国立市谷保の祝い歌「土手のもぐらもち」のいち考察
「土手のもぐらもち」との出会い
東京都国立市谷保の民謡について調べていたとき、「土手のもぐらもち」なるユーモラスなタイトルの祝い歌と出会った。少し長くなるが、歌詞を引用してみよう。
土手のもぐらもち? 一体、どういうことなんだ? はじめて曲を聴き、歌詞を目にした時の印象はそんな感じだった。一つずつ見ていこう。
「もぐらもち」とは聞き馴染みのない言葉であるが、「もぐら」の古い呼び方であるらしい。「もちゃげ」というのは、続く「かげん」という言葉から文脈を察するに「持ち上げ」ということだろう。「持ち上げ加減」だ。最後の「まだ十五、六」は面白い。全体を見通すと、この唄が七七七五調の詞型であることがわかるが、他の歌詞では最後の文句の前に「なんでも」というハヤシ言葉を添えているのに対し、冒頭の「土手のもぐらもち〜」だけ「何でも」を「まだ」と言い換え、七七七七の字余りになっているのである。この「まだ」があるかないかで、後半の歌詞の解釈も「(土の)持ち上げ加減が、まだ15、16(歳のように未熟だ)」「(土の)持ち上げ加減が、15、16(歳のように若々しく力強い)」と変わってくる。
「土手の〜」以降の歌詞は、また場面がガラッと変わるようで、「三味ょひく」「踊る」「けまりょける」と、家の中で遊び戯れるにぎやかな様子が描かれ、その後は、家の永続的な繁栄を祈願するような言葉が続いていく。確かに二番以降は祝いのニュアンスを感じるのだが、冒頭で「もぐら」の歌詞が出てくるのはなぜだろうか。
実際の音源を聴いてみると、明るい曲調で、気持ちが浮き立つような唄である。国立市谷保では、どのように唄われたのか。その状況は原田重久の『多摩 ふるさとの唄』に詳しい。
とまあ、かなり露骨な唄のようなのである。原田は「府中市を中心にうたわれる」という説明を加えているが、盆踊り唄ばかりに親しんでいる私としては、あまり見かけないような歌詞でもあるし、一体この唄はなんなのだろうと、ずっと疑問を抱いていたのであった。
「房総の民謡」での再会
深く調べたりすることはなかったが、しばらく私は「土手のもぐらもち」を谷保にしか存在しない固有の歌ではないかとぼんやり思っていた。しかし、最近になって千葉県民謡緊急調査委員会 編『房総の民謡』という本を読んでいたところ、いきなりこの「土手のもぐらもち」の歌詞が飛び込んできたのだ。それは、香取郡山田町(現・千葉県香取市)の座興歌として記録されていた「朝のでがけ(土手のもぐらもち・常陸節)」という唄であった。
ちなみに、二番以降は次のように続く(ハヤシ言葉略)。
国立市谷保の「土手のもぐらもち」と比べると、随分と色っぽい。また、「土手のもぐらもち〜」の歌詞に着目すると、上の句までは同じだが、下の句が「もちゃげかげんがまだ十五、六」ではなく「もぐりながらも顔かくす」と、微妙に異なることも気になる。なお「朝のでがけ」は、千葉県でもかなりポピュラーな民謡、『房総の民謡』でも県下の複数地域でこの歌が採録されているが、「土手のもぐらもち〜」の歌詞が現れるのは、先ほど取り上げた一例と、同じく香取市の2例のみだった。ただ後者のバージョンでは、下の句が「もちゃげながらも顔かくす」と、山田町と表現が少しく異なっている。
ともかく偶然ではあるが、この発見によって「土手のもぐらもち まだ年若い」という歌詞が、固有のものではなく、ある一定範囲で伝播されたものであることが判明したのであった。
労作歌としての「土手のもぐらもち」
ところで、民謡の文句には、七七七五調、七七調、七五七五調、七五五七四調など、いくつかの詞型が分類としてあり、同じ詞型の唄同士であれば、歌詞を使い回すこともできる。つまり共通の歌詞があるからといって、同じ系統の唄であると簡単に断定することはできない。しかも、それが「目出た目出たの若松様よ枝も栄えて葉も繁る」のような、全国どこにでも見られるような歌詞であれば、祝い歌という大きな分類でくくれたとしても、それ以上の深い因果関係を見出すことはできない。
この「土手のもぐらもち〜」も、自分が知らなかっただけで、実は全国の流布するメジャーな歌詞であるということになった場合は、「千葉の香取市に同じ歌詞があったということは…….?」という勘ぐりは、もはや大きな意味をなさなくなる。
果たして、「土手のもぐらもち」は千葉や東京の国立市以外にも存在するのだろうか。その手がかりを掴もうと、とても安易な方法であるが、国立国会図書館デジタルコレクションのサイトで「土手のもぐらもち」と検索してみた。すると、思った以上に、多くの史料がヒットしたのである。
例えば、栃木県では「土手のもぐらもち〜」が、田植え唄の歌詞として歌われていることがわかった。
また、福島県西白河郡西郷村に伝わる芸能「上羽太の天道念仏踊」では、7種目の演目のうち、最後に演じられる「サンジモサ(豊年太鼓)」で、「土手のもぐらもち〜」が登場するという。
https://youtu.be/VtxxhLOgJ0A?si=JyerpUsdwj1PCsl1&t=6825
特徴的なのは、「サンジモサ」以外の演目では、七五調の和讃のような歌が唄われるのに対し、「サンジモサ」のみ、七七七五調の小唄形式の歌が唄われている点である。
「揃た揃たよ 若い衆が揃た 稲の出穂より よく揃た」「太鼓しっかどぶで 音頭とりこわい 下で踊る娘は なおこわい」といった歌詞を見ても、盆踊り歌の転用であることは間違いないようだ。つまり「土手のもぐらもち〜」も、この地域では盆踊りの歌詞として広まっていたということだろう。
さて興味深いのは、山形県で土搗歌(どつきうた)として唄われていたという「土手のもぐらもち」だ。土搗歌というのは、地固め歌、胴突歌などとも言われ、家を新築する際の土台の突き固めに唄われたり、堤防を作る際の地固めに唄われたりした労作歌の一種である。
山形県尾花沢市大字尾花沢にある「徳良湖」は、大正期に築造された農業用アースダム「徳良ダム」の工事に際してできた貯水池である。この築堤のために、1日300人もの人夫(延べにして70,000人)が動員されたという。日々、繰り返される単調な作業。その労苦を紛らわすために唄われたのが、土搗歌だった。
この土搗歌が、よほど人夫たちに愛唱されたのか、工事の最盛期に高官が視察しに来るということになった際、卑猥な歌詞を取り除くなどの整理をされた上で、歓迎の歌として披露されることになった。さらに、当初は歌のみの娯楽であったが、人夫が日除けや雨除けに使用していた笠を取り入れた踊りが発生。大正10年の徳良ダム竣工の祝いに「笠踊り」として披露されたという。(日本ダム協会『ダム日本 (616)』)
実はこの徳良湖から生まれた笠踊りが、山形県を代表する「花笠踊り」「花笠音頭」の原型なのである。華やかな踊りと歌の影には、「土堤」を突き固めた労働者たちの労苦の歴史が秘められていたのであった。
ちなみに花笠踊りにはいくつかの流派が存在するそうだが、古式の踊りを伝える「安久戸流」は、徳良湖で行われていた土搗き作業の実演も行っているという。下記の動画では、「土手のもぐらもち〜」の歌詞(01:24〜の辺り)も確認することができる。
祝い歌としての「土手のもぐらもち」
徳良湖の例を見るに、「土手のもぐらもち」の歌詞は、労作唄にこそふさわしいという感じがしてくる。ところが、国立市谷保のように、祝い歌として「土手のもぐらもち」の歌詞が唄われた地域が他にもあった。それが、長野県の木曽地方である。
まず、昭和11年刊行の白鳥省吾 編『諸国民謡精査』では、木曽地方、伊那東部地方の盆踊り唄として、「土手のもぐらもちゃまだ年若だ 土のあげぶりゃお十七」が紹介されていてる。この歌詞は、下の句のニュアンスまで、国立市谷保のものに近い。
同じく昭和11年刊行の信濃教育会木曽部会 編『木曽民謡集』では、「地搗唄」の歌詞として「皆さんうんうん搗いてくれ〜」「どうづきつくなら眞中ついておくれ〜」などのいかにも土搗きらしい文句に混じって、「土手のもぐらもちやまだ若い どんな石でも持ちゃげます」が出てくる。
また他の歌詞では、「ここは大事の大黒柱 石の土台の腐るまで腐るまで」「ここのお家はめでたいお家 いつもどんどと唄の聲」といった、谷保の「土手のもぐらもち」にも登場する、祝い唄的なニュアンスを持つフレーズが登場してくる。
1975年刊行の生駒勘七 著『木曽の庶民生活 : 風土と民俗』では、より踏み込んだ説明がなされている。
最初は決まって「今日は日もよし石場がすわる石場すわればコリャ酒が出るオモシロヤーアーヨッサイモッサイ」の文句から始まる。しばらくは品のいい歌詞が続くが、場が盛り上がってくると、次第に歌も乱れていった。以下、少し長い引用になる(太字は筆者)。
宴会や婚礼のここぞという場で唄われ、花嫁花婿をからかうような卑猥な歌詞も入り混じってくるという状況は、いかにも国立市谷保の「土手のもぐらもち」と似通っており興味深い。
「土手のもぐらもち」とはなんなのか
これだけ少ないサンプル数で、何か結論めいたことを言うことはできないが、「土手のもぐらもち まだ年若い」から始まる歌詞については、いくつかの示唆を得ることができた。
・地固め作業の時に唄われた「土搗歌」に関連する歌詞である
・地域によっては田植唄、盆踊り歌、座興歌、祝い歌の中でも唄われた
・「まだ年若い」以降の文句についてはいくつかのバリエーションがある
→もぐりながらも顔かくす
→土のあげぶりゃお十七(もちゃげかげんがまだ十五、六)
→どんな石でももちゃげます
など
・その歌詞には多分に、卑猥なニュアンスが含まれている
土搗歌だとわかってから、まだ国立市谷保の周辺地域に「土手のもぐらもち」の歌詞が含まれる歌がないかあらためて調べてみると、神奈川県川崎市多摩区菅に伝わる「菅の地形歌」に「土手のモグラモチはまだ年は若い 持ち上げかげんの ほどのよさ」という文句を見つけることができた(角田益信 著『川崎の古民謡. 下』)。
ただ、実際に残されている「菅の地形歌」の音源を聴いてみると、国立市谷保の「土手のもぐらもち」とメロディでの共通性はない。今回、「土手のもぐらもち〜」という歌詞が、日本全国のいくつかの地域で唄われていることがわかったが、メロディも含めた唄そのものが、どこからやってきたのか、その来歴までを突き止めることはできなかった。ここを明らかにしないと「土手のもぐらもち」という歌の正体を解明したとは言えないだろう。
ちなみに、実は谷保に伝わる「土搗歌」は2種類が確認されており、いずれも「土手のもぐらもち」とはメロディが異なる。
また「土手のもぐらもち」の2番の歌詞で出てきた「奥じゃ三味ょひく中の間じゃ踊る」という文句は、調べてみると府中市や中野区の餅つき歌にも出てくることがわかった。今後は土搗歌だけはなく、餅つき歌にも着目してリサーチを進めても良いかもしれない。
「土手のもぐらもち」に関しては、まだまだわからないことが多い。歌詞の意味も、なんとなくわかるような、わからないような、釈然としないところがある。「府中市を中心にうたわれる」というが、同じような歌が他に確認できないのはなぜなのか。「モックラモックラ」のハヤシ言葉は土搗の掛け声が転じたものなのか、あるいはそれ以外の意味を持つのか。
謎は多いが、ひとまずここで原稿を終わりにしたいと思う。
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