ごまめのごたく:稲妻とは
神社に祀られている神様や、お祭り、神事、などに関心をもって数年。
そもそも、新型コロナがはやり始めたころに、独りで散策することが多くなって、どうせなら散策コースの設定に、近くの神社をとりこんで、由緒書を読み始めたのがきっかけ。
数か月前から、「稲荷信仰」近藤喜博1978 塙(はなわ)新書 というのを読んでる。これは読書家の亡父の遺品から引っ張り出した本。
著者が関心を持った関連事項を、著者の思考の流れのままに書かれていて、フリガナが少なくて読みにくいことも加わって、著者が何を言おうとしているのか行ったり来たりで、分りにくく、読むほうもページを行ったり来たりで、なかなか進まない。やっと半分を超えるところまで読んだところ。
先月、古書店で「渡来の祭り、渡来の芸能 朝鮮半島に源流を追う」前田憲二2003 岩波書店 というのを見つけて、こちらは三分の二くらい読み進んだ。
今の私に関心があるのは、神社、庶民宗教の伝播を考えるのに、百済系、新羅系、高句麗系、あるいは、北方シベリア系、東南アジア系などが、西から東へと伝わったものと、北から南(日本海側から太平洋側)へ伝わったものにどう色分けされるか。
そう簡単に色分けされるわけではないだろうが、今読んでいる本からは、ある種の神事や習俗はそういう色分けをあぶりだしているようです。
色々な歴史が重層しているわけですが、それらの中から最古層の信仰にかかわることを透かし見るには、記紀神話をいったん取っ払って見ることが必要だと思う。
それらもともとの神事、祭祀は、コメなり、海産物なりの豊作、豊漁を祈願して行われてきたことは間違いないだろう。
それで、イナヅマです。
稲作にとっては、日照りが続くと大変なので、雨乞いをする。
その呪術的な神事をあれこれ読んでいるわけですが、「稲妻」という単語に行きあたりました。いままで、何の疑問も持たずに、雷光のことを(イナヅマではなく)イナズマといい、漢字は稲妻であることに疑問を持ったことは一度もなかった。
あちこち行ったり来たりしているときに、ふと、雷光がなぜ稲の妻なのか疑問符が頭の中に点灯した。
さっそく、電子辞書の広辞苑を引くと、「いなずま」のみだしで、言葉の意味の解説の前にカッコつきで
(稲の夫(つま)の意。稲の結実の時期に多いところから、これによって稲が実るとされた)
とありました。
「つま」をひくと、
【妻・夫】
配偶者の一方である異性
とあります。
ははーん、なるほど
死後、腐乱した体にいろいろな農作物が生えてきたイザナミノミコトに現れているように、稲、水田は、母性を表していて、雷、雷神は父性であり、雷雨に伴うイナヅマは、農作物の実りに必要な天(夫)と地(妻)交わりなのだ。
という流れで、関連事項を検索してみると、どうも科学的に根拠のあることのようです。