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ごまめのごたく:天白信仰(1)

タイトル画像、Photo by nurugamer_g、使わせていただきました。

名古屋から飯田街道をたどって

 「謎の白山信仰(1)」で述べた白山神社(名古屋市中区新栄)の北側を、北西から南東に飯田街道(三州街道)通っています。
 飯田街道は、南東方向に千種区と昭和区を抜けて天白区に入って天白川に至ります
 天白川は、この辺りでは東から西に流れていて、飯田街道は天白川を南側に渡って東の日進市を横切り(天白川は、日進市の貯水池が源流のようでここで途絶えます)、豊田市に入って矢作川を渡り、ほぼ国道153号線に沿って、三州足助に向かいます。
 足助の手前で、南西に流れている巴川(ともえがわ)沿いの足助街道と合流し、足助の集落を通って、153号沿いに北東へ長野県の飯田に向かっています。

 つたないアナログの関連マップを示します。(「おとなの書き込み白地図帳:帝国書院」のコピーに書き込んでみました。)

愛知県三河地方の街道と水系

天白区と天白川

 名の由来を調べてみると、天白区は区内を天白川が流れていることから付けられたようで、天白川については、Wikipedia に次のように記載されています。

『天白川』という名称は、下流域に名古屋市緑区鳴海町字天白という地名があり、そこにかつて、川を鎮める神とされた天白神が祀られていたことによるものである。この名称は江戸時代ごろから使用されている。

Wikipedia 「天白川(愛知県)」


 そうすると、この天白神はどこから来たどういう神様なのでしょうか。

 というわけで、天白信仰について

天白信仰

天白信仰(てんぱくしんこう)は、本州のほぼ東半分にみられる民間信仰である。その分布は長野県・静岡県を中心とし、三重県の南勢・志摩地方を南限、岩手県を北限として広がっている。

信仰の対象・内容が星神・水神・安産祈願など多岐にわたることから様々な研究・解釈が行なわれたが、1980年ころから伊勢土着の麻積氏の祖神天白羽神(あめのしらはのかみ、長白羽神の別名)に起源を求める説が紹介されることが多くなった。

Wikipedia「天白信仰」

足助街道を下る

 最初に戻って、飯田街道をたどっていくと、三州足助で足助街道と出会いました。
 ここで、足助街道を巴川沿いに南西に下っていくと、巴川は豊田市と岡崎市の境界で矢作川と合流しますが、足助街道は矢作川東岸1kmあたりを南下して、岡崎城あたりで東海道と合流します。
 岡崎城のある岡崎公園の南は、東から西へ流れて矢作川に合流する乙川(おとがわ)に面していて、乙川はこの辺りでは菅生川(すごおがわ)とも呼ばれるようです。

「白の民俗学へー白山信仰の謎を追って」より

 「ごまめのごたく:謎の白山信仰(1)」から参考にしている、「白の民俗学へー白山信仰の謎を追って」に、天白信仰に関する項目があり、岡崎公園の南西約1kmにある天白町にある白山神社の記述があります。

堀田吉雄氏(1899-2001;柳田国男に師事)が著した『大天白神考』と『天白新考』は、壊滅寸前だった信仰の分布、祭神、伝承から、シラ神や陰陽道との関係にまで説き及んでいて、参考になる。以下、両論に寄り添いながら、あらましを述べる。
・・・・・・・・・・・・・・
 注意したいのは、役行者が九頭龍を封じ込めたという伝承のある戸隠山が、信仰の発生地だったらしいことで、となれば天白神を宣布拡大したのは、山岳修験者であったろう。祭神が雑多なだけに、その信仰はさまざまだが、なかでも私が注目したのは、次の三点である。
 一つは、菅生川(すごうがわ:乙川(おとがわ)の下流域)が矢作川に合流する地点に存する、愛知県岡崎市天白町の天白神社の祭神が、ツミ・ケガレを流す神として知られる瀬織津姫(セオリツヒメ)であることだ。
 ・・・・・・菊池展明著『エミシの国の女神』瀬織津姫受難の主舞台にしたところだからである。著者は王権が祀る天照大神にとって瀬織津姫は邪魔な存在だったので、正史から抹殺されたと力説するが、その説の当否はおいて、水の女神、祓いの女神であるところは菊理媛と変らず、流れさすらう遊行性は菊理媛以上に顕著だ。
 二つは静岡県浜松市上島町の高貴(タカギ)神社境内にある天白神で、
・・・・・桃の実を三つ巴のように図案化した社紋は、黄泉の国の八雷神を追い払った三つの桃を表しているというから、これも菊理姫と関係がある
 三つは、天白神の信仰が十二山の神という山の神信仰を基盤としており、これは農耕民の信仰する通常の山の神とは系統を異にした、北方の狩猟文化に属するとの指摘で、シャーマニズムの観点から注意を惹かれれる。この山の神の性格に陰陽道の方伯神、つまり星神的な性格がかぶさって合成されたのが天白神であろうと、堀田氏は解説する。

「白の民俗学へー白山信仰の謎を追って」 3・白い神々の系譜  天白神と天道神

 さて、ここに「瀬織津姫」なる女神が出てきました。
 とりあえずネット検索すると、関連記事、特にスピリチャル系の霧がかかっていているものが多くみられ、その筋ではブームになっているのでしょうか。

天白神社の分布

 ここでは「瀬織津姫」については置いといて・・・

三河地方での、天白神社と白山神社の分布を見てみます。

三河地方の天白神社

 グーグルマップの「天白神社」の検索では、天白神を祀っていなくても「名古屋市天白区の神社」などが引っかかってくるので注意が必要です。
 天竜川沿いとその河口付近、浜松市と磐田市に多く見られますね。
 画面中央から左上にある「天白神社」と「天伯神社」は、足助町付近の神社です。
 

三河地方の白山神社

 白山神社は、名古屋市から岐阜県多治見市、土岐市付近、それと三河湾沿岸から浜松市に分布が見られます。

瀬織津姫のイントロ

 前章で引用したWikipediaの「天白信仰」の記述の中には、「瀬織津姫」は出てきません。
 Wikipediaの筆者が上げている文献資料は、2000年以前のものなので、瀬織津姫との関連が注目されるようになったのは、2000年以降ということなのでしょうか。それとも、俗説として切り捨てられているのでしょうか? 

 六甲山神社の関連資料を調べていたら、「瀬織津姫」なる姫神に関する記述に出くわしました。
 廣田神社の祭神が、戦前には「瀬織津姫」と記載されていた(今の所、元資料確認できず)とか、六甲山最高峰の西、六甲山高山植物園あたりから北へ入ったところにある六甲比命大善神社(ろっこうひめだいぜんじんじゃ)に瀬織津姫が祀られているとか、
 いつの時代からそういうことになっているのか、今の所よくわからない伝聞から最近そういわれ始めたのか・・・・
 
 では、Wikipediaの「瀬織津姫」ではどう書かれているか、見てみると、
 「この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。」
 という但し書きがあります。

一応、最初の「概要」の途中まで引用させてもらいます。

瀬織津姫(せおりつひめ)は、大祓詞や古史古伝のホツマツタヱ、神社伝承などで存在が知られ、瀬織津比咩・瀬織津比売・瀬織津媛とも表記されるが、古事記・日本書紀には記されない神名である。

概要
水神や祓神、瀧神、川神である。九州以南では海の神ともされる。祓戸四神の一柱で祓い浄めの女神。「人の穢れを早川の瀬で浄める」とあり、これは治水神としての特性である。

『倭姫命世記』『天照坐伊勢二所皇太神宮御鎮座次第記』『伊勢二所皇太神宮御鎮座伝記』『中臣祓訓解』においては、伊勢神宮内宮別宮荒祭宮の祭神の別名が「瀬織津姫」であると記述される。

Wikipedia「瀬織津姫」

 前項の「天白信仰」でみたWikipediaの記事が直接「瀬織津姫」に言及していないのと対応して、ここでの「瀬織津姫」の説明には、天白信仰に関する記述がありません。

 これはもう、前章の「白の民俗学へ」の引用に出てきた菊池展明著『エミシの国の女神』を読んでみるしかありません。
 
 というわけで、今菊池展明著『エミシの国の女神』を読んでいるところです。なかなか興味深いことが書かれているので、次回以降、紹介します。