はじめに
今年3月23日、北大阪急行が千里中央から北へ箕面萱野駅まで延伸して、開業した。
最高気温が大阪35℃越えの7月19日、箕面船場阪大前でおりて、駅の東側
をぶらついた。
阪大の外国語学部(大阪外国語大学が2007年に廃止、大阪大学に統合)があるので、学生街風のたまり場の店や公園が多いかと思いきや、照り返しの強いコンクリート面ばかりで、日差しが強く暑い中、丁度箕面市立図書館があったので入って一息。
民俗学のコーナーで
「白の民俗学へ――白山信仰の謎を追って」
前田速夫 河出書房新社 2006年7月
を見つけた。
なぜ手にとったのか、いままでこの 'note' に書いてきた関心領域からいえば、庶民宗教、妙見信仰や山岳信仰、民俗学の延長ではある。
しかし、本当はもう少し深いところに根っこがあって、そこにコツンとひっかかった。
10年ほど前、名古屋出身の母が亡くなって、母から祖母までさかのぼって戸籍を取り寄せた。出生地の届けなど、読みにくい崩し字で書いてあるのを何とか読み解いて、母とその先祖の出生地がつかめてきた。
「街の達人・名古屋便利情報地図」(昭文社)を買って、何度もこの辺りを見返して戸籍の地名と照らし合わせる。町名や区の名前はどんどん変わるので、なかなかわかりにくい。
戸籍に書かれている住所から、ほぼこの辺りという見当はついた。
近くに白山中学があって、母から当時のことはあまり聞いたことはないが、たぶん母はここに通っていたに違いない。
白山中学の南東の交差点の地名は「西白山」、その交差点の東西の通りを東へ行くと「白山神社」がある。さらに東へ辿ると、交差点の地名に「菊里(きくざと;キクリとも読める)町」の地名があった。
交差点に掲げてある地名は、すごく大事で、
今は使われていない、昔の町村字名などの地名が反映してて
郷土史、地誌調査には大変貴重で参考になります。
ということで、上記本、大型書店にも近くの図書館にもなかったので、改訂増補版(2019年2月)をAmazonで購入しました。
最初に引用した、白山信仰の謎に関する要約文に出てくる神名、習俗、祭事などの用語が、知らないことが多く、まずは、それらを中心に辞書的解説をしておきます。
書き始めると、説話の背景等も探らないとうまく要約できないのですが、始めて聴く話が多く、今回は用語解説だけに終わりそうな気配です。
基本情報と予備知識
白山
下図に、白山信仰にかかわる霊峰とされる白山山系の周辺地域を示します。
白山信仰
白山神社 白山比咩(しらやまひめ)神社が、各地に沢山あります。
「図説 地図とあらすじでわかる! 古事記と日本書紀」によると
神社数の1位は稲荷社で19,800社、8位が八阪神社2,900社、
次の9位が白山神社2,700社、10位が住吉神社2,000社
菊理媛
記紀神話では古事記には出てこず、日本書紀でも本文になく、「一書(あるふみ)に曰く」の十番目に一度だけ出てくる姫神様です。
「日本書紀」神代巻第五段、一書の十
イザナギが黄泉の国に愛おしいイザナミを訪ね、その腐乱した死体に恐怖して、この世との境の黄泉平坂(よもつひらさか)まで逃げ帰ってきて、ちびきの岩を隔ててイザナミと問答した直後のことだ。
「是の時に、菊理媛神亦(ま)た白(もう)す事あり。」
・・・・・このあと
「イザナギノミコト聞しめ善(ほ)めたまふ。乃ち散去(あらけ)ぬ」と続くのだが、
このとき菊理姫が何といったかは書かれていない。
続いて、イザナギはアハギガハラでミソギをして身を清める。
菊理姫は何と言ったのか、
「白」とは
ここで、漢字の「白」が色の白とも「もうす」とも読まれることについて、元々の字義を探ってみる。
手元の電子辞書の漢字源より
①{名・形}しろ。しろい。
②{動}しらむ。色が白くなる。明るくなる。しろくする。「精白」
③{形}しろい。けがれのないさま。また、無色であるさま。「潔白」
④{形}あきらか。物事がはっきりしているさま。「明白」
⑤{形}無色の意から転じて、なにもないさま。特別な身分がないさま「空白」「白紙」「白丁(平民)」
⑥{形・副}(俗)収穫や負担がないさま。いたずらに。むだに。
⑦{形・名}(俗)飾りがないさま。また、生地のままでやさしいさま。転じて、芝居のせりふ。「科白」
⑧{動}もうす。内容をはっきり外に出して話す。また、上の人に真実をもうしのべる告げる。「告白」
⑨{名}とっくり・さかずきなどの酒器▷中が、うつろなことから。
白山の読み
十一面観音
なお、泰澄は、天武天皇の白鳳22年(682?)越前国麻生津に生まれた渡来系の秦氏の出で、日本海での海運に従事していた。
磯良神
記紀神話に出てこないので、素人がWikipediaも含め、あちこち調べてみても、一貫性のある理解がしにくい。私なりに整理してみました。
磯良神は記紀神話には出てきませんが、安曇氏の本拠である福岡県の志賀海(しかうみ)神社や奈良春日大社でも祀られていて(祭神とはされていないが、例祭などに登場する)、海の神とされ、古代の海人(あま:船を操る民)、安曇(あずみ)部を率いた豪族安曇氏の祖神とされています。阿曇磯良(あづみのいそら、安曇磯良とも書く)とも呼ばれます。
志賀海神社の祭神のワタツミ三神(ソコツワタツミノカミ、ナカツーー、ウワツーー)は、海の神とされ、『古事記』の神産みの段では、イザナキの禊ぎにおいて住吉三神(ソコツツノオノミコト、ナカツーー、ウワツーー)とともに生まれた神として、並記されています。
私には、まだよく分からないのですが、磯良神が安曇氏の祖神であるとする原典として、たいがい「太平記」(鎌倉時代の軍記物語)や「八幡愚童訓」(はちまんぐどうくん:鎌倉時代中期・後期に成立したとされている八幡神の霊験・神徳を分かりやすく説いた寺社縁起)が引用されていますが、ともに1300年代で、もっと古い伝承、資料はどこかにないのでしょうか?
物語ではあっても、当時そのような伝聞が広がっていた、という解釈なのでしょうが・・・・
「ワタツミの神=磯良神」なのでしょうか。
Wikipediaの「安曇磯良」にある、「磯良を祀る神社」として六社上げてあるのですが、祭神を「磯良大神」としているのは、茨木市の「磯良神社」(通称、疣水神社)のみで、他は、住吉三神かワタツミ三神を祭神としています。「祀る」というのは、例祭や由緒などでの伝承的な扱いだったりします。・・・・
たぶん明治に入って、祭神とするのは、記紀神話にでてくる神に、強引に制限されたからかもしれません。
イタコ
おしら神(おしら様)
傀儡
百太夫
白比丘尼(しらびくに)
今回はここまで、
各々の項目の関係、歴史的な絡み、関西、名古屋への伝播状況など、課題満載、気になることが芋づる式に出てきそうです。