見出し画像

父の友人、娘の友だち

自己紹介:妻の転勤の機に福祉施設の施設長を退職し、持ち家も処分。当時13歳の娘と家族3人で2023年夏にオーストラリアに移住の48歳。現在子育てと家事全般を行う完全専業主夫。ワーホリのタグ付けをしているが、ワーホリではなく働く予定も特になし。一応、社会福祉士だが外国ではなんの意味もない。吉本芸人チャド・マレーンがオーストラリアを「ラリア」と呼ぶことに感銘を受け、そのまま使用する。


決して俺の価値観を押し付けようってわけじゃないんだよ。

俺はよく娘を「俺の友人」に会わせる。

時には一緒に食事をしたり、長い時間お茶したり。特にラリア行きが決まってからの半年は、俺が友人に会いにくのに娘はよく自分からついてきた。

俺と友人の他愛もない馬鹿話に娘も混じってみんなでワイワイ話す。その友人がいざウチの娘と向き合うとたくさんのアドバイスをくれ激励してくれる。俺が彼女に教えられることなんてたかが知れているけれど、友人たちは俺の何倍ものことを教えてくれるからね。

大人と付き合うことがいい、って話じゃないよ。単純に俺が大好きな人、尊敬できる人、最高に楽しい人、世の中にはこんなかっこいい大人たちがいるんだよ!ってことをちょっとだけ知って欲しかったんだよね。

先にも書いたけど、決して俺の価値観を押し付けようってわけじゃない。どうだ!パァパの友達、みんなかっこいいだろう!って自慢したかっただけってのはあるかも(´∀`)

30歳以上、時には50歳近くも歳の離れた大人たちを娘は「友だち」とよび、本当にありがたいことに彼らも娘のことを「友だち」と呼んでくれる。

普通、「友だち」というのは同世代が殆どだと思う。15歳ならなおさらだよね。



先日、沖縄のある友人の死を知った。以前から具合が良くないのは知っていた。40歳半ばの早すぎる死だった。

彼もまた、娘の「友だち」だった。好きなバンドの話で盛り上がり、ドラマーである彼は娘に「沖縄に帰ってきた時にはセッションしようぜ!」とまで言ってくれていた。

俺は決して短くない人生の中で、何度か友人の死というものを経験し、それなりに耐性もついてきた。それでも辛い。俺でも辛い。

訃報を娘に伝えたら絶句した後、涙を流した。

彼女が「友だち」と呼ぶ人が還らぬ人になること。
15歳にして「友人」と呼べる人を失う痛みを負うこと。
もしかしたら普通の15歳なら直面しなくてもいい「死」を受け止めるということ。

それは彼女にとってどのようなことなのか。もしかするととても残酷なことを俺はしているのではないか。

この数日、そんなことを考えていた。そして娘に聞いてみた。

「・・・それは違うよ」

彼女はいう。

「それは全然違うよ。そりゃ誰かが亡くなるのは悲しいし、寂しいよ。でも、だからと言って〈会わなきゃよかった〉なんて、それは違うよ。パァパは、私に残酷なことをしているのかな?って聞いたけど、全然違う。パァパが、この人は面白いから!この人はかっこいいから!って会わせてくれた人は、本当にみんな面白くてかっこよくて最高に楽しい人たちばっかりだよ。一人も退屈な人なんかいないよ!だから私は毎回パァパについていくんだよ。

「死んじゃったTさんだって、私にいろんなこと教えてくれたよ!会うたびにたくさん喋ったし、いつだってニコニコして最高に楽しい人だったよ。亡くなったって聞いてとてもショックだったよ。いろんなことを教えてもらったから私は本当の友だちだと思っているよ。だから寂しいんだよ。だから泣いちゃったんだよ。

「他の人もみんなそう。パァパのいろんな友だちに会うことは私にとってむちゃくちゃ楽しいことなんだよ。いろんな話をしてくれるし聞いてくれるし。勇気も自信ももらえるし。

「・・・パァパの友だちって大人なんだけどみんな「楽しそう」なんだよ。変な言い方になるかもしれなけど、みんな普通じゃない。普通の大人じゃないんだよ。みんな本当に好きなことをして楽しそうに生きている。それはもしかしたら危ない面もあるかも、でしょ?その辺は私にはまだよくわからないけど、それでもみんなニコニコしてて本当に楽しそうだから。

「私はその人たちからいっぱい貰っているよ。パァパの友達を見てて私も自由に生きたい、好きなことをたくさんしたいって思うようになったんだよ。

「年が離れているって全然大したことじゃ無いよ!パァパが会わせてくれた人たちは、最初はパァパの友達だったけど、今はみんな私の友だちだよ。みんな私の大切な友だちだから。

「〈友だちに出会わなかった方が良かった〉なんてことは絶対ないよ!」

うん、そうか。

ありがとう。


#オーストラリア
#シドニー
#専業主夫
#移住
#海外生活
#子育て

いいなと思ったら応援しよう!