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「郷土芸能は変わっていくべき」郡上おどり音頭取り・吉村建治大いに語る《前編》

その人がいるだけで場が華やぐ、そんなスター性のある「花形プレイヤー」が祭りの現場にはいる。神楽の舞い手、神輿の担ぎ手、盆踊りの踊り子、地車の大工方などなど......。彼ら/彼女らの存在は、私たちが祭りに魅了される要因の1つでもある。

岐阜県郡上市の「郡上おどり」。この保存会にも若手メンバーを代表する花形プレイヤーが存在する。音頭取り(盆踊りで唄を歌う人)の吉村建治さん。「ゴンタさん」の愛称でも親しまれている。恰幅のいい躯体は遠くからでも目がつくが、それにも増して伸びやかで精密な声。踊り場の空気や、状況に合わせて変幻自在に繰り出される音頭が聞こえてきたら、誰もが体を動かさずにはいられない。

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音頭の高い技術と、親しみやすい人柄のせいか、東京の踊り子の中にも吉村さんのファンは多い。また吉村さんは郡上おどり保存会員でありながら、同じ郡上市の盆踊り「白鳥おどり」ファンであることを日頃から公言して憚らない。郡上おどりの屋形の上で、白鳥おどりのうちわを背中に挿していたり、実際に白鳥おどりの会場で郡上おどり保存会の浴衣を着て踊っている姿を見たこともある。Twitterでは毎日、白鳥町の中華料理屋「マルヤ飯店」の麻婆飯への熱烈な愛をつぶやいている。白鳥おどり好きの私にとっても、吉村さんは目が離せない存在だった。

郡上おどりの音頭取りがなぜそこまで「白鳥おどり」に熱をあげるのだろうか。何かそこには”秘密”が隠されているのではないだろうか。その謎?を解き明かすため、吉村さんにマルヤ飯店でのお食事会+インタビューの打診をした。話はマルヤ飯店発、白鳥おどりを経由し、最後には吉村さんへの郷土芸能論へとたどり着いた。

取材・文=小野和哉
撮影=渡辺 葉(注釈のあるものは、筆者が撮影)

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地元に愛される味、「マルヤ飯店」の麻婆飯

<料理が配膳される>

吉村 よし、食べましょう。いただきまーす。

一同 いただきますー。

吉村 美味しいですよぉ。

ーーじゃあ、いただきながらゴンタさんとマルヤ飯店の馴れ初めについて伺えますか?

吉村 僕、この近くの郡上北高校に通ってたんですよ。最初はここに中華料理屋さんがあることは知らなかったんです。で、高校に相撲部があって、相撲部の顧問の先生がめっちゃマルヤ飯店大好きで。卒業文集にもマルヤ飯店について書いているくらい。

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ーーマルヤ飯店での思い出を?

吉村 そうそうそう。「試合で負けて悔しくて唇を噛み締めたらマルヤの麻婆飯の味がした」っていう(笑)。相撲部の部員たちもここで食べてて。じゃあ行ってみようって、初めて食べたのが麻婆飯。松田聖子じゃないけど、「ビビビ」ッてきて(笑)。もう、それから毎っ週これ。ここにきてこれを食べなかったことは一度もない。

ーー……ちなみにゴンタさんはどこの部活に入っていたんですか?

吉村 僕、吹奏楽部。相撲部とは全然、関係ないけど。

ーーあ、相撲部じゃないですよね(笑)

吉村 相撲部じゃないけど、ほぼほぼ毎週ここに来てました。吹奏楽部の顧問の先生に車に乗せてきてもらって、ここでご飯を食べて部活に行くみたいな。

ーー他の学生さんもけっこうマルヤ飯店に来てたんですか?

吉村 いや、俺くらいじゃないかなあ。

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ーー学生たちの溜まり場になったりとか。

吉村 そういうのはないなあ。俺はひたすらに一人で食べてたけど……。本当に地元に愛される店だよね。9割以上が地元の人。八幡から来るのは俺くらいしかおらんよ(笑)。あの、ここの麻婆飯って本格的な麻婆豆腐と違って、素朴なんですよね。

ーーめちゃくちゃ辛いわけじゃなくて。

吉村 うんうん、本格的な麻婆飯じゃないんだけど、この町中華の感じがいいんだよねえ。いや俺、昔から辛すぎるものを食べると声が出なくなるんですよ。

ーー辛いものって喉に良くないって言いますよね。

吉村 そう。この優しさが嬉しいんですよ。

ーー高校を卒業されてからもコンスタントには来てるんですか?

吉村 タイミングが合えば来ますね。本当に社会人なりたての頃は、高校の名残で毎週のように来とったね。いまの店舗は新しく建てかわったんですけど、前は本当に(昔ながらの)中華料理屋みたいなお店やって。

ーーお店の大きさはどれくらいだったんですか?

吉村 同じくらい。テーブルがめっちゃあって。店のおばちゃんがテーブルで餃子を包んでたりとか。絵になるんだよね。その中で一人黙々と食べる。

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ーーいい光景ですねえ。ちなみに八幡では好きなお店はありますか?

吉村 八幡か。俺は「かたぎり」の焼きそばが好きっす。八幡は極端。焼きそばも二種類あって、アホみたいに硬いやつとか。かといったら、こんなめちゃくちゃ柔らかいやつ。その間がない。ずるずるずるってすするくらいの、「汁焼きそば」っていうのがあって。その「かたぎり」の焼きそばっていうのと、あとは八幡ならではじゃないんだけど、ちゃんこ鍋屋さんがあって。そこのホルモン鍋はめっちゃうまいっすよ。全然、八幡関係ねえけど(笑)

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「あげそば」

ーー八幡はお店はたくさんあるけど、どこ行っていいか迷いますね。白鳥は選択肢そんなにないから、だいたい行けるんですけど。

吉村 白鳥でどこ行くって言われたら、もうマルヤ飯店って言うしかない。麻婆飯の完コピしようと思って何回もトライするんですけど、できないんですよ。

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「鶏みそ炒め」

ーーゴンタさん、料理はされるんですか?

吉村 大好き、大好き。僕、調理師になりたかったくらいだからね。毎日作ってますよ。

ーー料理は何が得意ですか?

吉村 なんでも作る。ただ修行したわけじゃないもんで、これが正解なのかっていうのはわからないけどね。うちにはあらけねぇ〜(たくさん)調味料がある。で、今一番ハマっとるのが醤油で。醤油って地方によって全っ然味が違うの。僕が一番最初に衝撃を受けたのが、それこそ秋田に毎年行っとって。

ーー西馬音内ですか。

※西馬音内......秋田県雄勝郡羽後町に伝わる「西馬音内盆踊り」のこと。「郡上おどり」「阿波踊り」と並んで、”日本三大盆踊り”と称されることもある。「日本三大盆踊りin郡上」(2017)、「にしもないde踊らナイト」(2018〜)、「藤沢宿遊行の盆」など、近年新しく「西馬音内盆踊り」と「郡上おどり」の共演・交流が活発化している。

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伊勢市「祭りのまつり」で演奏する西馬音内盆踊り愛好会

吉村 うん。旅館で朝ごはんが出た時に、温泉卵があったの。その前に醤油が置いてあって。その醤油をかけて温泉卵をご飯にオンザライスして食べたら、「シャキーン!」ときて。「なんだこの醤油はー」って!

渡辺 「ビビビ」がきた(笑)

吉村 挙げ句の果てはスプーンに入れてすすって、なんだこの甘さはって驚いた。……甘いんですよ、秋田の醤油は。また、卵との相性が抜群で。これはやばいって、すぐ厨房だよねえ。ドンドンドンって(厨房のドアを叩いて)、この醤油はどこに売っとるんですか?って。

ーーグルメ漫画みたいな展開に(笑)

吉村 その醤油は業者にしか卸さない醤油だったんです。一般には売ってないよってことだったんですけど、なんとかならんですかねーって頼んで。旅館のご厚意で紹介してくれました。「石孫本店」の醤油です。そこも最近NHKに出やがって、ちょっと調子こきがやってるけど(笑)

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石孫本店の「丸大豆しょうゆ」。

ーー市販でも買えるやつがあるんですか?

吉村 うん、ある。でも味が全然違う。同じような味するんやけど、やっぱりちょっと違うんですよね。なんか手を加えた感じがする、一般のやつは。

ーーでも、そこで食べた醤油が「ビビビ」と来たんですね。

吉村 すごかったねえ。それが口コミで広がって、毎年保存会で行くたびに「俺も買う買う」って。3年後には一回の発注数が60本~70本。そういう単位やったでね。バスの下の荷台が全部、醤油って時もあったで。

ーー醤油の業者みたいですね(笑)

吉村 秋田の醤油うまいよ。秋田の醤油うまいすか?って保存会の人に聞いたら「うまいよ」って答えると思うよ。

ーー全然、踊りに関係ない質問(笑)

吉村 他にも調べたら、福井の醤油も甘いらしい。やで、近いので福井まで買いに行ったの。

渡辺 あ、醤油の旅が始まった。

吉村 でも、あかん。甘いんやけど、レベルが違う。まだ甘い醤油があるんじゃないかって色々と調べていたら。

渡辺 九州の方に甘いのがありますよね。

吉村 そうそうそう。九州が一番甘いってことをネットで調べて。たまたま、俺どっかに出張公演に行った帰りに、九州の物産展やっとったの。その時に、売っとったの、九州の醤油が。これがあの甘いっていう醤油か〜って買って。そしたら、「ズッキーン」やわねえ。

ーーまたきた(笑)

吉村 一番甘かった。で、甘いと何がいいかって魚に合う。刺身とか。白身魚なんか抜群にいい。はじめは秋田でも美味しかったの。秋田で刺身食べた時に美味しかったんですけど、それを上回った、鹿児島の醤油が。

ーーそっちに完全に移行しちゃったんですね。

吉村 でも卵かけごはんは秋田の方がうまい。寿司刺身は九州かな。あのね、身近なところやと、ドン・キホーテに行けば九州の醤油は売ってる。

ーー銘柄を教えてもらっていいですか?

吉村 フンドーキン」っていうメーカーです。今一番気に入っとるのが、フンドーキンの刺身醤油。




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フンドーキンの「甘口さしみ醤油」

ーー記事で紹介します。Amazonのリンクとか貼って。

吉村 それこそAmazonで買ったもん、俺。一升入りのやつを6本1ケース。

ーーだいぶもちますね。じゃあ九州出張とかあったらいいですねえ。

吉村 ああ、最高ですね。

ーーゴンタさん、食へのこだわりがすごいですね。

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「俺、こう見えて猫舌なんですよ」と、麻婆飯をハフハフしながら食べるゴンタさん。しかし、大盛りも瞬時にペロリ。

吉村 おんなじ物食うなら、美味しいものがいいじゃないですか。でも、マルヤの麻婆飯はみんなに食べて欲しいなあ。最高だよ。

運命を変えた竹内勉との出会い

ーーマルヤの話から変わっちゃうんですけど、音頭取りとしてのゴンタさんのお話を聞きたくて。ゴンタさんって東京の踊り好きにはすごく知られた存在なんですよね。やっぱり櫓の上で歌を歌われている姿をみんな見てる。名物キャラクターというか。

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毎年、6月に東京の青山で開催される「郡上おどり in 青山」。ここで郡上おどりを初体験した東京人も多いのではないか。吉村さんも音頭取りとして、毎年参加されている。

吉村 ただ、体がでかくて目立ってるから覚えられてる感じなんですよ。多分。

ーーいやいや。ただ、どういう経緯で音頭取りになられたのかって部分はなかなか知られていないと思いまして。ぜひお話を聞いてみたいなと思ってたんです。

吉村 うちの親父も音頭取りだったの。

ーー郡上おどりの歌い手だったんですか?

吉村 うん、音頭取り。でも、そもそも全く僕は興味なかった。関心もなかったね。子どもの頃は郡上おどりというと、夜店に行くという感覚しかなかった。

ーーああ、「盆踊り」というか、「お祭り」に行くという感覚。

吉村 それで俺の住んでいるところは、学校の運動会があると必ず郡上おどりをやってた。

ーーちなみにゴンタさんのご出身は。

吉村 八幡ですよ。で、ちょうど小学6年生の運動会の時やったんですけど、何を思ったのか先生が「歌ってみる?」みたいに言ってきて、僕は「いいよー」って。その時の同級生に谷澤くんっておるんやけど。今、保存で太鼓をやってる子で、そいつと二人で歌ったのがきっかけ。

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小学校の頃、吉村さんと共に郡上おどりへの一歩を踏み出された谷澤さん。

吉村 まずそういうアクションが一回あって。それから中学生になった時、ジュニアクラブの募集があって、入ろうかなーと思って谷澤も誘ったんだけど、谷澤は行かない。で、俺が行く。まあ親父もやっとるし、やってみようかなって好奇心だけで入った。で、入って早々に、その頃は郡上ぶし競演会っていう、要は民謡の大会が八幡であって、ジュニアクラブの会長さん、保護者代表の人から、ジャニー喜多川じゃないけど「YOU出ちゃいなよ」みたいな言われて。俺、まだ入って間もない時ですよ? で、その時の審査員が竹内勉だったの。それが竹内勉との初めての出会い。

郡上おどり保存会ジュニアクラブ......中学、高校生のメンバーで成り立つ、郡上おどりのお囃子クラブ。現在は、吉村さんが指導をしている。
竹内勉......民謡研究者。東京出身。12歳の頃から年寄りの昔話や民謡を収集する豪の者で、後に民謡研究の第一人者・町田佳声に師事。民謡番組のパーソナリティーとしても長年親しまれる。没後の2018年に「日本民謡辞典」(朝倉出版)を出版。

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竹内勉さんの著書の一部(撮影=小野和哉)

ーー竹内勉先生だったんですね。

吉村 (民謡大会に)右も左もわからん状態で出て、やっぱり出場する人って年寄りの人ばかりや。その中に中1がポーンと出て、歌って。だいぶ珍しかったのか知らんけど、本当に特別の特別で、竹内氏が走り書きで書いた特別賞ってのをくれたの。それが嬉しくて、めっちゃ。それが俺のやる気スイッチを押してしまった。

ーーそこで繋がってたんですか。いい話ですねえ。

吉村 嬉しかったんやろうねえ。そっからのめり込んでいって。もう、極めてやろうって。そのうち、白鳥にも(民謡大会が)あるってのがわかって。白山山麓全国民謡大会っていうんやけど。そっちの方の審査員長は、三隅治雄先生。そっちの方も出だした。

ーー大会荒らしみたいですね(笑)

吉村 そう。その時に北山さんとか見付さんとか、その辺と顔なじみになった。そこにはずーっと社会人になっても、開催なくなるまで僕ずーっと出とって。で、俺、高校では吹奏楽部に入ったんやけど、その当時、宝暦義民太鼓をやる「和太鼓部」というのがあったの。その和太鼓部に谷澤が入って。んで、結局、和太鼓部のある高校って全国に少ないの。やもんで、地区大会、県大会、東海大会とかじゃなくて、いきなり全国大会(笑)。その当時、部活に人がいねえってことになって、で、宝暦義民太鼓ってけっこう出演者が多いやないですか。全部で、15人くらい。だから、「人がおらん、なんとかならんのか吉村」みたいな話になって。じゃあ、やりますわって。

北山勇......白鳥のレジェンド的唄い手。建築会社の親方であり、奥美濃民謡保存会の保存会主を務めた。「郡上伊勢音頭」「場所踊り唄」など貴重な地域の民謡をテープに残している。全国の様々な民謡大会にも出演したようだ。
見付義勝......白鳥の拝殿おどり保存会の会長を務める。近年は市のワークショップで唄講座の講師を担当するなど、地元に伝わる古謡の普及に貢献してきた。白鳥随一の唄い手。北山さん同様に民謡大会へも出場されている。

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郡上宝暦義民太鼓......江戸時代,郷土のために犠牲となった義民たちの遺徳をしのび,その功績を長く後世に伝承することを目的として昭和50年に創作された太鼓です。(以上、長良川デジタル百科事典より)
白鳥おどりの徹夜おどりのオープニングで上演されることでも有名。パフォーマンスの最後に「源助さん」が演奏され、そのまま盆踊りへとシームレスに繋がっていく。

ーースカウトですか。吹奏楽部と太鼓部の掛け持ち?

吉村 前代未聞だよ。部活を掛け持ちしてるやつはお前くらいしかおらんって。

渡辺 ゴンタさんは声をかけられたらやる方なんですね。

吉村 僕、断れない人なんですよ、なんでも。僕はジュニアクラブでも笛とか三味線もやってたもんで、じゃあお前歌と笛やれよみたいな。挙げ句の果てに太鼓もやれよって、一人一役じゃなくて三役もやって。本部活部員じゃないのに(笑)。太鼓部は週2階、地元の人に指導してもらう機会があって、羽土先生って全国的にも有名な笛の先生にも教えてもらったね。

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八幡の神楽でも吉村さんは笛を吹かれている。

唄は100%教えてもらったらコピーになってしまう

吉村 そこ(宝暦義民太鼓)でまた見付さんと出会ったの。なぜ出会ったのかというと、宝暦義民太鼓は一番最初に「古調かわさき」を歌うの。古調かわさきを歌って語りが入っていって、でんでんでんでんって太鼓がはじまって。で、その「古調かわさき」を見付さんに伝授してもらって。

古調かわさき......郡上おどりの代表的種目である「かわさき」の、その名の通り昔風のお囃子のない唄だけで踊られる曲。

ーー見付さんに教えてもらったんですか?

吉村 そうそう。(逆に)俺、八幡の人に唄は何も教えてもらっとらん、未だかつて。郡上節は全部自分で聞いて、踊りにはこういう節回しって(自分で工夫して)。俺、誰にも教えてもらってない。うちの親父ですら教えてもらってない。

渡辺 技を盗んだってやつですか?

吉村 完全に盗んだ。昔のやり方ですわ。

ーー親父さんにはあえて教えてもらわなかったんですか?

吉村 親父はね、ああだこうだいうけど、僕はあっちからこっちで(右耳から入って左耳に抜ける)。なぜそうしたかというと、人から習ったやつって結局クローンなわけよ。自分のものが出ない。って高校生の時に思って、僕は誰にも習わないって決めた。

ーー自分で勝手に吸収して、自分なりに解釈するという。

吉村 そうそうそう。それが郷土芸能じゃないかなって思って。初歩的なところは手ほどぎしてもらわなあかんけど、自分がある程度技を身につけて来たら、あとは自分の色を出していく。それをつないでいくのが伝統芸能じゃないかなって僕は思うんで。だから100%教えてまったら、その人のコピーになってまうんよ。郡上おどりは400年の歴史がある。その歴史の中で100%同じものをつないで来たはずではないと思う、絶対。人の唄を聞いて憧れて、自分のものにしてって繋がってきたんだと思う。と、思ったもんで僕は誰にも習わんかった。やけど、宝暦義民の時は「古調かわさき」なんてジュニアクラブの時に歌ったことがないもんで。だから僕が人から教えてもらったのは、見付さんだけ。

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拝殿おどりで唄う、見付義勝さん

ーー唄を「教えてもらった」という意識があるのは。

吉村 またその時に教えてもらったのと、いま僕が歌っとるのは全然違うしね。これは宝暦義民太鼓の「古調かわさき」、これは郡上おどりの「古調かわさき」って、割り切ってる。

ーーそれが音頭取り・ゴンタさんのバックグラウンドなんですね。

吉村 そういう白鳥での思い出があるから、僕はすごい八幡も好きだけど、白鳥の方が好きさのウェイトが大きい。

<前編終わり>

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後編では、郡上おどり音頭取りの吉村さんが白鳥おどりを熱愛する理由、そして郷土芸能の未来についての持論を熱く語っていただきます!

マルヤ飯店
〒501-5122 岐阜県郡上市白鳥町為真1188






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