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脇見歩きのつぶやき:山田という所

5月の連休、伊丹市山田で青面金剛祭所を発見した翌日、 千里丘陵の南東の山田という所を散策してきました。前日にたまたま立ち寄った伊丹市山田との関連は、まったく偶然で、わざわざ山田関連散策シリーズとして出かけたわけではありません。しかし結果として、流れは山田シリーズになりそうです。

 散策のそもそものきっかけは、前茨木市教育長、大橋忠雄氏の「茨木童子の素顔に迫る」2011の、「Ⅶ 別所と銅鐸  一 吹田市山田別所」 に、俘囚の移配置と産鉄地との関連で、あれこれ書かれていたからです。
 茨木童子については、また別に書く機会を持ちたいと思いますが、ここでは、俘囚と産鉄地について予備知識を入れておきます。

 まず、俘囚というのは、平安初期に朝廷の支配下に入って一般の農民の生活に同化した蝦夷(えぞ)のことです。そして、別所というのは、その蝦夷の虜囚を各地に移住させた所で、「天皇にまつろわぬ蝦夷の俘囚を全国各地の山間辺境の地に封じこめて、監視と慰撫をはかったものである。」ということです。

 次に産鉄地について、上の書物をところどころ抜粋して引用します。
「明治11年、現在の吹田市東北端にある「山田小川字下丁雅八丁池」から単独で発見されたのが「山田銅鐸」・・・その銅鐸は、現在は広島県にある耕山寺に所蔵されているが(なんでやねん)、レプリカが吹田市博物館に展示されている。・・・・山田銅鐸が埋納されていた地点から、東方向約2.5キロメートルをへだてて、弥生期の青銅器製作工房であった東奈良遺跡がある。」
 ここで注意しないといけないのは、東奈良遺跡は産鉄地ではなくて、青銅器製作工房であることですが、著者は、山田の地が産鉄と関係あるとして、近辺の地名を考察しています。
 鬼を研究している人の多くが、鬼の説話が関係する土地を産鉄地とみなしているようですが、思うに、その土地に移住してきた人達が、ふるさとを偲んで地名を付けることはよくあることで、移住してきた人々の故郷が産鉄地であるかもしれませんが、移住してきたその土地が産鉄地である必要はないと思います。


 それは置いといて、吹田市山田へ、阪急京都線摂津市駅から歩き始めました。左脇をみると、石山合戦の石碑があり、「織田勢来襲の古場」とあります。義務教育で歴史をおろそかにしてきて、いまごろ実地学習です。(石山合戦は、1570年から1580年にかけて行われた、浄土真宗本願寺勢力と織田信長との戦い)

石山合戦の碑 織田勢来襲の古場
勝久寺 石山合戦の碑

真西のJRの向こう側に、「金剛院」と地図にあるのが気になったが、今回はパスして北へ向かい、JR千里丘駅を超えて、千里丘陵裾沿いの道を南西へ。山田川を越えて県道1号線から、山田川西の丘陵を県道2号線に沿って北西へ。
 地図には、山田南、山田西、山田東、山田北の地名が見えるので、その中ほどと思われる山田に差し掛かったところで、右(東)側脇道に入って、山田川の川邊に向かう。すぐに、千里丘陵らしい竹林があちこちにみられます。
 

千里丘陵の竹林

タケノコがニョキニョキ大きくなるに任せられていて、「土地の所有者に:道路に面した竹を伐採してください。住民が困っています」の看板もありました。

山田川の川邊まで降りたところで、案内図があって、すぐ先に神社のマークがあったので、そちらに向かいます。
そこで出会ったのが、「伊射奈岐神社」

伊射奈岐神社

上記茨木童子の本には、「伊射奈岐神社」のことは書いてなかったぞ、こんなところに日本を生んだ神さんが祀られてるんや・・・

ご由緒

 掲げられていた由緒をざっと読んで、これはややこしいことが書いてあるぞ、なんとなく、複雑な経緯をたどってきた神社のような予感。
『当社は延喜式内社で、・・・・、
皇大神御霊と共に内裏に奉際されていた豊受大御神の御霊が崇神天皇の御宇、皇居を離れさせられ、後に丹波国与謝郡(現在福知山市)の比治真名井に遷し奉られたが、雄略天皇即位二十二年、皇大神の御神誨により現在の伊勢市山田、高倉山麓の山田ヶ原に遷座し奉られたとき、伊勢斎宮皇女倭姫命の御示教により、大佐々之命が、五柱の神を奉祀するべき霊地を諸国にもとめ、ついにこの山田の地に奉祀せられたと云う。・・・』

 ここ数年仕込んだ日本神話の知識を総動員すると、
伊勢には、内宮に天照大御神が祀られているわけですが、外宮に豊受大御神が祀られています。
この二柱の神さまは始めから伊勢におられたわけではなく、元々おられたところを元伊勢といいます。
丹波に元伊勢があったとも言われていますが、そこから現在の伊勢市山田、高倉山麓の山田ヶ原に遷座し奉られたが、この千里の山田にも霊地として奉祀せられた、とこの由緒書きは述べているわけです。

それはそれは、由緒のあるところなんですね。

右側の灯篭の脇に「山田別所」の石柱があります

と思いながら境内に進むと、「山田別所」とある石柱がありました。ここや!!
そして、参道両側に狛犬が守っているのですが、その姿かたちが見慣れたものではなく、爬虫類のようなトカゲ、いや、カメレオンのような風貌なのです。奉納した人の趣味でこのような姿かたちにできるのか、神社側の指示なのか、当然の疑問がわいてきますが、よくわかりません。
拝殿の前には普通の狛犬がおられました。

狛犬?

これが今回の成果です。あとは北千里線の山田へ向かってひたすら歩いて、
途中、スタバで休憩し、帰途につきました。