバクハツ”が起こってしまったのです。
🐸
水生物学者は相変わらずじくじたる思いで、このしちめんどうな仕事の文句をぶつぶつ呟いていました。
「そもそもおれはかえるの生態の専門家ってだけで、別に怪奇現象を調べたりとか、そういうことをする学者ではないんだがな……しかし研究費を止められると脅されてしまうと、しかたない」
うじうじしながらもあきらめがつくと、水生物学者は今晩の宿へと向かいました。国によってあつらえられたその宿は、木造で建物はふるいものの中は小ぎれいに改装されている、なかなか趣味のいい宿でした。建物のなかには、地域の伝統産業である織物や塗り物が、組み木の梁のいたるところに飾られています。
水生物学者を出迎えてくれたのは、宿をやっている若い夫婦です。若い夫婦はすこぶる人が好く、水生物学者を部屋に案内しながら、この街がとても雰囲気がいい街であること、あじさいがそこらじゅうに咲くいまはその街がいっとうきれいな時期であることを教えてくれました。
案内された水生物学者の部屋もとてもいいものでした。6畳ひと間の畳部屋。木の梁と漆喰でできた部屋のなかはすこしひんやりとしていて心地よく、部屋のすみには寝心地のよさそうな辛子色のカバーがかかったベッドが置いてありました。藍色の壁には北欧風の絵が飾ってあって、それが和室に不思議とマッチしています。ベッドと逆のほうのすみには、一人用のデスクがあり、モダンなデザインのデスクライトのしたに照らされて、和紙でできた折り鶴と、部屋のなかでたのしめるような数冊の本が並んで飾られていました。
「いい部屋ですね」
水生物学者が褒めますと、部屋を案内してくれた若い夫婦はそうでしょうそうでしょうとにこり微笑んで、ではごゆっくり、と扉を閉めて出ていきました。
そのときドアを締める直前に、夫婦の口からそれぞれ一匹づつぴょこぴょこん、と緑のかえるが飛び出していくのが見えて、水生物学者はちいさくあっ、と声に出しておどろきました。それが、水生物学者がはじめて見た、この街のかえるの誕生でした。
そのまま扉は閉められて、その街で過ごすはじめてのよるがやってきます。げこげこぐぐぐ、けーろけろ。よるがやってきた途端、あたりはとてもかえるの鳴き声でうるさいことを、あらためて気付かされました。明日からはいよいよ調査がはじまります。水生物学者は布団を深くかぶってぎゅーっと耳を塞ぐようにして、やっと眠りにつくのでした。
🐸
翌日から水生物学者は、とくに頻繁にかえるを産み出す街の住人のもとへ、フィールドワークへ行くことにしました。彼は実際の現地に赴いて情報を収集することの価値をよく知っていたので、この問題を解決するには愚直に見て聞いてまわるしかないと思ったのです。
余談ですが、彼は自分が受け持つ学生にもよくこう講釈をしていました。「足を使うことを恐れてはいけない。机のうえで調べるやり方では自分が知りたいと思ったものごとしか知ることができない。足を使うからこそ、自分がいま知らないものを知れるのだ。とくに生物学は人間がその一生ではついぞ想像さえできない雄大な生態系を相手にするのだから、家であぐらをかいていては真実にたどり着けるはずがない」と。世の中には生徒に教えることを自分では実践しない教師も多いことですから、その点ではこの水生物学者はいくらかしっかりとした教員でもあるのでした。
🐸
はじめに赴いたのは駅からほど歩いたところにある古いアパートの一室。その部屋には、かえるをよく出すことで有名な女性が住んでいました。
部屋の前におとずれた水生物学者は、まずドアに目を奪われます。廊下のくすんだコンクリートには似合わないようなどぎついピンク塗りのドアに、猫の形を模したドアプレートがかかっていました。水生物学者は若干面くらいながらインターホンを押します。
すると中から「はーい」と甲高い声がしてドアがぎぎ、と開き、ふわふわのウール地の部屋着を着て、もこもこのスリッパを履き、まつげをぱっちりさせた、若くてかわいらしい女性が出てきたのでした。
「あなたがこのどうしようもない”かえるバクハツ”をどうにかしてくれる学者さんね、中へどうぞ」
部屋に招き入れられた水生物学者は、どうにも目がチカチカとしてきました。というのも、部屋はすべての家具がピンク一色で統一されていて、狭いワンルームの部屋に、ピンクのベッドと、カーペットと、ソファと、ハートの形をしたサイドテーブルとがぎゅうぎゅうに並んでいるのです。テーブルや床のところどころには化粧品の瓶が散らばっていて、そしてそして、あちらこちらにやはりピンク色の小ぶりなかえるがけろけろと飛び跳ねています。
「これはこれは」
水生物学者がつぶやくと、女性は
「かわいい部屋でしょ」
と言って、その口からまたピンクのかえるがぴょこん、と飛び出ます。その様子にもまたすこし驚きながら
「よく出るのですか、かえるは」
と聞きます。
「そう、あたしがいろんなものとか、あたし自身のことをかわいいなって思うとね、よく出てくるの。このかえるちゃんたちがね」
女性はどこかうれしそうに、部屋中でけろけろ鳴いているピンク色のかえるに目配せしました。スタンドライトのうえにいた一匹のかえるが、水生物学者の肩へぴょこん、と跳び乗りました。水生物学者はそれを払いのけながら女性にさらに聞きます。
「それでもうっとおしいでしょう、これだけの数のかえるがいると」
「ううん、さいしょはちょっときもちわるかったけど、最近はむしろかわいいなって。だから気にならないかなあー。ペットにして一緒に暮らしてるきぶん。あんまり部屋のなかに溜まると踏み場なくなっちゃっうから、溜まると集めて外に出しちゃうこともあるけどね」
だってほら、と女性はそばにいた一匹のピンク色のかえるを指差しました。
「ちっちゃくて、色もきれいで、かわいくない?あたしずーっとかわいいものに囲まれてたいからさ、このかえるちゃんたちはいてもオールOKなの。街にいる、いやにサイズがでかかったり色がきもちわるいかえるたちはいなくなっちゃえばいいのにと思うけどね」
なるほどよく見てみると、その部屋にいるかえるたちはどれも形が小ぶりで、しかもあざやかなピンク色をしているために、キャラクターとしてかわいらしいといえば、そうなのかもしれませんでした。
「こうしてあらためてみると、たしかにここにいるかえるたちはすこしマスコット的というか、かわいらしいような気もしますね」
「でしょ?わかってるじゃん」
女性は相変わらずまつげをぱっちりさせながら、得意そうな顔をします。そして喉のあたりに手をやりながらコンコンと咳をすると、やはり口から、ピンク色のかえるを出すのでした。
🐸
水生物学者は息切らせながら、長い長い石段をひたすら登っていました。にばんめのフィールドワークで訪れる寺院の本殿が、その石段の上にあるためでした。その寺院は上下段の二棟に分かれていて、上の本殿は僧たちが修行をしたり様々な仏事を行うところ、下の分殿は観光客向けにありがたいおみくじが売っていたり、たくさんのあじさいが植えられた庭園があるところ、というように分かれているのでした。
寺の敷地に入ったあたりから、周りには黄金色のかえるがたくさん跳ね回っていました。黄金色のかえるはとても図体が大きく、体の表面はごつごつとしたイボで覆われていて、迫力がある見た目をしています。げこげこげこ、げこげこげこ、と野太く低く、唸り声のような鳴き声にもそうとうな迫力がありました。
やっと石段を登りきって、息も絶え絶えな水生物学者。石段の先で出迎えてくれたのは、その寺院の僧侶でした。僧侶は眉毛が太くて顔の濃い、中年の男。先の黄金色のかえるを彷彿とさせるように、大きな体でごつごつと、筋骨隆々の体格をしています。
「やあやあよくいらっしゃいました、学者さま。おやだいぶお疲れのようで」
がはは、と笑いながら僧侶はそういって、水生物学者を本殿の境内へ上がるように薦めました。
僧侶は廊下をのしのしと歩いて客間のほうに水生物学者を案内します。廊下からは寺院の中のいろいろな仕切り間が見えて、そこには金ピカの仏像が何体も飾られている仏間があったり、金のシャンデリアのような立派な天井飾りがある祈りの間があったり、片目のない大きな招き猫が大小ずらっとひな壇に飾られている、趣味のわるい飾り間があったりもしました。そして境内にもやはり、あちらこちらに図体の大きな黄金色のかえるがげこげことやかましく鳴いているのでした。
客間について、若い僧がお茶を出してくれたあと、僧侶は水生物学者に愛想のいい調子で話しかけました。
「下の庭園は見ていただけましたかな?いまはあじさいが咲いている時期ですからいちばん見物にはいい時期です。よかったら観ていってくださいな」
「ああ、さっき入り口の前から様子だけのぞかせていただきました。けっこう人も来ていましたね」
「そうですそうです、この庭園のあじさいを観にね、ぎょうさん人が集まるんですよ。ここだけの話ね、見物料だけで結構もうかるんですわ。あ、もちろん学者さまはね、見物料けっこうですから。料金受付の者に言っとくんでね」
がはは、と笑った僧侶の口から、黄金色のかえるがびょこっと飛び出しました。水生物学者は、おや、と思い話を振ってみます。
「いやでもあの庭園を維持するだけで結構お金がかかりそうだ。このあじさいの時期だけでしょ?見物料が儲かるのも」
「いやいやそれがね、春は桜が咲いて夏はあじさい。秋はほとりに植えている銀杏や楓がいいあんばいに色をつけましてね。そして冬はなんだと思います?雪です雪。ほんで真っ白になりましてなあ、それもまた綺麗だってんで、じじばばも観に来るし、若い人も、今ほら携帯電話でみんな写真を撮るでしょ?とにかくいろんな人が来てですね、がっぽり見物料も取れるんですわ」
がはは、と僧侶が笑い、そしてまたもや口から、黄金色のかえるがびょこっと飛び出します。
(この僧侶はどうやらお金で得意になってかえるを出すらしいぞ)
水生物学者はそうあたりをつけました。
「それで、学者さまには何をお話すればいいのかな?」
「かえるの話を伺いにきました」
「ああかえるねかえる、そうだった。いやあ難儀なことになりましたわなあ。この縁起のよさそうな黄金のかえるばかりだったらいいものの、街に出るとどうにもひょろっちくて貧相なかえるばっかりで。声だけは一人前にうるさいもんですから、どうにも目障りですわ。はやくなんとかしてくだされな、学者さま」
それを聞いて水生物学者は思わず、
「あなたのかえるも相当おおきな声をしていますが」
と口をはさむと、僧侶はがはは、とまた大きな口で笑って
「いやいや学者さま、これは威勢よく運を呼びこむ掛け声のようなもんですわ。大きな声でエネルギーを貰えそうで縁起がいいでしょ。そこらのかえるより体格も大きくて強そうで、そこも気に入っていましてね」
「なるほどよくよく見てみると、たしかに金ピカで縁起はよさそうですね。風水で金運向上のために置く飾り物のようだ」
「そうでしょうそうでしょう、いや学者さまはいいお人だ。必ずしや仏の加護もあることでしょうな」
思い出したかのように付け加えられた僧侶らしい言葉。信仰心の低い水生物学者は、かえるをいいと思っただけで加護をもらえるのかしら、と心のうちで首をひねるのでした。
🐸
さんばんめのフィールドワークのため、水生物学者は街の南側にある公園にタクシーを走らせていました。その公園は海外沿いですこし高台のところにあるので、海が一望できる公園として有名なところです。
水生物学者が公園の入り口につき、タクシーのドアを開けると、ちょうど一陣の風が水生物学者の顔を撫でて、ふわっと潮の香りが漂いました。
街のひとに教えてもらった情報を頼りに、水生物学者はずんずんと公園のなかを進んでいきます。公園のすみっこにある用務員小屋のそばのところに、こぢんまりと一棟のテントが張ってあって、そこの住人が今回話を聞く目的のひとでした。
テントの中のひとにどう来訪を伝えればいいかわからず、水生物学者はごめんください、ととりあえず声をかけてみます。しかし返事はなくテントの中には人がいる気配も感じませんでした。困った水生物学者が、もういちどことわってからテントを開けてみようかと思ったとき、
「あんたがおれに会いてえ、っていう学者さんか」
後ろから若者の声がしました。水生物学者が振り向くと、そこには健康そうな体躯で日焼けをしている、よれよれのブルーのTシャツを着た青年が立っていました。年齢は、水生物学者がいつも相手にしているような大学の学生と同じくらいでしょうか。事前に水生物学者がしいれていた情報によると、彼は世界中のあちらこちらを旅しながらまわっていて、しばらくはこの海が見える、公園に住み着いた旅人なのでした。
ひととおりの挨拶をすませたあと、水生物学者は本題を切り出しました。
「きみが出しているかえるを調べにきたんです」
旅人ははにかんで答えます。
「あんなもん調べてんのか、そこらにいるよ、おれが出したやつは。いまいるかな…ああいたいた、ほら、あそこ」
旅人が指差した先に、あじさいの葉のうえに青いかえるがちょこんと乗っていました。サイズはピンクのかえるよりは大きく、黄金色のかえるよりはちいさい。旅館でみた緑のかえると同じくらいで、スタンダードといっていいものでした。そのかわりにその青いかえるは表情がりりしく、たたずまいも落ち着いているように見えました。それは葉のうえにいる青いかえるが微動だにしないのと、ひとこえも鳴いていないことからそう感じるのかもしれませんでした。
まえのフィールドワークでは、そこら中にかえるが跳ね回っていましたが、あたりを見回してもすぐにはそれ以上のかえるは見つかりません。
「きみはたくさんかえるを出していると聞いたんだけど、他のはどこにいるのかな」
旅人は答えました。
「ああ、おれのかえるはね、自由なんだ。おれが見ているうちは静かに座っているけど、一晩がたつころには、もうどこかへ行ってしまっている。そして一度いなくなってしまえば、もう会うことはできないのさ」
きざな調子で旅人は続けます。水生物学者はその自信まんまんの態度に、自分のしたいことだけを続ける傲慢さ、そして自分のやっていることが誰よりもイケていることを疑わない青さを感じました。
「この街に来る前から、かえるは出ていた?」
「いや、この街に来てからだな。はじめに青いかえるを出したときは驚いたよ、なんでこんな生物が口から出てくるんだって」
そりゃあそうだよなあ、と心のなかで思う水生物学者。
「でもさ、だんだん慣れてくるもんだね。ほかの汚ねえ色のかえると違って、こいつはうるさく鳴きもしねえし、気に入ってるよ。しかも一日経ったらこいつらいなくなっちゃうからさ、後腐れなくて、自由でいいなあって。ほら、かえるって何も縛られてない感じがするだろ?社会のあれこれとか、ルールとかしがらみとかにさ」
そう言って、若い旅人はぺっ、とつばを吐き出すようにして、また一匹、青いかえるを口から出しました。
街の中心部からはずれたこの公園は、まだ”かえるバクハツ”の影響がすくなく、ちょっとした静けさがありました。そこに、どこか遠くのかえるが鳴く声と、海から聞こえる波の音が溶けるようにして、ノスタルジックに調和していました。空は青く澄んで、海からの風はひっきりなしに、しかも強弱いろいろな方角へ吹いていて、あじさいの葉を揺らします。水生物学者にとっても馴染みのないこの街で感じる、空や海やあじさいの青は、たしかに人はどこにでも行けるのだということを感じさせるのでした。
「おれはさ、何にも縛られたくないの。すきにして、何も持たないで、自分の行きたいところに行くのがしあわせなんだ」
(彼はいつか、縛られないことにむなしさを感じるときが来るかもな)。水生物学者は、若者のほとばしる無鉄砲さに目を細めながら、すこし羨ましさも感じるのでした。そして、いわゆる優れた教育者たちが往々にしてそうするように、水生物学者もその若い旅人のしあわせをただ願いながら、彼の道を歩むことを否定したりは、決してしないのでした。
🐸
よんばんめ、ごばんめ、ろくばんめ…。その後も水生物学者はどんどんフィールドワークを重ねていき、ひと月が経つころにはずいぶん色々なことが分かってきました。水生物学者のノートには、調査結果がどんどんまとめられていきます。
●住人が自己を肯定した瞬間にかえるが口から誕生する。誕生する数は人によってばらつきがあるが、平均して週に1匹くらい。多い者は1日に何匹も誕生させる。
●かえるは誕生したら最後、消えずにのこり続ける。一定の寿命はあるようだがそれも長く、街の中のかえるの数は増える一報である。(これがかえるバクハツの要因!とメモ書きがありそれがぐるぐると囲まれている)
●かえるには色によって種類があって、似た種類の自己肯定からは似た色のかえるが誕生する。例えば「かわいさ」からはピンク、「お金」からは黄金色、「自由」からは青色のかえるが誕生する。
●自分のかえるに、産み出した者は自己愛にも似た肯定感を感じる。逆に自分と違うタイプのかえるについては煩わしさやストレス、嫌悪感を感じる。また、自分と同タイプのかえるについては他のタイプほど嫌悪感は感じない。
ノートの続くページには、調査対象者たちのヒアリング結果やかえるの色ごとの特徴、生物としての「カエル」生態の比較などが細かくまとめられていました。水生物学者に与えられた調査期間も残りわずか。水生物学者は、今まで集めたヒントをもとに、なにかしらの対策案をお国に提出しなければなりません。不可思議なこの現象にどう立ち向かえばいいのか。水生物学者は頭を抱えました。
🐸
数カ月後。水生物学者の導き出した対策案がお国の審議会で賛成され、正式にプロジェクトがはじまりました。その名も”色分け作戦”。
自分と同じ色のかえるには嫌悪感を抱きにくい、という特徴を活かして、街の中で同じ色のかえるを出す住人どうしで集まって街区をつくるようにするのです。
作戦としてはシンプルですが、それを進めるのはもう大変なことです。まずは街のひとに出すかえるの色を申告してもらって、リストにまとめなければなりません。そしてどの色の住人がどの地区に住むようにするかの街区決め。さらには街の住人ほぼすべての引っ越しのための業者の手配。住所や住民票、場合によっては子供の転校などの手続き。街の役所はしっちゃかめっちゃかになりながら、「色分け作戦」の任務にあたりました。水生物学者もかえるの生態の専門家として、どの色のかえるがどの地区に住むのが適切かを仕分けるなど、アドバイザーとしてその任務にあたりました。
🐸
“色分け作戦”がはじまって1年後。”第5次総お引っ越し”のすえ、やっとのことですべての住人の”色分け”が完了しました。赤色、青色、黄色。それぞれの色どうしで集まって、それぞれの価値観のなかで生きてもらうことになりました。
“かえるバクハツ”が起こってからこのかた、苦情で一晩たりとも鳴り止まなかった、かえる課の電話窓口が鳴らずに一晩を越えました。人類は、このやっかいでぐちゃぐちゃでマーブル模様の大災害に打ち勝ったのです!役人たちと水生物学者はおおよろこびしてお祝いしました。
くっきりと色分けされたなかで分かりやすく、それぞれの人間が肯定されるしあわせな街。そんなユートピアをつくることができて、水生物学者は、ほんとうによかったと思いました。そして興奮のあとに訪れるのは、一抹の疲労感です。水生物学者は、役所から自分のアパートへと帰ると、ビール缶をぷしゅりと開けて、ごくごくと飲みました。そして、はああ、とため息をつくと。
ぴょこん、と黒いかえるが彼の口から跳び出してくるのでした。
🐸 エピローグ 🐸
あの街が”色分け”されてから10年が経ったいま、あの街以外でも国のあちらこちらの街で”かえるバクハツ”現象がおきて、そして”色分け”がされてきました。
今やどの街も街区ごとに色分けがされて、人々は自分のと同じ色のかえるを出すひとに囲まれて生活をしています。人々は自分の色に誇りとアイデンティティを持ちはじめ、街区のあちらこちらもその色に塗りたくることが流行りました。道路も家も屋根も車も。どこを見渡してもその街区のなかでは、自分の色で溢れています。それはくっきりとしていて、とても気持ちがいいことだと、街の住人たちは感じているのでした。
あの水生物学者といえば、”かえるバクハツ”解決の功労者として、世界各地の都市に飛び回って学会で講演をする偉い学者になっていました。
その日も水生物学者はある新興国の政府意見聴取会に出席していました。無事にそれを済ませると、3ヶ月ぶりに母国に帰国するために飛行機に乗りました。
子供のように、飛行機の窓から下を眺めながら、水生物学者は母国に帰れることにわくわくしていました。そして、そろそろ陸地が見えるころ、という機内アナウンスに応えるように、わが国の陸地が見えてきます。
(3ヶ月ぶりだ!やっと母国に帰れる!)
しかし興奮もつかの間。陸地が見えたとき、水生物学者は不思議そうにしながら眉をしかめていました。それはなんだか、納得がいっていないような顔でもありました。そしてこうつぶやきます。
「なんだこのぐちゃぐちゃとした汚い国は」
そう、上空数千メートルから見れば、街区ごとにわけられた色は混ざりあって、結局はまた、ぐちゃぐちゃとしたマーブル模様にしか見えないのでした。
🐸 おわり 🐸
この作品は、生活に物語をとどける文芸誌『文活』9月号に寄稿されているものです。今月号のテーマは「のこる」。読後にもじんわり感動がのこるような小説が集まっています。文活本誌は以下のリンクよりお読みいただけますので、ぜひごらんください。
いただいたお金は、編集と創作のために使わせていただきます。