どこかのだれかの日々の記 芒坂レイ 編 その2
芒坂、21歳。
このエッセイもどきを書き始めてからだいたい一年が経った。
そして、Iと共同生活を送り始めてから一週間が経った。
先日のエッセイもどきで「引っ越しをした」と書いたが、あの引っ越しは実はIと共同生活を送る為のものだったのだ。
以前にも少し書いたがIの家は大学生の一人暮らしにしてはかなり大きくセキュリティも厳重だ。正直、二世帯だったとしてもゆとりを持った暮らしが出来ると確信できるほどである。なぜIがそんな所で一人暮らしをしているか、その理由は個人情報を含む為ここでは書けないが、まあ、それだけIの両親には金銭の余裕がある、という事だ。
だが、それだけ大きな家で一人暮らしをしなければならないというのはいくら明朗闊達なIでも流石に堪えたらしく、春先にとうとう音を上げた。年末にも世間に漂う家族団らんの温かな空気感、そんな世間とは裏腹に冷たい家の中のギャップに愚痴を言っていたが、春先に風邪で倒れた時により強く孤独を感じたのだそうだ。心細さに耐えられなくなった様子だった。そこでIはゴールデンウィークに帰省した際に親御さんと相談し、「友人と一緒に住む(その友人と家族の許可は必要)」という案を出された。しかも家賃や光熱費はIの親御さんが負担してくれるという破格の条件。
そこでIが白羽の矢を立てたのが私だ。
奨学金返済の為に少しでも出費を抑えたい私にとって、率直にその話は願ってもない話だった。だが流石にその条件はIやIの親御さんに申し訳ないと思い一度は断ったし、何より家が広すぎるなら一人暮らし用の住まいにIが引っ越せばいいだけだろうと伝えた。
だが、それから数日後、Iと地方からやってきたIの両親から「Iが今の住まいにいなければいけない理由」を伝えられ、納得した。個人情報になる為明かせないが、Iには確固たる理由があったのだ。
それに私も寂しい想いをしながら1人暮らしている友人をほおっておけるほど薄情な人間ではない。
幸い私の親とIは何度か面識があったから、共同生活の話はすんなり受け入れられた。
それからの日々は目まぐるしかった。
共同生活の話を持ち出されたのが1月末ごろ、今が2月下旬だから大体2~3週間で全ての事が済んだ事になる。
今こうして書きながら思い返しても俄かには信じられないスピードである。
私の引っ越しもIの親御さんが手配してくれた引っ越し業者の手にかかれば梱包から運搬までで一日足らずだったし、Iの家の私の部屋になる部屋は私が生活しやすいようにリフォームされていたし必要な家具が一通り揃えられていたから荷ほどきも驚くほどスムーズだった。
Iの家にはこれまで何度も遊びに行っていたが、いざ住んでみるとその快適さに毎日驚かされる。
キッチンは料理が動線や設備が考え抜かれたものになっているし、そのキッチンと一体化しているリビングはリラックスに最適化された大きなビーズクッションや座りやすいソファと多機能テーブル、バスルームは足を伸ばしてくつろげるほど広い浴槽と衣類乾燥やサウナにも出来る設備が調っていている。
そして昨日家でカラオケをする時に知ったのだが、どうやら家自体が完全防音のようだ。以前遊びに来た時にIは「サークルの皆が泊りに来てどんちゃん騒ぎしても全然余裕だよ!」と言っていたが、あれはどうやら本当だったようだ。
まあ、私たちが所属するサークルは女性しかいない上に大騒ぎするような人は今のところいないしそんな事は起きないだろう。
住まわせてもらっている身でこんな事を言うのも気が引けるが、本当にとんでもない家である。一介の大学生が住んでいい家ではない。
という訳で、この家に住んでいる事実に耐えられるように私は今まで以上に勉学やバイト、サークル活動に励もうと思う。それに、もう就活も始まっている。いくら昔に比べて就職がしやすくなったからとは言え、いい加減にやっていては意味がない。Iは「そんなに気にしなくていいよ~!」と笑っていたが、住まわせてもらっている身として頑張らない訳にもいかない。
幸い元々住んでいた場所よりかなりキャンパスにもバイト先にも近くなったから時間の余裕はある程度確保出来ている。頑張ろう。
ただ、それでIに寂しい想いをさせては元も子もないから程々に。
Iを独りにさせる訳にはいかないから。
では、今日はこの辺りで。
お暇します。
※この文章はフィクションです。実在の人物・団体などとは関係ありません。