障がいあっても、自由にディズニーとか行きませんか?
「カラオケ1時間無料です~、いかがっすか~」
といわれても、困ったことに私は歌が唄えない。この声かけに内心イラっとするのだが、呼び込みの方には関係ない私の心情である。
私は20代のはじめに風邪をひいて以来、声帯をうまく動かせなくなってしまった。つまりちゃんと喋れない。若いのにたまったもんじゃない。ただの風邪でこれだ。
かるく話す分には問題ないけれど、それでも話していると声が潰れてきて、しばらくすると日本語ではなくなる。例えるなら外国の壊れたラジオ?のそれに近いかも。
わたしだって、YOASOBIの「怪物」とか歌いたいんじゃ!(40歳)
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ただ、こういった訴えはいまではあまり珍しくない気がする。
というのも、YouTubeやインスタには障がいを物ともせず、むしろ『逆に利用してやろう』的な勢いで視聴数を稼いでいる人らがいる。それも皆若くて勢いがある。
おそらく人類の歴史のなかで、障がい者が脚光を浴び、もっとも活躍できる時代なのではないだろうか。わたしも音声障害者である。それで「言語聴覚士」を目指せたのだから。
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前置きが長くなったけれど、言いたいことは障害による『行動制限』を知って欲しいということ。
たとえば、脳性マヒによる下半身の不自由さがあるとしよう。
まずどこかに行こうとしても簡単には移動できない。移動手段は「車いす」として、その車いすにも種類がある。果たしてその人に合った車いすを選定できるだろうか?
ルートの確保だって必要だ。すこしの段差や坂道でも車いすには天敵であり、扱いには技術がいる。ひとりで移動できる範囲ならいいけれど、込み入った場所ではどうだろう?
とまあ、こんなふうに障害にはどうしても『制限』がつきまとう。
行きたいところに行きたい。でもなかなか実現できない。そんな当事者の願いをまわりだって叶えたいと思うわけで…。
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同期の言語聴覚士が立ち上げたプロジェクトがある。
障がいの有無にかかわらず、1人でも多くの人が『行きたいところに自由に行ける』を目標に企画したのだと話してくれた。
tsunagari(ツナガリ:社団法人)はほとんどが医療従事者のチームでありながら、代表自身が14歳で脳内出血を発症した経験があり、その経験を通じて「障がいという概念を変える」ことをビジョンに活動されている。
このプロジェクトではすでに『ディズニーリゾート』でイベントを開催しており、障がい当事者・医療従事者を含め、50人弱が参加されたようだ。
これまでは「障がいがあるから行けないし、楽しめない」だったのが「じゃあ、私たちと一緒に行こうよ」と手を取り合い参加することができる。
この話しを聞いたとき、「障がいがあるから」を理由に活動制限を強いられてきたのはもう過去の話しなんだな、という希望を感じた。
なんだろう、障がい2.0といえるかな。
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SNSの話題にあったように、障害は今後「個人のアイデンティティを発揮する強力な武器」になり得るかも知れない。
過去にはその可能性に気づけなかった一時代があって、障害を一括りにして社会格差を生み出していた事実がある。私の年代でも耳障りな事実として記憶しているけれど、そんな考えは時とともに藻屑となっていった。
ひとの「ツナガリ」は次の時代へ。
それは自由で、制限なく、彼ら彼女らだからこそ輝ける、オリジナルの未来がそこにあるのかも知れない。