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カンバンと伊東


自分はとある企業でクリエイティブディレクターという職業についている。クリエイティブディレクターというと最近は報道番組のコメンテーターをやっていたり、ミュージアムを作っていたり、格好よく聞こえるかもしれないが、私は企業が作成するいろいろな制作物、パンフレットやホームページ、映像などがお客さんにちゃんと伝わっているのか、企業として間違ったことを言っていないかなどをチェックしデザイナーに指示をする職種である。別段デザインについて専門的に学んだわけではなく、自分で絵を描ける訳でもない。「これじゃあお客様に伝わらないよ」と言って偉そうにデザイナーに指示を出している、恐らくデザイナーからは「デザインのイロハも分からないくせに偉そうなことを言ってんじゃねー」と思われているだろう。

今回伊東の町の「新しい楽しみ方」を伝えるエッセイの依頼を受けて、町の魅力を伝えるために伊東の町を訪れた。パンフレットや観光案内では記載していない、私なりに考えた伊東の町の楽しみ方をお伝えできればと思う。

とは言え私自身伊東について詳しい訳ではない、まずは駅前の観光案内所を訪れ一般的に伊東にどんな魅力があり、それを発信しているのかを調べてみた。

伊東は伊豆半島北東部の地名で古くから温泉で知られ、漁港としても重要、みかん・ツツジ栽培が盛ん、鎌倉時代の史実、伝説に富み、物見塚(ものみづか)公園(伊東祐親(すけちか)居住地)、伊東祐親の娘八重(やえ)姫と源頼朝(よりとも)が逢瀬(おうせ)を楽しんだ音無(おとなし)神社、伊東氏累代の菩提(ぼだい)寺の東林寺などがあるとのことである。

城ヶ崎海岸、大室山をはじめとする伊東八景という景勝地があり、中高年であれば「伊東に行くならハトヤ、ハトヤは良い風呂〜」でお馴染みのフレーズのハトヤホテル、ホテルニューアカオなど伝統ある大型の温泉ホテルや伊豆シャボテン動物公園などの観光施設も充実している。

これらをそのまま伝えたのでは「新しい楽しみ方」とはならないので私なりの楽しみ方を探すために伊東駅から伊東の町を散策してみることにした。

駅前で周りを見渡すと、右手には太平洋が見え、放射状に4〜5本の通りが伸びている。まずは飲食店があると思われる雰囲気の通りに向かった。通りを歩きながら思ったことは「ものすごく寂れている」である。土曜だというのに空いている店はまばらで活気がない。所々新しい店舗もあり、オシャレなカフェや飲食店もあるのだが空き店舗に紛れアンバランスさともの寂しさを強調している。通りを抜けると商店街に出た。ここは桜木町という町名のようである。

商店街は緑・赤・白(白といっても経年劣化で黄色びていた)のビニール製の屋根で覆われ雨を凌げるようになっている。開店中の店舗は全体の3分の1であり、残りはシャッターが閉まっている。一言で言えば「寂れている」のであるが商店街全体から強い郷愁感を感じた。最近では昭和レトロと呼ばれ高度経済成長期(昭和30~50年代)の雰囲気を総称し、その世界観がブームとなっているらしい。熱海と共に団体旅行や新婚旅行の行き先としてかつて日本屈指の温泉観光地として栄えた伊東のその時の姿がそのままの姿で今に残り、奇しくも昭和レトロとして中高年には懐かしく、若年層には一周回って新しく魅力に感じているのだろう。

そんなことを考えながら、商店街を歩いていると屋根の下に据え付けられている看板に目が止まった。仕事で屋外看板のデザインや設計を行うことからつい、看板を眺めてしまうのだが、大川洋品店とある。洋品ってなんだっけかな?と思いつつお店をみると衣服が売られている。洋品店を調べてみると「洋風の物品を揃え販売する店」洋服屋アクセサリーを販売する店が多いとのこと。そうか、洋品店と呼ばれるからには当時は和装が当たり前のようにあって比較すべき商品が洋品と呼ばれていたのだろうと思った。続いて見ていくと白菊美容室、成木屋支店、真間理容室、井上魚店、丸圭洋服店、理容ゴトウ、白井スポーツ、大川酒店など、かなりの屋号に名前が使われている。さながら表札のようである。一時商店街の衰退と大型ショッピングモールの台頭が話題になっていた。大型ショッピングモールは一つで地元のファッション、コスメ、日用品、全てが揃い映画やゲームセンター、食事はフードコートからこだわりの専門店まで家族で1日楽しめる施設ができた一方、こうした商店街は廃れ無くなっていった。だが、その事実だけではなく商店街の屋号のような看板を見ると1家庭がその街の生活インフラの一つを担い、そこに住む多くの人がその役割に応じた店を利用し、お互いにサービスを利用することで資金が流れ、その街自体が活動していく。商店街を中心とした家族のように街が機能し、資金が血液のように流れ、伊東という街が機能していたのだろうと感じた。

そうして商店街を往復しているうちに30分ほど経った。さて、少しづつ駅に向かおうかと通りに入ってみると今度は商店街とは趣の大きく異なる通りに出た。宵まち通りとある。宵まち通りはその名の通り「宵」、夜を待つ通りであり。その通りにあるのは、スナック、キャバレー、飲み屋といういわゆる「オトナ」の歓楽街のようである。昼間なのでオープンしている店はもちろん無かったが通り全体からどこか煤けた、妖艶な空気を感じる。前職の営業時代では夜な夜な新宿歌舞伎町、神楽坂、渋谷の歓楽街にクライアントと訪れ一晩で10万や20万の金を使うこともあったが、銀座や六本木のレベルにはいけなかった。また、名前を聞くだけで尻込みしてしまう麻布や広尾にもいくことはなかったことをふと思い出した。

先程商店街の看板を見ていたこともあり、宵まち通りでもお店の看板を見ながら歩いてみることにした。そうすると一つのことに気がついた。お店の看板、すなわち店名の付け方には大きく3種類あるということである。一つは名前、恐らくその店のママもしくは看板娘、当時の人気の女優などの名前から撮ったのであろう。通って見ただけでも「ちか」「美奈子」「美和」「Aki」「愛七美」「純子」「由紀」(ゆきさおりかな?)「ゆい」「明日香」「里見」「ゆかり」「まどか」と色とりどりの名前が並ぶ、名前を見るだけでも楽しいものである。どんな美人がいるのだろう(実際は妙齢のマダムがいることがほとんどなのかもしれないが)豊かな創造が掻き立てられる。冒頭で述べた源頼朝と逢瀬を重ねた「八重」という看板が見つからなかったのは残念だが。一つは横文字「Panther」「LUCKY」「ラ・メール」「アマンテ」「Face」「パラダイス」「Pocky」「Riul」などがあった、なんとなく名前を冠した店よりもオシャレな雰囲気を醸していて比較的若めの客が行くのかな、などと思いながら眺めていた。最後が「ネタ」に走るお店である「ペリカン」「ガールズ・バー・クラゲ」「魔女の館」「パラダイス」などである。「スナックあそこ」には驚いた、思わず「どこやねん!?」と心の中で突っ込みつつこの名前をつけようとしたセンスに脱帽した。
次回あそこ行こうぜ、がそのまま店名になるのである。

実際、この中でどれだけの店が今も営業しているのかは昼間なので分からない。もしかしたら今晩どうなっているか見に行くかもしれない。ただ、伊東や熱海の全盛期だった、昭和30年〜50年代、会社の団体旅行や慰安旅行で訪れたエネルギー溢れる高度経済成長期のサラリーマン諸氏がホテルでの一次会の後にほろ酔いで上司や同僚と夜の伊東に繰り出し、どの店に入ろうか、素敵な女性の名前を想像しながら、パラダイスを想像しながら、旅の恥はかき捨てと言わんばかりに「魔女の館」に突っ込んでいく今は70代〜80代になっている先輩の方々の姿が想像されて楽しくなった。店側もそんなお客さんがそうやったら自分の店に来てくれるのかを必死に考え、差別化を考えた結果が名前だったり、横文字だったり、ネタだったりするのだろう。そんなことを考えながらやや羨ましく、今となっては社員旅行もなく、飲み会に誘うだけでアルハラだ、パワハラだと言われることを気にしなくてはいけないサラリーマンの状況を寂しく思いながら宵待ち通りを散策した。

職業柄、サービスやキャンペーンなどの名前を考えることが多い。サービスであればその特徴、速さや安さ、ポイントの多さなどの「特長」を、「超速」「爆速」「ザクザク」「感謝祭」などの言葉に言い換える。更にデザインを施して見た人の目に留まり、購買意欲を掻き立てるように日々考えている。今回商店街やネオン街(今はLEDなのでネオン街とは言わないだろうが)を通って看板一つ見てもそこから感じる当時の生活感や、高度成長期の熱気、お店側の工夫や創意を感じることができた。

伊東、昭和レトロの街、ノスタルジックでどこか儚さや寂しさを感じるこの街を看板とそのネーミングという視点から楽しんでみるのはいかがだろうか。

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