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Jeremyから33年経って。

自己紹介:妻の転勤の機に福祉施設の施設長を退職し、持ち家も処分。当時13歳の娘と家族3人で2023年夏にオーストラリアに移住の48歳。現在子育てと家事全般を行う完全専業主夫。ワーホリのタグ付けをしているが、ワーホリではなく働く予定も特になし。一応、社会福祉士だが外国ではなんの意味もない。吉本芸人チャド・マレーンがオーストラリアを「ラリア」と呼ぶことに感銘を受け、そのまま使用する。


当時、この曲を聴いていた時俺は16歳で、もちろん歌詞の内容も知っていたしそのバックグラウンドにある実際に起こった事件のことも知っていた。

モデルとなったの15歳の少年、Jeremyは同級生の前で自分の頭を撃ち抜いた。1991年2月8日。33年前の今日だね。

その事件を題材に書かれたパールジャムの〈Jeremy〉。

好きで聴いていたんだけど、そこまで感情移入できなかったのは当時の俺とはあまりにもかけ離れた世界だったから。うつ病も、銃も、自殺さえも、俺にとって現実的なものではなかった。別の世界の話だった。ただ単純に曲のかっこよさだけだったんだよね。

今日、あるFBグループに投稿された記事を読んで(今日がその事件の日だからかな)、30数年ぶりにもう一度考えたよね。

そして10数年ぶりに改めて聴いた。

世界が変わったのか、俺自身が変化したのか。

すごく身につまされる悲しい曲。

こんなに悲しい歌だったんだって気づいたよ。

あれから何十年も経って、でもその何十年もの間に何十件も子どもたちを巻き込む事件が起きている。起き続けている。米国に限らず日本でも。・・・銃こそ使わないけどね。

そして今はSNSと言う、銃以上に危険なものをほぼ全ての子どもたちがもっているじゃんね。

当時、〈Jeremy〉から遠く離れた沖縄のコザという小さな街で「子ども」だった俺は、今、SNSという無限に広がる闇の空間から自分の「子ども」、そして全ての「子どもたち」を守っていかなければならない使命を負っている。俺に限らず、全ての大人が、だ。

でも。

あの時に比べて子どもたちの世界は安全か?

否。全く安全じゃない。

あの時の比べようもなく世界はどす黒く邪悪になっている。

じゃあ、どうすればいい。

わかんないけどさ。

・・・どうすればいい?

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