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なぜ宇宙とか、知的生命体を創ったのでしょう?

今日は、根源なる神様が、なぜ、知的生命体や宇宙などを
創造したのか?

という根本的な事を、論理的に考えてみます。

まず、根源なる神様は、

無限大の何も無い広がりであり、そこには時間も無く、
何の変化も無く、ただ、意識、知性、そういったものだけがある

そんな存在であることを、お話しましたが、
何も変化の無い状態は、意思や知性ある存在には耐えられないでしょう。

そこで、何かしらの変化を求めたのだと想像するわけです。

人も、暇をもてあそぶと、変化が欲しくなりますからね。

でも、根源なる神様の他には、別の存在などはありませんし、
何も無いわけです。

変化は、自分以外の何らかの対象と、
時間というプロセスがあることで、起こります。

時間が無い世界では、全てが動かないので、変化しえないわけです。

そこで、

・変化するための時間という仕組み
・自分以外のなんらかの対象

を、創造しようとしたのでしょう。

しかし、
根源なる神様は、無限大の広がりを持っていて、
その外側という物はありません。

全部が自分自身なのです。

その外はないので、その外に、自分では無いなんらかの存在
が居ることも有り得ないわけです。

これは、有限な世界に生きている人間にはイメージしづらい
事かと思いますが、
概念だけでも、分かっておきたいところです。

無限大の広がりには果てが無いので、
その外も無い。

だから、その外に自分ではない別の存在は、
存在し得ない。

ということで、
自分以外の何らかの対象は、有り得ないですから、

擬似的に、
自分の中に、自分との繋がりを忘れた存在を
創ることにしたのでしょう。

これにより、

変化するための時間がある特定の領域として、
宇宙をいう仕組みを作り上げ、

その中で、変化を体験するための擬似的な存在としての
知的生命体を創造したのだろうと、考えています。

その擬似的な存在である、知的生命体は、
根源なる神様と繋がっているけれども、

繋がっていることを忘れているので、
それぞれが、自我を持つことが出来、

自分と自分以外という認識を持てるので、
それぞれの個々との相互作用が可能になり、

様々な体験ができるようになって、
この宇宙の中で、変化を体験出来るのです。

そして、知的生命体は根源なる神様と繋がっている
(それを忘れているけれども)

ので、根源なる神様は、個々の体験を 自分の体験として
楽しむことができるのです。

何も変化することのない状態から、
様々な体験ができるようになったわけですね。


ということで、

根源なる神様は、何も変化が無いことに飽きたか、
ウンザリしたか、その感情はわかりませんが、

変化と、体験を求め、
それが得られる特定の場所と、対象を創ったのだろうと。

それが、宇宙という特定の領域であり、
その中で、様々な体験ができる知的生命体であろうと。

そう考えています。

ポイントは、
根源在る神様は、何も無い無限大の広がりで、
そこには時間が無いので、何も変化する事が無い。

そして、無限大なのでその外が無いから、
自分以外の存在も有り得ない。

という条件を考えると、
宇宙や知的生命体を創造した動機、理由が
想定できるのです。

これが、事実かどうかの検証はおそらくできないでしょう。

でも、論理的に考えてみて、
かなり正解に近いのではないか? と思えます。

今日の話はここまでにしますね。


では又次回に!


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