脇見歩きのつぶやき:庚申信仰(2)
(タイトル画像は、尼崎市西昆陽の庚申堂)
"note"に記事を書き始めたのが去年2023年5月で、最初は牛頭天王について、(2022年に)近くの神社に牛頭天王の痕跡を探し回ったことを書きました。(「脇見歩きのつぶやき:牛頭天王編」)
翌2023年6月の記事「ごまめのごたく:庚申信仰」で、庚申信仰について、関連本を読み終わった翌月に、近くを散策していて、庚申信仰で祀られる「青面金剛」の祭所にばったり出会ったことを書きました。
今回は、この続きです。
伊丹市西部から宝塚市南部に分布する庚申さん
今回徘徊した地域です。
実際にうろうろしたのは、この地図の左側で、一部左側にはみ出した地域を含みます。
青面金剛に関連する遺跡、痕跡が近くにないか、グーグルマップを中心に「青面金剛」をキーワードにして調べてみると、近くに二か所ヒットしました。
一つは、昆陽池西1km付近にある十六名公園の北端。
2023年5月9日に寄ってみました。
北側に、案内板がありました。
もう一か所は、グーグルマップで「青面金剛(庚申さん)」と表示される、宝塚市安倉にある、青面金剛。
翌々5月11日に行ってきました。
いい具合いに、目的地の脇に「安倉散策マップ」の案内板がありました。
まさしく「現在地」の所、案内板の右下にマークの説明がありますが、おにぎりみたいな形の石碑マークが「庚申さん」です。
「安倉散策マップ」にある、残りの二か所の「庚申さん」は、ストリートビューで探索してみましたが、それらしきものは見当たりませんでした。
そのうちに、自転車で、そのあたりをうろうろしてみようとは思います。
開発の波で、移転されたり、撤去されたりしている可能性が高いですが、現場百回!? 新たな発見があるかも。
妙見碑発見!
というわけで、翌月6月5日に、付近をうろついていると、偶然こんな石碑に出会いました。
昆陽池の西側を通っている県道を、北へ天神川を越えてすぐの道を西へ入ったところです。
周囲を見回すと、すぐ左(西)側に、両側に灯篭のある祠があります。
祠(ほこら)とか社(やしろ)というと、神社を指すと思うのですが、お地蔵さんの祠もそうですが、お供えの礎石に卍マークがあるので、小さなお寺です。グーグルマップには「寺院」と書いてあります。
お地蔵さんの祠を見るといつも思うのですが、こういうのは廃仏毀釈を生き延びるために、神社の形にして祀ったのでしょうか?
祠の中には「庚申祭所」の石碑がありました。
寺院の右奥の由緒書きのような四角い石碑は、全くの空白です。
どのような経緯があるのでしょうか?
三叉路の石碑に戻ります。「常夜燈」の真後ろに石柱が隠れていました。上部に横溝が二つあって、かつては案内の看板でも設置されていたのでしょうか。
下部に「妙見講中」の文字が判読できます。
講中(こうじゅう)というのは、「講を結んで神仏に詣でたり、祭りに参加する信仰者の集まり」のことです。
案内の石碑には「右 中山寺 左 小濱」とあります。
小濱は、中山寺の南南西1.5kmにある宿場町です。
庚申さんの分布と妙見山
こういう遺跡を発見すると、庚申さんと妙見山の関係を調べたくなります。このあたりから妙見山は見えるのか?
今の世の中、いたるところにビルや家屋が密集して建っているので、山並みが見える所はすごく限られており、少しの隙間から山並みが見えても、そこに妙見山が見えているのか、なかなか確認しづらいところです。
この国土地理院のGSI Mapsでは、断面図が作成できて、右の線と左の線の断面図から、障害物がなければ阪急塚口と夙川付近ではギリギリ妙見山が見えるはずです。
この地域に合わせて、Google Mapで「庚申」を検索してみました。
円形範囲の中央少し左下の「庚申堂」は撮影していなかったので、先ほど撮影してきました。
すごく庚申さんらしい石碑が納められている庚申堂でした。
比較のために、
「庚申信仰 庶民信仰の実像」飯田道夫 人文書院 1988」
より、よく似た挿絵画像を紹介しておきます。
どうも、このあたりの庚申さんは、妙見山が臨めるところに分布するような気がするのですが、いかがでしょうか?
関連性が究明できるか、あれこれ探索してみる気満々ですが、どうなることやら。
こういうことをいろいろ考えていると、頭が重くなって持病が悪化するのですが、”note"に整理すると落ち着きます。いい薬です。