すぐに季節は変わる 永遠なれ、「上田知華+KARYOBIN」
2018年10月20日
2021年9月17日
2022年4月27日
2022年9月26日
一番上の日付けは、日本橋で上田知華+KARYOBINの復活コンサートが開催された日。
二番目は、知華さんがお亡くなりになった日。
三番目は、その報を友人からのLINEで知った日。亡くなられたことが初めて公になった日でもある。
四番目は、今日。ようやく知華さんの死について綴ってみようと思えた日。
一番目と二番目の間はとても短く、
二番目と三番目、四番目は、ずいぶんと時間が空いているように感じる。
1980年、自分は当時15歳の中学3年生。テレビで扇風機(サンヨー)のコマーシャルをやっていて、その時のCMソングが鮮烈に耳にこびりついた。ロック小僧だった自分は、キッスやクイーン、レッドツェッペリン、ディープパープルに夢中で、激しいギターや大音量のドラムこそが最高の音楽なのだと信じて疑わなかった。そんな時、その曲からはギターもドラムもベースも聞こえない、ピアノと弦楽四重奏のみの伴奏に、どこまでも優しく明るいメロディ、そこに素晴らしく爽やかで伸びやかで透明感あふる歌声。それが「パープルモンスーン」との出会いだった。ロックのアプローチとはまるで違う、クラシックをベースとした旋律にあの歌声に、青春真っ只中の少年は心を鷲づかみにされた。
すぐに購入したアルバムは『上田知華+KARYOBIN[3]』。「パープルモンスーン」だけでなく、なんと全編11曲全てがピアノと弦楽四重奏だけでアレンジされているという、恐らく世界にも類を見ない編成のグループ。すぐに『上田知華+KARYOBIN[4]』も入手して、文字通りレコードがすり切れるほど聴きまくった。1stアルバムの『上田知華+KARYOBIN』と2ndの『上田知華+KARYOBIN[2]』は後日入手して遡って聴き込んだけれど、[3]と[4]の衝撃は、40余年の時を経た今でもまるで色褪せることがない。余談だが、[3]と[4]のどちらが果たしてNo.1なのかという問いには、ビートルズの「ラバーソウル」と「リボルバー」、クイーンの「オペラ座の夜」と「華麗なるレース」、スティーリーダンの「エイジャ」と「ガウチョ」のどっちが名盤なのかを決めるのと同じくらい愚かなことなので、自分の中でのこの議論はもう行わないようにしている。けど無人島に持っていくなら[3]かな、いや、[4]も良い・・・。
高校に入ると、レコードを聴くだけでは飽き足らず、新宿のルイードにライブに通った。あのライブハウスという狭く猥雑な空間で、アーティストと極めて近い距離感で生演奏を聞くという素晴らしい時間を知ったのもこの時。知華さんはピアノを時には優しく、時には激しく弾きながら、耳からだけでなく、心を通じて歌を届けてくれた。時効だから許してもらいたいが、こっそりカセットテープで隠し撮りした新曲を、アルバムが発売になるより先に覚えていたりした。ちなみに『SONG』に収録されている「スクール」は、ライブ発表時とアルバム収録時とではだいぶ歌詞が変わっている。今でもどこが違うか覚えている。我ながらすごいと思う。
ライブのオープニングは決まって「(Why don't you )Kiss Me?」。知華さんの低音の鍵盤に続いて、KARYOINのストリングスがかぶってくる。ちなみにファーストバイオリンの金子飛鳥さんは、当時も今もバイオリンのファーストコール(注;レコーディングでバックのミュージシャンを誰にするか決めるとき、最初に声がかかる人。要はベストアーティスト)で、名前は意識していなくてもほとんどの人が飛鳥さんのヴァイオリンを耳にしているはず。
そう言えば、この頃雑誌の記事で知華さんが「ガーシュインのラプソディーインブルーをやれたらもう悔いはない」みたいなこと話していて、その後出た『SONG』の終わりから2曲目に「ラプソディーインブルー」という曲が収録され(ガーシュインのとはゼンゼン違う)、その時、あれ、知華さんKARYOBINやめちゃうのかな、って思ったら、ホントにそのアルバムが最後だった。
この『SONG』を最後に上田知華+KARYOBINは解散、知華さんはソロアーティストとしての活動の傍ら、今井美樹やアイドルへの楽曲提供に活動をシフト。以降、知華さんの活躍を直接目にする機会は減っていった。
全曲本当に素晴らしいのだけれど、無理矢理にベスト曲いくつかを絞り込むのなら、
「さよならレイニーステーション」
「Lady's Blue」
「Lonely weekend」
「青空」
「サンセット」
は外すことが出来ない。
この他、少年としては「マルセル橋」で“女の人はそんな風に考えるのか”など、女性目線の恋愛観を教えてもらった様な気がする。
とにかく青春時代の記憶の中に深く刷り込まれたのが、上田知華+KARYOBINだった。
時は経て、2018年。なんと、上田知華+KARYOBINが復活コンサートを開くという。単独名義で<ワインと音楽>と題して小さなホールでワインを飲みながらのコンサートを開いていたので、何度か観に行っていたけれど、今度はKARYOBINだ。あの青春の曲達がすべて蘇るのだ。高校の頃に共に知華さんにハマっていた友人と一緒に、発売日にチケット申し込んだら、なんと最前列が取れた。知華さんともう目と鼻の先の距離で鑑賞した。泣くのはわかっていたので、ハンカチではなくタオルを持っていって良かった。すべてが素晴らしかった。アンコールの「さよならレイニーステーション」はもう過呼吸なるかと思った。
KARYOBIN再結成?なんていうニュースを待ちながら、翌年も<ワインと音楽>に行った。これからも年に1度は知華さんの歌が聴けるのなら、それだけでもしめたものだと思っていた。
ところが、届いた知らせは、ライブの告知ではなく、訃報だった。
今年の4月27日にネットニュースになり、亡くなられたのは前の年の9月だという。
記事は小さく、知華さんの写真はいつのだかわからないモノクロ。報じたメディアも少なくて、どうして死後こんなに経ってから明らかにされたのか、わからないことが多い。死因は、すい臓癌とのこと。一般的に、気付くのが遅くなることが多く、気付いたときには進行してしまっている場合が多いと聞く。復活コンサートの時には、もうわかっていたのか?ワインと音楽の時には?考えても無駄な疑問が頭の中をめぐり、悲しみが追いついてこない。信じられない、としか言いようがなかった。
普段はウォーキングの際にもドライブの時にも、上田知華+KARYOBINをヘビロテしてるのに、何故だか聴けなかった。聴くことが出来なかった。
そして、気付けば9月も終わり。知華さんの一周忌まで過ぎてしまった。あるきっかけで昨日、旧友に会う機会があった。彼の今の姿を見ていたら、急に知華さんの歌が聴きたくなり、[3]と[4]を続けて聴いた。涙が出た。
これまでたくさんのアーティストに巡り会ってきて、夥しい数の楽曲に触れ、それぞれ素晴らしい音楽に心を揺さぶられたり和ませてもらったりしてきたけれど、自分の中では本当に特別な存在だった、上田知華さん、そして上田知華+KARYOBIN。
享年64歳。まだまだもっともっとたくさんの楽曲を制作して、いつまでも歌を歌い続けていきたかったでしょうね。
知華さんの歌は、我々の心の中に永遠に響き続けます。素晴らしい歌を、青春を、どうもありがとうございました。
心より感謝しています。安らかにお眠りください。
RIP.
楠田和男
上田知華様へ